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6月26日



三水会


電停から我が家の道を辿りながら、「あぁ、楽しかったなぁ。」と独り言を呟いていました。 毎回のことで








































6月15日


父の日プレゼント


昨日のことです。 娘から「明日午後行こうと思いますが、ご都合はどうですか?」とメッセージがありまし
                                   ・















































8月14日



カルボナーラ


卵黄、生クリーム、粉チーズ、牛乳、あれやこれや食材にうるさい『カルボナーラ』、「こんなややこしいも
のは作れんな。」と思っていたら、全卵OK、生クリーム不要、簡単『カルボナーラ』の作り方というのに出
会いました。                                          ・

「これなら出来るかも。」 そう思って早速作ってみました。 ポイントは火加減です。 火が入り過ぎると
卵や牛乳が固形化して、これは失敗です。 従って目を離さず、ベーコンを炒めた後はともかくとろ火で作り
ます。 最終的にソース(全卵とチーズを混ぜたもの)は一旦火を止めて混ぜ合わせます。       ・


 

こんなことで、こんな風に出来上がりました。 分量通りに粉チースを使ったら、私には少ししつこかったよ
うに思います。 でもまずまずの仕上がりになりました。 それで『白ワイン』を開けて頂きましたが、結構
重かったので『赤』でもよかったのではないかと思いました。                    ・






























8月12日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回はスパニッシュ10人組のご案内でした。 もともと2日間の予定だったのですが、何故か急に13日が
キャンセルになりました。 従って今回は今日の予定のみ。 『平和公園』『資料館』と『お好み村』に案内
して宮島に送ることになりました。                                ・

メンバーは3家族だったのだろうと思います。 親世代が5人(50代後半)、5人の子供たち(全員20代
?)でした。 英語が通用するのは親世代1人、子供たちは全員大丈夫なようでした。 若い女子1人が特に
堪能で、私の説明をしっかり通訳してくれました。                         ・

先走りますが、この大柄な女子(175cmくらい)は今ロンドンに住んでいて『レーザー』を研究している
『理系女子』でした。 しかも研究の関係で私の元の会社とも関係があるそうでした。 それですっかり打ち
解けて様々話し乍ら歩きました。                                 ・

公園の中で彼女が『喫煙所』はないのか?と聞きます。 「公園内にはないなぁ。」と言うと、いきなりスマ
ートホンでチェックを始めました。 『禁煙制限区域』は平和公園から広島駅にかけてのかなり広い範囲です
ので、探すのはなかなか難しい。 でも平和公園の近くにやっと1か所見つけて、飛び込むように走っていき
ました。 「1日に何本くらい吸うのか?」と尋ねると大体1箱吸うと言っていました。 「実はこれは違反
なんだけど15歳から(スペインでは18歳から)吸っている。」と笑っていました。         ・

話しを戻します。 最初こそかなり真面目に聞いてくれていましたが、男連中がだんだんと集中力を失ってき
ました。 モニュメントの意味を説明していても余り興味を示さず、全員縁石に腰を下ろして雑談さえ始める
始末でした。 それでも何とか引っ張って『慰霊碑』から『原爆資料館』に向かいました。       ・

資料館入り口にはいつになく長い行列が出来ていました。 入館すると大勢がぞろぞろと動いていましたが、
本館への渡り廊下で動きが止まってしまいました。 困ったことになりました。 お好み村でいきなりこれだ
けの席を確保することは難しいと考えて、かなり無理をお願いして1時から予約を取っていたのですが、この
行列では絶望的です。 とても1時には間に合いません。                      ・


 

そもそも『予約お断り』のところに無理をお願いした訳ですから、予定変更は言い出しにくい。 そこをまた
また無理をお願いして2時に変更していただいて何とか見学時間を確保しました。 その割りに余りしっかり
と見学して貰えてなかったようで、少し残念ではありました。                    ・

『お好み村』ではちゃんと席を空けて待ってくれていました。 そしてそれぞれにお気に入りを注文して楽し
んでいただいたのですが、男連中の茶目っ気が少し度を過ぎていたように思います。 次回は16日、ちゃん
とお詫びをしておかなければ。 だんだんと質が落ちてくるなぁ。                  ・

 

それから広島駅に戻り、宮島に向かいました。 フェリー乗り場で『訪問税』のチケットを買わせて、フェリ
ーに見送った後でホテルに連絡し迎えをお願いして今日の予定を終了しました。 印象深いこともなく、ただ
流れるままに時間を潰した1日でした。                              ・

























8月 9日

ボランティア・ガイドが終わりました


8日

8日、9日とカナダの老人の一人旅をご案内しました。 老人と言っても先様がそう言われただけで、合って
みると、毎日数キロを走り赤銅色に日焼けした61歳の天を突くような大男でした。 名前からすると中国系
の方かなと思っていましたが、当りでした。 早朝広島駅で出会い、『縮景園』まで歩いて、標柱の「『名勝
縮景園』が読めるか?」と聞いたら「読めない。」といいます。 「私はカナダ生まれだ。 祖父の代からカ
ナダ生まれだよ。」と言っていました。                              ・

 

『バンクーバー』から『台北』を経由して『小松空港』にやってきて、レンタカーを借りて金沢、高山、白川
郷、レンタカーを返して『城崎』、『倉敷』を経て広島にやってきました。 とてもおしゃべりな方で、そん
な旅の話しをいろいろと聞かせてくれました。 ただ、苦手なネイティブ発音で聞き取り辛く、また相手も当
然のことながら私の発音(アクセントの違い)がなかなか理解できないようでした。          ・

去年は『東京』から『鎌倉』『京都』『大阪』と太平洋側を回り、今回は裏日本、来年は『北海道』と『沖縄
』を訪れたいと話していました。 今回の旅で特に印象的だったのは『城崎』と『倉敷の美観地区』だったそ
うです。                                            ・

『縮景園』の後は内堀を外周し『広島城』にご案内しました。 それから広島駅まで引きかえし、昼食を済ま
せて『マツダ・ミュージアム』にお連れしました。  これは彼の希望でした。 カナダとイスラエルの方は
『ミュージアム』がお好きなようです。                              ・

『ミュージアムツアー英語コース』は14時15分から約2時間です。 今回は参加者が少なかったようで受
付嬢から「あなたも参加しませんか?」と勧められましたが、何度か経験があり、また疲れてもいましたので
彼を『ミュージアム行き』のバスに送ってお別れしました。 彼はその後『コストコ』に行ってカナダ、アメ
リカとのシステムの違いを楽しんだようでした。                          ・

9日

再び広島駅で出会い、『平和公園』にご案内しました。 いつも通り『爆心地』から案内を始め、『原爆ドー
ム』『相生橋』『平和の鐘』『慰霊塔』『原爆の子の像』『平和の灯』、そして『慰霊碑』と順を追って説明
しました。 『原爆の子、折り鶴』の物語は彼が説明してくれました。 ほぼ完璧でした。       ・

原爆資料館からは僅か15分ほどで飛び出してきました。 理由はよく分かりません。 館内で見て欲しいポ
イントは『平和公園』の中で説明しており、また是非見て頂きたいものもあったのですが、余り興味がなかっ
たのかもしれません。                                      ・

それから『お好み村』まで歩きました。 この店には『和牛トッピングのお好み焼き』があります。 それに
気が付くと目の色を変え、「これだ!」と即決していました。 カナダ牛に比べれば、それは美味しいでしょ
う。 鉄板の上で焼けていく和牛を興味深げに見つめていました。 「お前も1切れ食べるか?」と勧められ
ましたが、そこはご辞退申し上げました。                             ・

 

宮島に着いた頃が丁度干潮でしたので、まず『大鳥居』の根元にご案内しました。 宮島では様々質問を浴び
せながら歩いていきます。 『大鳥居』のサイズや重さ、材料、年代などは質問を通じてしっかりと覚えて頂
けました。 また、『厳島神社』では景色だけでなく、ここに残されている『平安文化』にも関心をもってい
ただけました。                                         ・

それから『大聖院』に登り、下って『コーヒー』を1杯ご馳走になり商店街でお別れしました。 彼はこれか
ら時待ちをして『ナイト・クルーズ』を楽しみます。 同行を勧められましたが、クルーズ船の出発まで3時
間はさすがに辛い。 次のガイドに向けて体力を温存しておきましょう。 次回はスペインからお見えの10
人のグループのご案内になります。                                ・















































8月 6日



『8・6』

広島の『8・6』、今日は広島の『原爆記念日』でした。 丁度80年前の今日、午前8時15分、『島病院
』(爆心地)の上空600mで原子爆弾が炸裂しました。 小さな火球は1秒後に直径400mに膨張し、秒
速400mを超える烈風を引き起こし、爆心地付近の地表は3~4,000度の灼熱地獄と化し、全てが破壊
され焼き尽くされました。 また高レベルの放射線は人々を外部のみならず内部からも破壊しました。 打ち
砕かれ、焼かれ、この日だけで7万人の貴い命が失われました。                   ・

午前8時15分、平和公園では慰霊碑の前で平和の鐘の響きとともに、また近隣市町ではサイレンの音ととも
に鎮魂の祈りが捧げられました。 私はバルコニーから平和公園の方角に向かって1分間の黙祷を捧げました
。 この写真の中央辺りが平和公園に当ります。 山影は比治山。                  ・
 
 

あの場所で一瞬の閃光、たちまち『きのこ雲』が立ちのぼり、辺り一面は火の海に、やがて雲が北方に流れな
がら『黒い雨』を降らせました。 高濃度の放射線を含んでいました。 あの日も今日の空と同じように熱い
日の光が降り注いでいました。 こんな光景を想像しながらこの写真を撮りました。          ・

それから被爆80周年記念事業『平和と美術と音楽と』に出掛けました。 会場の旧日本銀行広島支店ビル(
被爆建物)の入り口(玄関)には坂口登氏のデザインによる幟がはためき、会場正面には同氏の巨大な絵図『
『美しい地球』をはじめ、『キッズ・ゲルニカ』などの絵画が展示されていました。 そしてここでレクイエ
ムのイベントが行われました。                                  ・

『鎮魂の響き』・・・殿元健照師(真言僧・府中市常福寺住職)の読経と、KNOB氏の『テジュリドウ』(
アボリジニの古楽器)、石坂亥士氏の『神楽太鼓』と小田原真理子氏の舞踊のコラボレーションでした。 読
経と楽器が絶妙に調和し、荘厳な雰囲気を醸し、身の引き締まるレクイエムのオープニングでした。   ・

『沈黙に寄り添う旋律』・・・被爆楽器による演奏でした。 被爆ピアノ・五十嵐薫子さん(急遽萩原麻未さ
んと交替)、被爆バイオリンは東響、群響のコンサートマスターを歴任された水谷晃さん、チェロはソリスト
の横坂源さん。 いずれも当代を代表する著名な演奏家の方々でした。                ・

この旋律はこの地、この時に捧げる演奏であり、司会進行や演奏者紹介、拍手などは控えさせて頂きますと紹
介がありましたが、感動的な演奏でしたし、思わず拍手が漏れる場面もありました。          ・

その後、大倉正之助氏による『鼓』、観音高校音楽部OB合唱団による混声合唱のためのレクイエム『碑』、
詩の朗読『生ましめんかな』、被爆バイオリンの演奏『さりしもの、そして来たりしもの』の演奏と続き、フ
ィナーレは被爆ピアノと被爆バイオリン、チェロ、ビオラ、さらにソプラノの中川詩歩さん(ソプラノ)が加
わり、『太陽の歌』全曲完成版の初演が披露されこのイベントは閉幕となりました。          ・

会場には『平和祈念式典』に参加した方、海外から旅行で訪れた方などが入れ替わり立ち替わり訪れていまし
た。 盛りだくさんのイベントでしたが、心浮き浮きという訳にもいかず、少々疲れてしまいました。 さて
明後日からはガイド3連チャンになります。 心して臨まなければなりません。            ・




















































8月 3日



『ボラロー』・プロトタイプ

『ボラロー』とはフィリピンの鍋料理。 『ニラガン・バボイ』は豚、『ボラロー』は牛、特に脛肉を煮込み
ます。 因みにフィリピンでは牛は『バカ』といいます。 従って『ボラロー』は『ニラガン・バカ』ともい
います。                                            ・

牛肉は『脛肉』だけでなく、煮込み用の『筋肉』を併用することもあるようです。 その他、主な食材は『玉
ねぎ』『生姜』『ウオーター・スピナッチ』(空菜)が使われますが、何より大事な食材は『スイート・コー
ン』でこれは外せないそうです。                                 ・

こんな話しを聞いて、早速作ってみることにしました。 今回はプロトタイプということもあって、牛肉は『
筋肉』だけにしました。 『ウオーター・スピナッチ』や『スイート・コーン』は今が旬です。 加えて『冬
瓜』と『ポテト』を使ってみました。 『ポテト』は一般的ではないようです。 『サヨテ』(隼人瓜)があ
ればいいのですが、残念ながらまだ時期ではありません。                      ・

初めに『玉ねぎ』『筋肉』を油で炒め、水を加えて煮ます。 『脛肉』だと1時間半は煮込むようですが、今
回は30分程度に止めました。 ダシは『コンソメ』にしました。 鶏ガラを少し加えた方がよかったかも知
れません。 更に『スイート・コーン』と『冬瓜』を加えて10分、火を止める直前に『ウオーター・スピナ
ッチ』を加えて火を止めます。                                  ・

 

これで完成。 極めて簡単料理です。 感じとしてはあっさり料理なので『白』でもいいかなと思いましたが
一応牛肉料理なので『赤』で頂くことにしました。 このあっさり感と『スイート・ポテト』がよく合うのか
も知れません。 私としてはもっと『こってり』していて欲しいと思います。             ・



































































7月30日

秀作
 『ナスとトマトソース・スパゲッティー


先日『ナス入りペペロンチーノ』を造りましたが、これが大いに失敗作でした。 『ペペロンチーノ』には様
々なバリエーションがあると思いますが、基本的に麺は白いままなのではないかと思っています。 ところが
先日の『ナス入りペペロンチーノ』はナスが色抜けし、麺が黒く染まってしまいました。 さてどうしたもの
か? まさかミョウバンを使う訳にもいくまい。                          ・

色落ち対策を研究していた訳ではありませんが、今夜造った『ナスとトマトソース・スパゲッティー』から意
外な発見がありました。 この作り方だとナスの色落ちが全くなかったのです。            ・

 

理論的なことは分かりませんが、ナスを焼く前に暫く(10分くらい)塩をしておいた効果だと思われます。
(『ナスの塩もみ』の感じ) この『ナスとトマトソース』がなかなかの仕上がりになりましたので覚えにレ
シピを整理しておきます。                                    ・
① ナスは2つ割り、適当な大きさに切り、塩を振り軽く混ぜ合わせて10分程度馴染ませる。     ・
② ニンニクと玉ねぎは微塵切り、唐辛子は薄い輪切り。                      ・
③ ホールトマト。 フレッシュトマトなら粗い微塵切り。                     ・
④ たっぷりのオリーブオイルでナスに焼き色が付くまでソテーし別容器に取っておく         ・
⑤ ナスを焼いたら火を止め、残ったオイルでニンニクと玉ねぎをソテー。 火を点け玉ねぎが透明になるま
 でソテー。                                          ・
⑥ トマトを加えてソテーし、ナスを戻してソースを完成させる。                  ・
⑦ 茹で上がったスパゲッティーをソースに混ぜる、暫く乳化させる。                ・
➇ 盛り付け。 バジルをちぎってパラパラと。                          ・









































7月24日


『黄昏亭』を開店しました


『枯れ木2号さん』」をお招きし、フィリピン料理2題でギター発表会の『慰労会』を行いました。 『キニ
ラウ』は先日の『黄昏亭』で紹介しました。 基本的には生魚と野菜の『酢のもの』なのですが、『枯れ木2
号さん』は生魚がからっきしダメなんですね。 そこで今回はやむなくボイルした蛸にしました。    ・


 

もう1品は『ニラガン・バボイ』です。(ニラガは煮物、バボイは豚) 近いもので言えばフィリピン風『ポ
トフ』といったところでしょうか。 フィリピンは暑い国なのに皆さん鍋物がとてもお好きです。(他には『
シニガンスープ』や『ティノラ』『ボラロー』などがあります) 必須の野菜は『ジャガイモ』『玉ねぎ』『
隼人瓜』『キャベツ』『トウモロコシ』『インゲン豆』『生姜』『コーンペッパー』などなのですが、我が国
では入手困難な野菜もあります。 これらを豚(スペアリブがベスト)と煮込みます。         ・


 

何れの料理もギンギンに冷やした『白ワイン』がよく合います。 もちろん前もって補充し、冷蔵庫でしっか
り冷やしておきました。 料理とワインを頂きながら『発表会』のビデオ(私が撮ってパソコンにストアして
おいた)を鑑賞しました。 ショパンのエチュードOP10-3(一般的には『別れの曲』、でも『枯れ木2
号さん』は頑なに『エチュードOP10-3』)といいます。                    ・

2、3のミスはありましたが、テンポはよく、雰囲気もしっかり出ていました。 欲をいえば、後姿が遠ざか
っていくイメージをフィナーレに込められたらよかったのではないかと思いました。 来年の『2人会』(枯
れ木コンサート)までにはもっと弾き込んで完璧に仕上げて来られるでしょう。            ・

『2人会』に向けてそろそろ具体化する時期です。 「取り敢えず演奏曲を絞り込むこと、大体4曲ずつくら
いかなぁ。」、そんな話しになりました。 そして8月末にお互いの演奏曲を披露することにしました。 私
は『浜辺の歌』『冬の星座』『早春賦』『月光(ソル)』『禁じられた遊び』くらいと考えて練習をしている
ところです。                                          ・

「あの2人じゃぁ時間がもたん。」という噂がありますので、その時にはギター弾きの孫娘に声をしてみよう
と思っています。 また師匠から「私も呼んでください。」と言われているそうなのですが、どうかなぁ、そ
んなに立派な『演奏会』じゃぁありませんし。                           ・


























































7月22日



三水会

今回の『三水会』は少し寂しかった。 『本邦完歩氏』と『茅渟夢想氏』それにもう2名の欠席があって、5
名のみの懇親会でした。 といっても酔うほどに話しは盛り上がります。 畑を荒らす『鹿』と『猪』、『ツ
キノワグマ』と『動物愛護団体』、はては『松くい虫に強い松の植林』などへ話題は尽きることなく『たゆた
う』のでした。 40年後には『松茸』が育つらしい。 「40年後かぁ、そりゃ食えんなぁ。」(笑) ・

今回初めて政治・選挙の話しに及びました。 この場に相応しいかどうか、思案しつつ私が仕掛けた感があり
ます。 驚いたことにメンバーの誰もが『日本保守党』を余りよくご存知ではありませんでした。 「『百田
直樹』さんがやっとるアノ。」と言って「あゝ、アノ。」という反応でした。             ・

まぁ、まだ緒についたばかりのマイナーな政党ですから仕方がないのかも知れません。 それに、まだ地方都
市までは手が回らず、大都市が主戦場で広島ではたった2回の街宣でした。 それに広島には候補者を立てる
ことができませんでしたのでやむなし。 「お主ら、まだテレビや新聞ばかり見聞きしているな。」と悔し紛
れに宣った次第でした。 情報インフラの中で育った仲間ではあるのですが、年代的には我々は既に『情弱』
の範疇に入っています。                                     ・


 

今日はこれを頂きました。 『白身の天婦羅』です。 「『塩胡椒』で食べて下さい。」と供されました。・
多分牛の腸です。 結構しわくて、暫くかみ砕いて無理やり呑み込むという感じで、深い味わいがあるという
ほどではありませんが、ビールにはとてもよく合います。                      ・

話しも一段落して打ち揃ってトイレへ。 そして行く先は『御座候』です。 『幹事君』の奥さんの大好物だ
そうで、かれが率先して引っ張っていきます。 今回は私も随行し『赤餡』を4つ買って帰りました。 そし
て夕食代わりにこれを頂きましたが、ある人から「そんなに食べちゃ歯が浮くだろうが。」と言われてしまい
ました。                                            ・

 

こんな具合で今回もとても楽しい懇親会でした。 そして誰言うともなく「『幹事君』来月も楽しみにしてい
る。 よろしく頼むぜ。」と別れの挨拶を交わしながら三々五々散っていきました。          ・








































7月19日



ギターの発表会がありました

安芸区民文化センターで以前私が所属していたギター教室と関連教室(バイオリン、チェロ、ピアノ等)合同
の「発表会』がありました。 私は現在は教室のメンバーではありませんが、かつての仲間たちが演奏しまし
たので成長の様子を見せてもらいました。                             ・

『枯れ木2号さん』はギター部門のトップバッターで、ショパンの有名曲『エチュードOP.10-3ホ長調
』を演奏されました。 『別れの曲』という曲名で有名ですが、彼は頑なに『別れの曲』とはいいません。・
彼が最も愛している曲なので、敬意をこめて本来の名称で呼ばれています。              ・

酔わせるような雰囲気のいい曲であるだけに、より高い表現力が求められますが、何とか乗り切られて『まず
まず』の演奏だったと思います。 ビギナーが偉そうに『まずまず』と評価するのは失礼かと思いますが、そ
らく『2人会』ではこの曲を『メイン』に演奏されると思いますので、更に磨きをかけて戴きたいという思い
です。                                             ・

演奏会が終わって車に同乗させていただきました。 車中で意見を述べあいましたが、「全般に音が小さかっ
た。」ということで意見が一致しました。 『枯れ木2号さん』が音を押さえて雰囲気を出そうとしたことに
起因したとも考えられますし、会場の音響効果によるものとも考えられました。 さてどちらでしょう。 慰
労会は近々我が家でやります。                                  ・

『発表会』といえば、『ギター弾きの孫娘』から連絡がありました。 「先日の大学での演奏会で、もっと音
が出るいいギターで演奏したいと思った。 夏休みに京都の楽器店に立ち寄ってみたい。」 わざわざ私に連
絡して来るということはそういう含みがあるということ。 恐ろしや。                ・


































































7月16日



『黄昏亭』を開店しました

『39堂主人』をお招きし『黄昏亭』を開店しました。 先日彼から「トマトが熟れているので取りにこない
か?」とお誘いのメールがあり、大玉、中玉、ミニトマトを沢山いただきました。 そのとき、(私の心の中
では)「次の『黄昏亭』のメインディッシュは『フレッシュトマトのスパゲッティー』で決まりました。 ・

もう1品なにか? これは悩むところですね。 「スパゲッティーに合うサイドディッシュなぁ。、さて。」
と考えていたら料理好きの英会話の先生が『キニラウ』というフィリピンの『酢の物』料理の話しをしてくれ
て、これがいいヒントになりました。                               ・

酢魚は『コノシロ』、野菜は『キューり』『オクラ』『茗荷』『ルッコラ』に『ミニトマト』、シーズニング
は『ラッキョウ酢』です。 ラッキョウ酢の使い勝手はなかなかいいですね。 そして、こんな具合に仕上が
りました。 (メインディッシュの方は7月12日の画像の使いまわしです。)            ・

 


 

お供はもちろん『白』にしました。 ワインと『酢の物』が合うかどうか・・・私的には違和感はありません
でしたが、『39堂主人』は「そんなことはどうでもいい。」という体でグラスを傾けていました。   ・

さて雑談。 「ワシの茶飲み友達の間で『愛子天皇』是か非かという議論が続いているんだが、これは正直ど
うなんだ?」とかなり真面目なご下問がありました。 「かつては女性天皇がいたと聞くが、それなら『愛子
天皇』でもいいのではないか。」というのが論旨でした。                      ・

まず最初に「初代神武天皇から第126代今上天皇まで2,600年間男子一系で1つの王朝が続いているこ
とは知っているよね。 つまり初代神武から今上天皇まで同じ血筋で繋がっているということ。」 「ほんま
か?」                                             ・

その間、10代8人の『女性天皇』があられた。 この方達はいずれも天皇の血筋であられた。 しかしこの
方々は全て野球でいう『リリーフ』で、しかも結婚されなかったか、子供をお生みにならなかった。 この方
々がもし天皇の血筋でない男性と結婚し子供をもうけ、その子が天皇に即位するとそこで王朝が別の男性の血
筋へと入れ替わる(これが『女系天皇』)ことを知っていたんだね。                 ・

昔の人々はこうして知恵を働かせて男子一系を守ってきたわけだ。 『皇室典範』ではすでに後嗣殿下が決ま
っているので法律上『愛子内親王殿下』が天皇に即位されることはない。 でも仮に『愛子内親王殿下』が天
皇に即位したとすると、『愛子内親王殿下』に旧宮家の中の神武天皇の血筋を継ぐ男性以外とは結婚するな、
または子を生むなというご負担を押し付けることになる。                      ・

「このように『女性天皇』と『女系天皇』は全く違う。 この違いを認識しないまま『愛子天皇』を語るのは
危険だよ。 『大御心、大御宝』というように我が国は古来から天皇は私たちの精神的バックボーンとして存
在されてきたわけだ。 こうして昔の人々は『男子一系』を守るために様々な努力をしてこられた。これは『
王朝が乱れれば国が滅ぶ』という古来からの考え方に基づく。                    ・

【参考】

第46代『孝謙天皇』の寵愛を受けた僧『弓削道鏡』が、「道鏡が皇位を継ぐべし」とご神託を受けたと主張
し皇位簒奪を図った事件があった。 このとき朝廷は『和気清麻呂』を宇佐八幡宮に出向かせ、ご神託の真偽
を確かめさせた。 その結果道鏡の企みが露見し、追放されることになった。             ・

平安時代に権勢を誇った藤原家、中でも『この世をば、我が世とぞ思う望月の、欠けたることもなしと想えば
』と詠んだ藤原道長は3人の娘を天皇の妃にし天皇の外戚になったが、息子と『内親王』との間に生まれた孫
を天皇にすることはできなかった。 もし内孫を即位させれば、これが『女系天皇』であり、藤原朝に変わる
ことになった。                                         ・

第25代『武烈天皇』は後嗣に恵まれなかった。 そこで大友氏や物部氏の推戴を受けて『応神天皇』の5世
の子孫(当時越前にお住まいだった)『継体天皇』が即位され、皇統断絶の危機を救った。       ・

新井白石は皇統の断絶を懸念して、新宮家の創設を進言、『閑院宮家』を創設した。 第118代『後桃園天
皇』(子は『内親王』のみ)の急逝をうけて、急遽『閑院宮家』から養子を迎え第119代『光格天皇』が即
位された。 以後今上天皇まで『閑院宮家』の系統が続いている。                  ・

このように昔人は様々に知恵を働かせて皇統を守ってきたよ。 こんなことに全く知識のない小泉総理が『女
系天応』の検討を言い出した。 これに勢いを得て、何としても『天皇制』をぶっ壊したい、それによって日
本という国をぶっ壊したい人々、左派学者、共産党、左派政治家、左派メディア、左派活動家が『女系天皇』
容認論を言い出しているわけだよ。 『女性天皇』『女系天皇』の本質を理解しないまま『愛子天皇』をいう
ことは、そういう反日勢力に利用されるということだ。 気を付けた方がいいよ。」          ・

『話は続く』

「それはそれとして、今回の選挙ではワシは参政党に投票しようと思う。 自民党は余りにひどい。 おまえ
は参政党をどう思うか?」 「参政党はみたところ保守政党だし、言っていることがまともだからいいんじゃ
ないか。 ただ、石破政権の中国政策は評価できると言っているので私は支持しない。 政策に『パクリ』が
多い。 それに党首にうさん臭さを感じている。」                         ・

「とすると、どこなん?」 「私は『日本保守党』を支持している。 もう投票も済ませた。」 『なぜ『日
本保守党』なん?」 「結党以来政策にブレがない。 そして3つの主要政策にも賛同できる。 食品の消費
税(酒を含む)の恒久的な廃止、野放図な移民政策の是正、再エネ賦課金の廃止だ。」         ・

「しかしワシは消費税の廃止には賛成できん。 社会保障費の財源が不足する。 2万円給付の方がいいと思
う。」 「そういう人がいるから今まで自民党と財務省の思うがままにやられてきたんじゃないかな。 2万
円の給付金にだって財源がいるんだよ。」                             ・

「食品の消費税がゼロになっても、精々10円とか20円のことじゃろう。 まとまった金が入った方がいい
んじゃないか?」 「まてまて、平均給与400万円、エンゲル係数23%で計算してみな。 食費は100
万円近い。それに8%の消費税がかかるから消費税額は7~8万円になるだろう。 この7~8万円が新たな
消費に回れば経済は活性化し税収は増えて国庫は潤う。 減税分は税収が追いつくまで、このところの所謂『
上ブレ』で十分カバーできる。                                  ・

「少し勉強した方がいいよ。 数量政策学者の高橋洋一先生、森永康平さん、三橋貴明さんなどのユーチュー
ブで勉強できるはずだ。 そうすると自民党や財務省の欺瞞に気が付くようになると思うよ。」     ・

「しかし、日本ファーストの参政党には勢いがあり、今回は議席をのばすだろう。 一方『日本保守党』はい
かにも世帯が小さい。 そんな弱小政党に大きな仕事ができるだろうか。」 「今はSNSの時代だよ。 強
烈な政治家の国会での活躍がリアルに見えるようになった。 『日本保守党』の島田洋一議員はたった1人で
『選択的夫婦別姓法案』を潰した。 そしてそれがSNSを通じて瞬く間に世間に広まり世論を喚起した。・
数を頼む政治の世界は変わるよ。 今後は政治家の資質が求められる。 『日本保守党』には重量級の候補者
が揃っている。 百田直樹、有本香、梅原克彦、北村晴男、何れも一騎当千の強者だ。 今の政治家で彼らに
太刀打ちできる人がいるとは思えない。 もし彼らが国会に行ったら世の中は大きく変わるよ。」    ・

『39堂主人』は真顔に変わり、「今日はいい勉強になった。 貴重な時間だった。 ワシもユーチューブを
活用してもっと勉強してみたい。」と言い残して去っていきました。                 ・






















































7月14日



ボロネーゼ

今日は『赤』の気分。 『ボロネーゼ』が『赤』に合うということなので早速作ってみました。 レシピ集に
よれば『玉ねぎ』や『セロリ』などの香味野菜を油で炒め、焼いたひき肉とワインで煮て作るそうです。 こ
れは少し厄介なので、今回は『レトルト』を使って作りました。                   ・

ただ単純に『レトルト』を使うだけでは能がないと思い、『アーリオ』『オーリー』『ペペロンチーノ』に『
レトルト』を加えて、スパゲッティーの煮汁で伸ばして私なりのソースを作りました。 『レトルト』には既
に適量の塩分が入っているので、茹で汁にはほんの小量の塩を加えました。              ・

茹で上がった麺は一旦ソースを絡ませて盛り付けます。 こんな時『イタリアン・パセリ』があるといいので
すが、こんなに屡々スパゲッティーを作るようになると思っていませんでしたので、植えそびれてしまいまし
た。 『イタリアン・パセリ』は比較的熱に強いですが、『バジル』は火がはいるとすぐに黒ずんでしまいま
す。 従って盛り付けた後でちょっとアレンジしてみました。                    ・


 

『ボロネーゼ』と『赤ワイン』はとても相性がいいですね。 肉系の料理にはやはり重い『赤』がよく合うよ
うで、『なるほど』と頷くところがあります。 『味わい分け』も料理の楽しみの1つですね。     ・
















































7月13日



ボンゴレ・ビアンコ

冷凍庫に『あさり』が残っていました。 それで『あさり』を使ったスパゲッティーを作ってみました。 『
ボンゴレ・ビアンコ』、『ボンゴレ』とは『アサリ』、『ビアンコ』とは『白』を意味するようです。 つま
り『アサリ』を使ったノーマルカラーのスパゲッティーということです。 ちなみに、『ボンゴレ・ロッソ』
はトマトが入った赤い色のスパゲッティーで、『ロッソ』とは『赤』という意味だそうです。      ・

手順は『にんにく』の香をオリーブオイルに移し、『唐辛子』を加えた中に『アサリ』を入れて暫くソテー、
それに『白ワイン』を加えます。 『アサリ』が煮えたら70%程度茹でた麺を入れて混ぜ、麺にしっかりと
『アサリ』の味をしみ込ませます。 汁気が少なくなったら『茹で汁』(塩が入っています)を加えながら麺
が煮上がるまでソテーします。 後は『パセリ』などを降って盛り付けます。             ・

 

お供はやはり『白ワイン』ですね。 『アサリ』は冷凍すると味が濃くなるという話しがありますが、フレッ
シュな方が見栄えがいいし、身もふっくらしています。 冷凍『アサリ』は火が入っても口を開きにくいので
そこはご自分で処理しましょう。                                 ・
































月12日


               
フレッシュ・トマトのスパゲッティー

田舎から沢山の野菜が届きました。 段ボール箱には、「女手でよくこれが運べたものだ。」と思うほど様々
な野菜がぎっしり詰まっていました。 ジャガイモや玉ねぎなどの重量級に混ざって『トウモロコシ』やぶっ
とい『キュウリ』、完熟『トマト』などが入っていました。 感謝。                 ・

そうだ、今日はアレをやろう。 完熟トマトを使って、『フレッシュ・トマト』のスパゲッティーを思い付き
ました。 材料は『ニンニク』『唐辛子』『トマト』『ベーコン』と『バジル』です。         ・


 

先ずは大形『トマト』1こを細かく切ります。 大きめのミニトマト大。 これをボールに入れて小匙2くら
いの砂糖を降ってよく混ぜておきます。 微塵に切った『ニンニク』の香をオリーブオイルに移し、『唐辛子
』の輪切りと『ベーコン』(薄切り)を加えた中に先ほどの『トマト』を汁ごと加え、スパゲッティーの煮汁
を加えながら『トマト』が完全に煮崩れるまで煮ます。                       ・

スパゲッティーが茹で上がったら『トマトソース』の中で絡ませてから盛り付けます。 スパゲッティーの上
からトマトソースをかけ回し、『バジル』をあしらって完成です。 お供はもちろんしっかり冷えた『白』・
















































7月11日



ペペロンチーノ

このところスパゲッティーに凝っています。 『餌』として作れば簡単料理ですし、100円パックを使えば
目先も変えられることから、料理に疲れた日にはこれに重宝してきました。 ですが、某スイーツ店の樽出し
ワインに出会ってから状況が一変しました。 このワインで美味しくスパゲッティーを戴きたい。    ・

駆け出しですから、先ずは基本の基、『ペペロンチーノ』を作ってみました。 材料はアーリオ、オーリオ、
ペペロンチーノ、つまり『ニンニク』『唐辛子』『オリーブオイル』です。 これに『イタリアン・パセリ』
が少量というシンプルさです。                                  ・

もちろんこれにも様々なバリエーションがあるでしょうが、その中でももっとも『基』なるものです。 『ニ
ンニク』1片を微塵に(スライスでもクラッシュでも構わない)、これを多めのオリーブオイルに入れて火を
点け焦がさない様にゆっくりと沸かし、香をオリーブオイルにうつします。              ・

唐辛子の種をのぞき、薄い輪切りにしオリーブオイルに加えます。 弱火で焦がさないように。 麺は1.6
mm、茹で時間7分の『デュラムセモリナ』、ただし今のところ麺に凝りはありません。 これを塩大匙1と
たっぷりの湯で時間通りに茹でます。                               ・

茹で上がったら先ほどのオリーブオイルソースと混ぜ合わせ、上質のバージン・オリーブオイルを少量追って
盛り付けます。 最後に微塵切りのイタリアン・パセリをチョイ。 これで完成という簡単さです。 今回は
イタリアン・パセリの代わりにバジルの微塵切りにしました。 (これしかなかった。)        ・


 

美味しさのポイントはバージン・オリーブオイルの質かと思います。 結構高いですから上質と言っても最高
級には手が出ません。 従ってほどほどのところで。 そしてこのペペロンチーノには何といってもギンギン
に冷やした『白』ですね。                                    ・





































7月 9日


ボランティア・ガイドが終わりました

暑かったですよ。 10時、『爆心地』の説明を終えたとき、「これは危ない。」と感じました。 そして『
原爆ドーム』の説明に入る前にトイレに駆け込みました。 水道の水をシャツにたっぷり振り掛け、帽子も十
分に濡らして説明に戻りました。 もしこれをやっていなかったら・・ちょっとヤバかったかも知れません。

加えて完治していない膝の痛みに耐えなければなりませんでした。 平地は何とかなるのですが、段差がいけ
ません。 平和公園は比較的フラットですが、午後の宮島が思いやられます。 でも引き受けた以上は責任が
あります。 できるだけ脚を引き摺らないよう、何食わぬ顔で頑張りぬきました。           ・

でもあの転倒がトラウマになって、歩みがとても怖かったです。 転倒し、膝を打ち、頭を路面に打ち付けた
あの痛みが潜在化ししっかりと頭に残っています。 暑さと相俟ってとても厳しいガイドになりました。 ・

今回のゲストはカナダから、といっても所謂西洋人ではありませんでした。 親世代に移民した奥様は中国人
ご主人は韓国人でした。 そして息子さんが2人。 引き受けた時お名前から「これは東洋人かな?」と思っ
ていましたが、当りでした。 でもかの国にありがちな尊大さはなく、とても穏やかな人達でした。   ・

『慰霊碑』までいつも通りの説明を終えて『資料館』にご案内しました。 待ち合わせの手違い(新幹線口で
待ち合せることにしていたのに、すり抜けて何故か中央口で待っていた)や、ホテルでの手間取りなどでこの
時もう1時間遅れになっていました。 これはもう回復不可能です。                 ・

お昼を『お好み村』で済ませ、路面電車で宮島に向かいました。 広島駅に引きかえし、JRで宮島口まで行
くこともできますが、時間的にはむしろ路面電車が早い。 ただ変化がないためとても長く感じます。 宮島
に入った時はもう4時前、「もう大聖院には入れません。 山門まではご案内しますが境内は諦めてください
。」とお断りして、干潮の『大鳥居』を経由して『厳島神社』にご案内しました。           ・

『厳島神社』に今も残る『平安文化』をビデオを活用しながら理解して頂き、歴史ある神社を十分に楽しんで
頂きました。 明後日が『管弦祭』です。 既に管弦船、雪洞、神輿など祭礼の準備が整えられていました。
これは好都合でした。 より身近に平安文化を感じて頂けたのではないかと思います。         ・


 

『厳島神社』をしっかりと楽しんで頂いたあと、すでに閉門となっている『大聖院』の山門までご案内し今日
のガイドを終えました。 『平和公園』では興味薄だった少年たちも宮島では興味津々、目を光らせていたの
が印象的でした。                                        ・






































7月 4日


縁切り包丁

「世の中にこんな言葉があるだろうか?」と思いネットで検索してみました。 『縁切り包丁』 おぞましい
言葉ですが・・・これがあったんですね。 「刃物を相手に贈るのは縁を切る証です。 うちの方では『縁切
り包丁』と呼ばれています。」とありました。                           ・

「うちの方では」と断っていますから、投稿者も「一般的に使われている言葉ではない。」と暗に示唆してい
るのかも知れません。 少なくとも私の近隣ではそういう言葉を聞いたことはありません。       ・

何れにしても余りいい言葉ではないかと思います。 なのに何故そんな言葉を持ち出したのかということです
が、実は私が毎日使っている『三徳包丁』が先日刃と柄の間でポッキリと折れてしまいました。 カボチャの
皮は固いですから力任せに押し込んだ拍子にポッキリと。                      ・


 

この包丁は『菩薩様』がデパートの催し物『江戸伝統工芸展』(名称は定かではありません)で見つけてきた
もので、『10.2.7』と日付が刻んでありました。 つまり約28年間毎日使い続けたことになります。
これは『菩薩様』専用で、私には使わせて貰えませんでした。                    ・

『菩薩様』の調子が悪くなったころ、14年くらい前になりますが、私が台所を変わることになり、それ以降
私がこの包丁を使うようになりました。 使ってみると適当な重さがあり、切れ味がよく、研いでみるととて
もよく刃が立ちました。                                     ・

その『菩薩様』の思い入れが入った包丁がポキリと折れてしまったとき、すぐに思ったことは、「これは何か
の啓示なのではなかろうか。」ということでした。 私も古いタイプの日本人です。 「これって、『菩薩様
』がもう縁を切りたい。」と言っているのではなかろうかと大真面目に考えたのでした。 その時私の頭に浮
かんだワードがこの『縁切り包丁』でした。 これはそんなお話しでした。              ・


さてこの包丁をどうするかです。 製造元に問い合わせてみましたが、修理はできないようです。 刃と柄の
間が錆びて完全に折れていますので、支えになる部分がありません。 「以前はこういう部分の修理ができる
職人がいたのですが、もういなくなってしまいました。」と言います。                ・

ネットで探した他の金物屋さんにも相談してみましたが、色よい返事はありませんでした。 現在は1世代前
の包丁を引っ張り出して使っています。 この包丁も広島では名の知れたメーカーの包丁ですが、切れ味が全
く違います。 それに重みが足りません。                             ・

『切れる刃物で機嫌よく』というキャッチフレーズがありましたが、全くその通り。 「切れんなぁ。 切れ
んなぁ。 研いでも刃が立たんなぁ。」と思い乍ら使っていると料理も楽しくありません。 また料理の見た
目も綺麗でありません。 結局新しいものを買わざるをえないのかもしれませんが、これが結構お高い。 ・

































6月30日


ボランティア・ガイドが終わりました

積み残しのリクエストのリストを送ってもらって、調べていたら直近に何とかやれそうな依頼がありましたの
で引き受けることにしました。 イタリアの中年のカップルで、今日の10時から12時までの2時間で『平
和公園』と『広島城』を案内してくれという依頼でした。                      ・

「それは時間的に無理です。」と返答したら、「じゃ、平和公園だけでいい。」といいます。 「資料館は?
」と更問すると、それでも「平和公園だけでいい。」ということでしたので了解して、10時に『原爆ドーム
』前で落ち合うことにしました。                                 ・

今日も暑くなりそうです。 『熱中症』を予防しなければと思い、近くのコンビニで『経口補水液』を買って
飲んでおこうと歩きました。 ところが、横断歩道を渡り始めて数歩歩いたところでいきなりバッタリと倒れ
左膝と右顔面をしたたかに打ってしまいました。                          ・

触って見ると額には血が滲んでいるらしく、手のひらがが赤く染まりました。 すぐに公園内のトイレに駆け
込み鏡をみると何と無残な擦りキズから血が流れています。 流水で血を洗い流し、ティッシュペーパーで傷
口を押さえてコンビニならぬドラッグストアーを探すことになってしまいました。 膝にもキズがあるらしく
、パンツの脛のところが赤く汚れています。                            ・

それから膝には大形のバンデージを貼り、額の傷には『速乾液体絆創膏』を縫って目深に帽子をかぶって何食
わぬ顔でガイドをつとめました。 相手にもよりますが、『平和公園』は1時間半あれば主なモニュメントの
説明ができます。 今回は1時間20分程で終わりましたので残った時間で『資料館』を見学するようにお勧
めしました。                                          ・

『平和公園」を見て、『資料館』を見て初めて原爆被害の実相が理解できます。 納得のご様子でしたので内
心『そら見ろ!』と思いました。 そして丁度昼時、これからどうするのかなと思っていたら、「私たちはこ
れからレストランで昼食にします。 ここでお別れします。」といいます。              ・

「随分ドライだなぁ。」とは思いましたが、それは先様の選択ですから何とも。 でも、ランチと交通費は受
益者負担、これがルールです。 彼らと別れた途端歩行困難になるし、目はかすむし、最悪のガイドになりま
した。 さて次のガイドは来月9日、それまでには怪我を治しておかなければ。            ・













































     



6月27日



梅雨明け


早々と梅雨が明けました。 平年より22日早く、去年より24日も早かったそうです。 たった19日の梅
雨というのは記録的ではないでしょうか。 実は昨日『三水会』で梅雨明けの話しが出たばかりでした。 「
いくら晴れが続いていても、もう梅雨明けってことはないじゃろう。」と言ったのですが、『口の下から』で
した。                                             ・

「夏来る。」と聞いた途端にベランダの『バジル』がダウンしていました。 よく水を飲む植物なので、これ
から先は目が離せなくなります。 これは嬉しいことですが・・・自称『梅雨の病』が短かくて済みました。
毎年得体のしれない『怠さ』に苦しめられるのですが、今年はさほどではないまま梅雨があけました。 「助
かったなぁ。」と思っています。                                 ・

それは私的には嬉しいことですが、ひょっとしてこの夏『水不足』に見舞われるのではないかと心配になって
います。 梅雨の間にある程度降るには降ったのですが、山が十分に保水するほどの雨量だったかどうか、少
し足りなかったのではないかと思います。                             ・

この辺りはさほどではありませんが、広範囲に山を削り、ソーラーパネルを敷き詰めたエリアでは何某かの影
響があるのではないでしょうか。 今に自然のしっぺ返しがあるかも知れません。 何時だったかな、まだ私
が広島に越してきて間もない頃だったと思いますが、広島でも深刻な水不足がありました。 あの経験はもう
したくないものです。 私たちはもう少し賢くならなければいけないのではないでしょうか?      ・

余談ですが、その時『馬の背を分ける』という言葉を聞き覚えました。 夕立ちなどがある所を堺にして降り
分ける事象をいいます。 山の向こう側では明らかに降っているように見えるのですが、こちら側では2粒3
粒が落ちる程度、そんな経験がありました。 その雨、こちらにも回って欲しいと思ったものです。   ・