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3月16日



ボランティア・ガイドが終わりました


『15日』
                                         ・
15日、16日、雨の2日間、ロンドンからお越しのカップルをご案内しました。 ご主人65歳、奥様












































3月 8日


路上観察in宮島


今年最初のボランティア・ガイドが近づいてきましたので、下見と運動を兼ねて宮島に行ってきました。 因















































3月 7日



『高齢者講習』を受けました


これが2回目の『高齢者講習』でした。 よくご存知でしょうが、講習での検査は3つです。 ①高齢者講習
































3月 2日



壮行会

孫娘、孫息子が東京の大学に進学することになりました。 2人とも今月20日前後に上京しますので、『菩


























2月26日

三水会

月一の『三水会』がありました。 今日の参加者は5名、久しぶりにお目にかかれると楽しみにしていた『茅


















































2月20日



友達としゃべりました

近くの海べりに『ゲストハウス』があります。 宮島に近いですから結構外国の方が利用しているようです。





















































2月17日



雑談”あれこれ”

野菜の値段が少し下がりました。 『産直市場』で大形キャベツ1個が200円になっていました。 これは









































































2月15日

第1回『一人路上観察学会』(2)













































2月13日


第1回『一人路上観察学会』(1)


『地御前村出征兵士記念碑』                                   ・

今日『一人路上観察学会』を立ち上げました。 エクササイズをかねて路上を観察して歩き、観察の目を養い



























2月11日



路地観察

英会話の先生が問います。 「おや、久しぶりねぇ。 お正月以来だけど、どのように過ごしてたん?」 私

































2月 2日



鰯を焼いて『邪気払い』

寒さの底だけれど、暦上は明日は早くも『立春』ですね。 そして今日は『節分』です。 『節分』は各季節
























































1月31日



『バレンタイン』近し

1月も終わりですね。 そして極寒の始まりになります。 今朝、今年初めて早朝の室内気温が14度まで下

















































4月27日



久しぶり、コンサートに行きました

『枯れ木2号さん』宅での慰労会、『三水会』など出掛けることが多かったし、9か月ぶりにギターのレッス
ンを受けたりと慌ただしい日が続きました。 今日もガイドのスケジュール作りに精を出していたのですが、
英会話のレッスン直前になって今夕『コンサート』があることを思い出しました。           ・

17:30開場、18:00開演だったのですが、気付くのが遅く、もはや英会話のレッスン時間を変更する
ことも出来なかったので、50分授業を30分で切り上げさせて貰って出掛ける準備を急ぎました。 先生と
しては生徒の都合でレッスン切り上げとなった訳ですから、まぁラッキーだったでしょう。       ・

コンサート会場は平和大通り沿いの『クリスタルビル』19階の『ライブ・ジューク』でした。 それで、ど
んなコンサートだったかというと、クラシック? ジャズ? ロック? どれなんでしょうね。 説明によれ
ば「バイオリンをフロントに、ロックポップスをオリジナル・アレンジで演奏します。」ということで、どん
なジャンルに当るのか私には分かりません。                            ・

グループの名前は『JUN TONIC』、JUNはバイオリニストのお名前、TONICはバックのメンバ
ー達(それが炭酸水)のことで、『ジン・トニック』にかけています。 なお、バイオリニストは広響の第1
バイオリンのメンバーでとてもお美しい方です。                          ・

今回の演奏は『パンデミック』を挟んで4回目になります。 私はこの内2回目、3回目、今回と3回聴かせ
て頂きました。 不遜にも「クラシック以外は音楽ではない。」と思っている私が何故このコンサートに興味
を持ったのか、そのキッカケが何だったのか思い出せません。 広響のコンサートの後の交流会でこの方から
聞いたか、この方のフェースブックに乗っていたか、そんなことだったろうと思います。        ・

どういう訳かこの方とは結構親しく話してきました。 よく冗談で言っていましたよ。 「あなたはズルい人
だ。 才能も美貌も経済力も全てを独り占めしている。」って。 お姉さまもバイオリニストですから、きっ
とお嬢様育ちでクラシック一筋と思っていましたが、若いころから現代音楽にあこがれていて、どちらに進む
か迷った時期もおありだったようです。                              ・

そういう思いがあって、このようなコンサートを企画されたようでした。 演奏曲目は多岐にわたりました。
ロック調にアレンジされた『チゴイネルワイゼン』、葉加瀬太郎の『情熱大陸』、南こうせつの『神田川』、
さだまさしの『精霊流し』、もちろんこれらもロック調にアレンジされています。           ・

最後はロック、何がロックなのかよく分かりませんが、その中に有名曲のフレーズを挟んだりして、会場を沸
かせていました。 ワン・ドリンクの勢いもあってか、約100人の聴衆は乗りに乗って手拍子でワッサワッ
サ、そして私も次第に引き込まれていく具合でして。                        ・

会場入り口で広響のビオラ奏者と出会いました。 そして開演を待つあいだ立ち話をしました。 広響を退職
した後、契約社員として働いてきましたが、あと5か月でお終いだそうで、その後はたっぷりと時間があるの
でギターを弾きたいと言っておられました。 「初心者なので手ほどきをして欲しい。」と頼まれましたが、
冗談じゃない。 こういう人はとんでもない才能をお持ちですから。                 ・
































月19日


               
一人路上観察学会in大阪

前立腺癌手術後の経過観察のために大阪に行ったついでに1泊して大阪をぶらついてきました。 前夜にホー
ムタウン出身の後輩と逢ってホテルの近くの居酒屋で一杯飲みました。 「明日は大阪城に行ってみようと思
っている。」と話したら、「桜はもう終っとるよ。」とアドバイスされました。            ・

「いや、桜じゃなくて、石を見ようと思っている。」と答えて、今日は大阪城から出発することにしました。
そんなことで今日はまずホテルから『大阪城』に向けて歩きました。 途中いきなり頻便が起こりましたので
喫茶店に入りコーヒー1杯でトイレを拝借しました。                        ・

『大阪城』に入るとこれは驚き、これが世にいう『オーバーツーリズム』という奴ですね。 広島や宮島にも
結構な外国人が訪れていますが、規模が違います。 格段に多いのはやはり中国人です。 それに最近は中東
北アフリカ、南アメリカからも多くの人が押し寄せているようです。 ツアー客が多い。        ・

私は英語以外は耳に馴染みませんが、スペイン語、ポルトガル語と思しき言葉が飛び交っていました。 特に
耳につくのはもちろん『チャンチュン・チャンチュン』(私にはそのように聞こえる)です。 ボランティア
・ガイドとの待ち合わせ場所に座っていると4~5名の若い中国人女性が騒がしく写真を取り合っています。
余りに長いものですからつい「うるさい。 静かにしろ。」と窘めてしまいました。          ・

そのような喧騒が『大手門入り口』から延々と続きます。 それが総じて気遣いもなく流れていきます。 そ
れはそれとして、我が観察学会では、まず大手門の『控柱』の『ねつぎ』に着目しました。 『控柱』は左右
とも基礎から1mくらいのところで『ねつぎ』されているのですが、とくに右側の柱がユニークな次ぎ方にな
っています。                                          ・
 
 

さて、これはどの様にして継いだのでしょうか? 考えてみて下さい。 一見不可能に見えますが、現実に継
いでいるんですね。 私は裏を見たり、表を見たりして一応の結論を得ました。 これだと確かに継げそうに
はあるのですが、工事がどの様に行われたのか、例えばジャッキ・アップの方法とか、そこが分かりませんか
ら、私の考えが正しいかどうかは分かりません。                          ・

『大手門』を潜ると、そこが『大手口桝形』です。 敵の侵入を食い止める役割のエリアですが、その正面に
巨大な『大手見付石』がデ~ンと座っています。 この石は表面積29畳(場内第4位)で大手2番石(第5
位)、大手3番石(第8位)を従えています。                           ・


 

手前が1番石、向こうが2番石です。 人が立っていますが、比較するとその大きさが想像できるでしょう。
これらの石は香川県の小豆島から運ばれたものと言われています。 『大手口』に侵入した敵もその威容に思
わず圧倒されるでしょう。                                    ・

それから内堀に沿って進み、『桜門』に至ります。 『桜門』は2つの大きな石に挟まれていますが、これが
『龍虎石』です。 右側が『龍石』、左側が『虎石』です。 雨に濡れると『龍虎』が姿を現わすといわれて
いますが、今日は快晴、真偽不詳です。                              ・

『桜門』を潜るとそこは『桜門桝形』で『本丸』への入り口になります。 『桜門』の正面には『蛸石』と呼
ばれる巨岩があります。 この石は場内第1位で36畳、108トン、岡山藩が備前産の花崗岩を運んだと言
われています。                                         ・
 
 

これが何故『蛸石』かということですが、 左下部の紋様がそれとなく『蛸』に見えることに由来しているそ
うです。 そう思ってみればそのようにも見えます。 『蛸石』の左が『振袖石』で場内第3位、33畳の大
きさです。 『蛸石』の正面、『桜門』を潜って右側の石組がとても美しいです。 造形美といってもいいと
思います。 特に説明書きもありませんでしたが、この石組は私のお気に入りです。          ・


 

石垣の中には『刻印石』があります。 全国64の大名が石材を持ち込んだといわれていますが、それぞれが
存在感を示すために家紋などを刻んだ石のことです。 天守の台座にもあるはずだと思い探してみましたが、
西側の石垣に1つだけ見つけることができました。 でもどの藩の刻印なのか、そこは分かりません。  ・

 

天守を囲む石垣の上部には整然と『銃眼』が刻まれています。 「アッ! これは。」と気が付いて写真をと
りました。 そして周りを見渡せば全ての石垣の上に『銃眼』が等間隔に並んでいました。 銃を操作しやす
いように手前を深く切り込んでいました。 石工が何人くらい集められたのだろう、この作業だけでも大変な
労力だったろうと思います。                                   ・

 

最後にこの写真を撮りました。 天守を囲む夥しい石垣です。 どれくらいの石が使われているんだろうと思
い調べてみたら、何と大小100万個もの石が使われていると聞き驚きました。 大阪城は豊臣秀吉が築城し
たと思っていました(それは事実です)が、現存するものの多くは天守閣を含め1620年代に徳川幕府によ
り建造されたと聞き、知識の浅さを恥じた次第です。                        ・
  
 

それから『高津神社』に向かいました。 『こうず神社』、『たかつ神社』とも読みます。 交差点で信号待
ちをする間、老婦人に「『たかつ神社』はどの辺りでしょうか。」とお尋ねしたら、「あぁ『こうず神社』で
すね。」と言われました。 現地ではその呼び方の方が一般的なんでしょうね。            ・

『高津神社』は『仁徳天皇』のゆかりの地で、この近くに『御所』があり、『民の竈』の逸話で知られる丘の
辺りに祭られていて、祭神はもちろん『仁徳天皇』です。 『民の竈』で知られるように、このお方の事績を
通じて歴代の天皇がこの国の精神的な礎をお造りになられた、それが脈々と現代まで息づいていると私は考え
ています。                                           ・


 

ガイドを通じて他の国の人々のマナーなどに触れるにつけ、明らかに日本人は特殊な考え方が身に浸み付いて
いる民族であることが分かります。 私たちはそういう精神的な基盤を持つ素晴らしい国に生まれてきたのだ
ということを考えざるをえません。                                ・

そういう感謝の気持ちで『高津神社』にお参りし、『仁徳天皇』に感謝の気持ちを申し上げました。 そして
いまこういう素晴らしい国を破壊したいという輩が跋扈している現実を申し上げ、「お救い頂きたい。」とお
願いをしました。                                        ・

それから悪名?高い『道頓堀』界隈をあるきました。 さながら中国人街を思わせる商店が並び、中国語が溢
れ、だらしなく座り込んで『リンゴ飴』をしゃぶっているチジレッ髪とか、そんな中を肩を接しながら歩き、
『心斎橋通り』の異様な混雑さを見て、恐れをなして脇道に逃れ、『御堂筋』を歩いて『淀屋橋』まで戻りま
した。 かなり疲れた『路上観察』ではありました。                        ・
















































4月13日



ボランティア・ガイドが終わりました

1歳の子供を含むオーストラリアの6人家族をご案内しました。 「あゝ、また厄介な国の人を引き受けてし
まったなぁ。」と思っていましたが、比較的聞き取りやすい英語を話される方達でしたので、ちょっと安心し
ました。 それでも暫く考えて、「あゝ、このことを言っているんだなぁ。」と気付くこともありました。・
それにしても、ネイティブの発音と長文の聞き取りがなかなか上手になりません。 ここが克服できればガイ
ドはもっと楽しくなるだろうと思います。                             ・

今回はビデオのストーリーを導線に合わせて見直し、また『拡声器』を使ってまず全体の説明を十分に行いま
した。 ビデオのプレゼンテーション効果は相当に大きかったと思います。 説明しながら皆さんの反応を見
ていると、いちいち頷くなど理解の様子を伺い知ることが出来ました。                ・

宮島ではメインの説明は何といっても『厳島神社』です。 今回のビデオの見直しでは、この神社の成り立ち
からリメイクに合わせ『平安文化』が『厳島神社』の建築様式や神事に取り入れられて来たことを理解してい
ただくことに主眼をおきました。 例えば平安貴族の『船遊び』を『管弦祭』という神事に取り入れた、その
神事の流れをビデオで説明できるように作り変えました。 後は導線の中で「これはビデオで見ていただいた
あのことですよ。」と補足説明をするだけで、「オゝ!」という具合に深く理解していただくことができまし
た。                                              ・

この方達は京都に日帰りされますので十分な時間が取れず、宮島では『厳島神社』のみのご案内でした。 そ
れからすぐに広島に引きかえし、昼食を済ませて『平和公園』『原爆資料館』にご案内の予定でした。 昼食
には『きのこ』にアレルギーがあったり、肉類は避けたいと要望がありましたので『日本食』を提案していま
した。                                             ・

しかし戻りの電車の中で急に『お好み焼き』に興味を示されましたので、急遽『お好み村』にご案内すること
にしました。 実は昨日大阪で『お好み焼き』を食べたけれども、広島風の『そば入り』が食べて見たいとい
うことのようでした。 発端は隣に座っていたご婦人グループのお話しでした。            ・

この店は3組くらいのローテーションで回しているようです。 材料はいいし、どの組のスタッフもとても綺
麗に仕上げます。 スタッフの連携もよくて、見ていてもとても気持ちがいいです。 皆さんそれぞれにオー
ダーされ、さて食べ始めるといきなり「Masa(私のニックネーム)パーフェクトだ。」と親指を立てられ
ました。 皆さん楽しんでおられましたが、私は押してくるスケジュールに気が気ではありませんでした。・

 

『平和公園』では『爆心地』でビデオを使って全体説明をしました。 こちらのビデオも一応見直しをしまし
たが、『厳島神社』ほどには整理できていませんでした。 ここでは『核兵器の恐怖』と『犠牲者を悼み』『
核廃絶と恒久平和を希求する』という公園のコンセプトをもう少しアピールできるものに作り変えたいと考え
ています。                                           ・

最後に『原爆資料館』にご案内し、広島駅にお送りしました。 予定外のことが2つ入りましたので、かなり
厳しいスケジュールになりました。 宮島では「コーヒーが飲みたい。」、広島では『お好み焼き』をじっく
り味わい、赤ん坊に手を取られるなどのハプニングで、広島駅に着いたときには新幹線の発車7分前という綱
渡りのような状況でした。                                    ・

「挨拶なんかいいから、ともかく急げ。」とお見送りしました。 すぐに「間に合いましたか?」とメッセー
ジを送ったところ、「新幹線が2分遅れていたよ。」と返事がありました。 明日は東京に向けて出発し、レ
ンタカーで富士山辺りを見て回るようでした。                           ・






































4月10日


ボランティア・ガイドが終わりました

すっかり『老人力』がついて、確かヨーロッパからお見えになったグループだったのですが、お国の名前を忘
れてしまいました。 ダメです。 思い出せません。 今回のご案内はJNTO(日本政府観光局)経由の依
頼ではなくて、知り合いからの依頼をお受けしたものでした。                    ・

このグループは総勢70名の大所帯でした。 これほどの人数をご案内するのは初めての経験でした。 『九
州のお姉さま』からの依頼でミネソタからお見えになった10人の大学生をご案内したことがありました。・
それはそれで一苦労だったのですが、流石にその比ではありませんでした。              ・

私が属しているクラブに応援をお願いしたのですが、「そりゃぁ無理です。 プロにお願いして下さい。」と
冷たくあしらわれ、それなら自分1人でやり切る以外にないと覚悟を決めました。 そして『ポータブル拡声
器』を準備し、所在が目立つように『カープ』の赤い帽子も準備しておきました。           ・

準備を進めるうちに、サポートして下さる方ができて、私が全体の説明をした後、引率を分担していただける
ことになり、随分と助かりました。 また、中に英語が理解できない人がおられて、英語が出来る人に通訳し
て頂くように考えていましたが、こちらにもサポートがあり、おかげさまで何とか無事に責任を果たすことが
できました。                                          ・

今回は宮島だけのご案内でした。 この人達には次のスケジュールが控えており、限られた時間の中で駆け足
でのご案内で、『清盛像』の前で『厳島神社』の歴史や建築様式、清盛公が招来した平安文化をお伝えした後
は『大鳥居』『厳島神社』、昼食を挟んで潮の引いた『大鳥居』と駆け抜けました。          ・

今日は終始『曇り時々雨』の予報だったのですが、ガイドを終えて帰りのフェリーに乗ったところで雨が降り
始めましたので、全く濡れることなく観光を終えました。 ラッキーな方達でした。 私はそれから電車に乗
ったのですが、最寄りの駅まで戻ったところで丁度雨が上がり、私にとってもラッキーなご案内でした。 ・







































4月 4日


ボランティア・ガイドが終わりました

参りました。 奥様がとてもおしゃべりで、しかも容赦ないアメリカ発音で機関銃の如くくるものですから、
それに何とかついて行くのにもう頭はクタクタ、すっかり草臥れてしまいました。 大体のアメリカの人は「
こいつらどうせ英語が出来ないんだから」とゆっくり、はっきりと話してくれるのですが、気が付かないのか
配慮が足りないのか、全くお構いありませんでした。                        ・

想像して見てください。 2日間懸命に耳をかたむけ、何とかキーワードを掴もうと必死になっている状態が
どんなものか。 例えアメリカ英語でもオーストラリア英語でも暫く話していると次第に慣れてくるものなの
ですが、それもならず、まぁ私の頭の中は最後の最後まで『わやわや』でした。            ・

2日目に彼らが『原爆資料館』に入っている間ちょっとズルをしてCafeでホットミルクを飲みました。・
その時ドイツ人のカップルと相席になって暫く話したのですが、ゆったりと談笑でき、正直この時ほど救われ
た気持ちになったことはありませんでした。                            ・

ということで、今回はニューヨーク郊外からお越しになったご夫妻をご案内しました。 ご主人は73歳で現
役の『皮膚科医』、奥様は72歳で元看護師さんでした。 奥様は2度目の来日で、2022年に広島にもお
越しのようでした。 今回は羽田に入り、箱根、倉敷、尾道、そして広島、岩国から萩、京都、最後に金沢で
娘さんに会って帰国する予定だということでした。                         ・

今回は2日間の行程で、3日に宮島、4日に広島をご案内しました。 初日は行楽弁当を買って、潮の加減で
先ず『厳島神社』、それからケーブルカーで山に登りました。 脚の様子を拝見して、「これは無理だ」と判
断して、『弥山』は諦めていただき『獅子岩』で暫く眺望を楽しんで頂いたあとでベンチに座ってお弁当を食
べて頂きました。 とても満足のご様子でした。                          ・

この日はウイークデーだったのに凄い人出でした。 ケーブルカー乗り場は登り口から凄い行列で、ケーブル
カーに乗るまでに小1時間かかりました。 ケーブルカーには座る余地もないのに無理やり押し込まれました
し、下ってくるとまだ登り口から長い行列が続いていました。 それが殆ど外国の方だったのにも驚きました
。 今日はおそらく終日こんな状態だったのではないでしょうか。                  ・


 

4日はまず『平和公園』に入りました。 『平和公園』はフルコースで、主なモニュメントを全て回り『原爆
資料館』に入っていただきました。 館内は身動きが取れないほどの混雑で、これはとてもフォローできない
と思い、ご自分たちだけで見て頂くことにしました。                        ・

全ての展示には英文の短い説明が付いていますし、『平和公園』内での説明を十分に聞いていただけていれば
「あゝあのことか。」と理解が進むはずです。 それでそのように説明を組み立てています。 ただ、この人
達はどうも『先走り』する傾向にあり、従って館内では見逃したものも多かったのではないかと思います。・
そして私はこの人達と別れ、Cafeでドイツ人カップルと話し込んだと言う訳でした。        ・

時はよし。 本通りを歩いて『お好み村』に向かいました。 実は倉敷で『広島風お好み焼き』を食べた様で
したが、それでも『Okay』ということでした。 かの店は大々的にFBで発信し、なかなかの人気ですが
それ故に騒々しいし、出来上がりも雑なところがあります。 一方この店は落ち着いた雰囲気で、1つ1つ丁
寧に仕上げ、味も申し分ありません。 その雰囲気と味を楽しんでいただきました。 奥様はなかなかの健啖
家でした。                                           ・

 

それから『縮景園』『広島城』と回り、駅裏のホテルにお送りしました。 実は3日目に『錦帯橋』をご案内
する予定もあったのですが、私も彼らもほぼクタクタ、明日は自分達だけで気儘にゆっくりと出発したいとい
う事でしたので、ここでガイドをお終いにしました。                        ・

































3月28日


ボランティア・ガイドが終わりました

『曇り一時雨』の予想でしたが、少し改善して午後になって一時『ほぼ感じないほどの霧雨』が降っただけで
まぁラッキーな方達でした。 今回のゲストはイスラエルからお越しの65歳のカップルでした。 この方達
とは不思議な縁?があって、実は私は昨秋にこの方達から依頼を受けていたのでした。 しかし、キャンセル
された方のお名前までは記憶していませんし、そのことはすっかり忘れていました。          ・

今回依頼をお受けして、先様のWhat’sAppのアドレスをお聞きしスマートホンに登録しようとしたと
ころ、既に同じアドレスが登録されていることに気が付きました。 そこで始めて思い付きました。 あぁ、
この人達は去年依頼してきて、キャンセルされたあの方達だったんだ。                ・

そのことを彼らに話したところ、彼らも少し驚いていた様子でしたが、「実はあの頃はとても危険な状態で時
々ミサイルが飛んできました。 楽しみにしていましたが、キャンセルしなければならないような緊迫した状
態でした。」 そしてあなたには迷惑をかけたと誤っておいででした。                ・

スケジューリングに当り、前もって希望の観光地を確認しておきました。 広島では『平和公園・資料館』『
縮景園』『広島城』、宮島では『厳島神社』『大鳥居』『大聖院』『弥山』を希望されましたが、流石に1日
では回り切れません。 そこで「それは2日間のコースです。 1日コースだと、外せない観光地は『平和公
園・資料館』と『厳島神社・大鳥居』と『大聖院』です。」と提案しご了解を頂きました。       ・

そして今回のご案内は、先ず『厳島神社・大鳥居』『大聖院』、広島に戻って『お好み焼き』『平和公園・資
料館』とご案内することになり、朝9時過ぎに広島駅にお迎えし、荷物をコインロッカーに預けてすぐに宮島
に向かいました。                                        ・

宮島で彼らが感じた印象的な事柄。 『厳島神社』のステージに立って暫く『大鳥居』を眺めていましたが、
振り返って初めて『本殿』をご覧になって『美しい』と感嘆の一言。 『大聖院』の『五百羅漢』像に興味を
示され、その上で「あの赤や黄色のキャップにはどんな意味があるのか?」と問われました。 「それは五百
羅漢の謂れとは関係ありません。 単に趣味の問題です。」 同じく『大聖院』で『観音堂地下の『戒壇巡り
』をお勧めしました。 そして出口に立って「有難う。 いい経験をさせて頂きました。」       ・

宮島をまずまず満足していただいて広島に戻りました。 宮島口での待ち時間に「この辺りでお昼にしてはど
うか。」というのを押しとどめて、「ユニークなレストランを計画しています。 暫く我慢して下さい。」と
『お好み村』に向かいました。                                  ・

今日はこの店のベストパートナー(ローテーションがあるらしい)でした。 手際もいいし、味も格別。 奥
様は『全部入りスペシャル』(シーフード全てに牡蠣をトッピング)、ご主人は『鉄平スペシャル』(肉玉に
ビーフのトッピング)と豪勢に楽しんでおられました。 奥様の食欲には驚かされました。 『全部入りスペ
シャル』を誰よりも早く平らげられました。 なかなか美味しかったとみえます。           ・

 

それから『本通り商店街』を歩いて『平和公園』に入りました。 少し時間が押していましたので『ターゲッ
トポイント』『平和の鐘』『原爆供養塔』はスキップし、メインの『碑めぐり』をした後で『原爆資料館』に
ご案内しました。                                        ・

イスラエルの周りは敵だらけ、『イラン』『イエメン』『ハマス』『ヒズボラ』こうした国や、敵対国から支
援を受けているテロ組織からミサイルやロケット弾が屡々打ち込まれる状況にあります。 どちらに正義があ
るのか、そこは分かりませんが、常に緊迫した状況にあることは理解できます。            ・

そういう国の方々ですから、『資料館』の展示にいたたまれない気持ちになられたのでしょう、僅か30分足
らずで退出されました。 そして小さく『ジェノサイド』と呟かれたのが印象的でした。 今夜は広島駅裏の
ホテルに泊まられます。 広島駅までお送りしお別れしました。                   ・













































     



3月27日



『三水会』


前回の『三水会』の後で『本邦完歩の君』からグループチャットにメッセージが入りました。 みんなでお土
産に『御座候』を買って、それぞれ家路についたのですが、その『御座候』をバスに置き忘れて降りてしまっ
たのだそうです。 そのことに気が付いて、やがて折り返してくるバスを待って事なきを得たという内容でし
た。 それでそのことを揶揄して「『老人力』が付きましたね。」と返信しておきました。       ・

そして今日の『三水会』、ある仲間が市役所に何かのお願いに行ったのだそうです。 ところが担当者が手間
取りなかなか埒があかないので、一言「『老人力』が付きましたね。」と呟いたのだそうです。 そうしたら
それを聞きつけた周囲が大笑いになり、それがたちまち市役所内で流行語になったのだそうでした。 衆人、
身に覚えのあるインパクトのある言葉をベストなタイミングで放ったのでしょう。 これはなかなかいい酒の
肴になりました。                                        ・

実は私にもまぎれもなく『老人力』がついてきました。 ボランティア・ガイドで今月31日にロンドンのご
夫妻をご案内することになっていました。 クルーズ船で早朝に入港し、夕方に出航するタイトなスケジュー
ルでしたが、それでも出来るだけ記憶に残るいい旅をして貰いたと綱渡りのような計画をたてていました。・

さて、いよいよ日にちが近づいてきましたので、行動予定を再確認しておきたいと、先ずはクルーズ船の入港
予定を港湾事務所のHPで調べました。 ところが当日『セレブリティー・ミレニアム』の入港予定がありま
せん。 「そんなぁ」と思い港湾事務所に電話で確認すると「その日にその船の入港予定はありません。」と
そっけない返事。                                        ・

慌てて先様からのメールを確認すると、日程には『May』とあります。 確かに5月31日にはその船の入
港予定があります。 それから先様に提出したスケジュール表を確認してみました。 それには同じく『Ma
y』とあります。 何の事はない『May』と『Mar』を取り違えて記憶してしまっていた訳でした。 ・

それから『平和公園・宮島世界遺産航路』の乗船予定をキャンセル、再予約して事なきをえました。 危うく
3人分の弁当を抱え、港で待ちぼうけを喰らうところでした。 こんなことを話したら、もちろん大笑いされ
ましたが、「まぁいいじゃない。 反対だったらもっと悲惨だよ。」とかまされました。        ・


ということで、今日の『三水会』はいつも通り市中心部の『居酒屋』に屯しました。 総勢は6人でしたが、
今日は珍しい方が参加されました。 『茅渟夢想氏』です。 彼とは長く一緒に釣行してきましたが、私が家
内の病気で釣りを断念した後、彼も同所への釣行を断念されました。 ちょっと危険な場所ではありました。

その後『武漢肺炎』禍があり、その後で1度お宅にお邪魔しましたが、本当に長くご無沙汰していました。・
「あそこでは100尾くらいは釣ったと思います。」というような話しも酒の肴になりました。 その話しを
私に向けられましたので、「私は1000尾は上げたと思います。」と話しました。 これは単に釣り方の違
いによるもので、彼の釣り方では数は望めませんが当れば必ず大物が上がりました。 そんな話しもいい肴に
なりました。                                          ・

「そうか、あなたは私の後任だったのか。」と奇遇を認め合った仲間がいます。 その彼が先月の『三水会』
を欠席しました。 足首を骨折したのだそうでした。 「ほんのちょっとしたことで折れてしまって、家の中
では松葉杖は使えないし、車椅子も狭いところでは使いにくいし、難儀をしました。」と話していました。・

そして今日が初外出だったようです。 電車の中で本を読んでいたら、前を彼に似た人が通り過ぎて行きまし
た。 一瞬彼ではないかと思ったのですが、どんどん後ろの方へ歩いて行きました。 「あれはあなただった
んじゃないか?」と隣に座っていた彼に話すと、それから先のような話しに発展しました。 「こんな話しを
グループチャットで話したら後で何を言われるか分かりませんからね。 それで黙っていました。」   ・

それを引き取って『茅渟夢想氏』が「私も長く参加出来ませんでした。 何を言われているか分かりませんね
。」というと、『本邦完歩の君』が「誰か気に入らん奴がいるんじゃないかと噂をしていました。」と冗談を
かまして、また皆で笑い合いました。                               ・

こんな具合で今日も和気あいあいの内に会を終えました。 私は元々余り飲める方ではありませんでしたが、
それでも確かに急に弱くなったなぁと感じます。 晩酌はほゞしなくなりましたし、こうして仲間と楽しく話
しながら飲む酒は旨いのですが、後がいけません。 暫く本屋さんで酔いをさまして帰路につきました。 ・