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3月16日



ボランティア・ガイドが終わりました


『15日』
                                         ・
15日、16日、雨の2日間、ロンドンからお越しのカップルをご案内しました。 ご主人65歳、奥様












































3月 8日


路上観察in宮島


今年最初のボランティア・ガイドが近づいてきましたので、下見と運動を兼ねて宮島に行ってきました。 因















































3月 7日



『高齢者講習』を受けました


これが2回目の『高齢者講習』でした。 よくご存知でしょうが、講習での検査は3つです。 ①高齢者講習
































6月 7日



『黄昏亭』を開店しました

今日の『黄昏亭』には『39堂主人』をお迎えしました。 ボランティアガイドがすっ飛んだこともあり、い
いチャンスだと思ってお誘いしたところ、即座に同意していただいてお出でいただくことになりました。 ・

彼は「ビールを持って行く。」と言っていたのに、何やら珍しいオーシャンブルーのボトルをお持ちでした。
「シャンパン?」と尋ねると、「ワシは近頃これを飲んどるんじゃ。」といって早速『コルク栓』を開けまし
た。 そして手っ取り早くそこいらにあったワイングラスで乾杯。                  ・

アテには『蒸し鶏と野菜の盛り合わせ』を準備しておきました。 このシャンパンは『シャンパン・ブルー』
というのだそうですが、私は初めて頂きます。 「甘うて飲み口がええけぇ、つい飲み過ぎると酔うぞ。」と
いっていましたが、さほどには感じませんでした。                         ・


 

今日のお昼メニューは『カレー』にしました。 以前彼に、「私の辛い『カレー』を食わせる。」といって招
待したことがあったのですが、「この程度のものをワシは辛いとは言わん。」とばっさり。 それで今回「こ
れではどうだ?」とリベンジの積りで食べて頂いたのですが、返り討ちにあってしまいました。     ・

「ワシは『Coco壱』に行くと『3辛』を食べる。 『5辛』はちょっと辛すぎる。 それ以上になると、
もう味ではなくなるな。 この『カレー』は、まぁ『1辛』くらいじゃな。」  私も辛味には強い方だと思
っていますが、これ以上になると料理の味ではなくなると思います。 恐ろしや、恐ろしや。      ・

それから雑談になりました。 「こんな体たらくじゃぁ次の参議院選では、もう自民党には入れられんなぁ。
そうは言っても他も似たり寄ったりじゃしなぁ、参政党や日本保守党はどうなんじゃ?」といいます。 「私
も自民党員だけど自民党に入れる積りはないよ。 国民民主も結局はリベラル政党だし、候補者選びで化けの
皮が剥がれた。 国会活動を見る限り、今は『日本保守党』しかないような気がする。」と話しました。 ・

私はこのままでは『日本が日本でなくなる。」と焦燥感を覚えています。 切実です。 自主憲法の制定を目
指して立党した自民党は、いまやリベラル政党に変質してしまいました。 気が付けば政界、官界、産業界、
教育界、全てが左傾化し、中国へ、中国へとなびいています。 今に中国の属国ないしは行政区になってしま
うのではないか、そうならないうちに国民が気付かなければ。 そんな焦りを話しました。       ・

彼は脳梗塞を患った後もリハビリを兼ねて農作業を続けています。 そして凝ります。 『物作り』系の人だ
けにともかく凝って、肥料作りもEM菌、光合成菌を培養するなどかなり理論的です。 「今年はトマトに期
待が持てるぞ。」と話していました。                               ・

「『スナップ豌豆』はもう終わったのか?」と聞いたら、「もう終わりじゃ。 少し残っているかも知れんが
もし要れば取りに行け。」といういので、お言葉に甘えさせていただきました。 それで『黄昏亭』を切り上
げて2人で畑に出掛けました。                                  ・

なるほど、大玉、中玉、ミニトマトともよく育ち、そろそろ実が付き始めていました。 「少し遅うなったが
これから西瓜も植えるぞ。 期待しといてくれ。」といいます。 「今年は期待を裏切らんようにな。」と冗
談をかまし、よく実の入った『スナップ豌豆』を頂いて帰りました。                 ・
























6月 6日

18歳と81歳

今日と明日アリゾナからやってくるファミリーを案内することになっていたのですが、昨日になってメールが
あり、キャンセルとなりました。 それで朝食の後ゆったりとコーヒーを頂いていたら、ふとこんなことを思
い出しました。 『恋に溺れるのが18歳、風呂に溺れるのが81歳。』               ・

思わす『フフ!』と笑ってしまうフレーズです。 言い得て妙ですね。 これは先月の『黄昏亭』のおり、『
枯れ木2号』さんが、「こんなのがありました。」と写真に撮ったくしゃくしゃの紙切れを見せてくれたもの
です。 タイトルには『18歳と81歳の違い』とありました。                   ・

誰が考えたものやら、ひょっとして『笑点』の秀逸解答だったかも知れません。 『枯れ木2号』さんは、や
がて81歳になる私を引き合いに「こんなものがありました。」と引っ張り出して笑いのネタにしたのでしょ
う。 まぁ、お互いに後期高齢者ですから笑い合えますが、若い人に言われたら「なにを! この野郎。」と
なったかも知れません。 また、中には笑うに笑えないものもありました。              ・

暇に任せてそれらを列挙しますので、笑うもよし、怒るもよし、身につまされるもよし。        ・

1 恋に溺れるのが18歳、風呂に溺れるのが81歳。      ・

2 道路を爆走するのが18歳、道路を逆走するのが81歳。   ・

3 心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳。       ・

4 どきどきが止まらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳。

5 恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳。

6 偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳。 ・

7 まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳。

8 自分探しをしているのが18歳、皆に探されているのが81歳。・

如何ですか? まぁ感想は皆さんにおまかせして、私も1つ作ってみました。             ・

番外 朝ビンビンなのが18歳、朝ビショビショなのが81歳。  ・

お断りしておきますが、私はもうそうではありませんが、まだそうではありませんよ。         ・
















































6月 1日



誕生日

今日は私の81回目の誕生日でした。 と言っても、何も特別なことはありません。 息子から赤ワインが1
本届いて、娘や孫からメールが届いたくらいで、1人静かに1日を過ごしました。 とはいえ『
心無罣礙』で
あればこそ、このように穏やかに出来ていると考えれば、それは無上の幸せとも言えます。       ・

そして1人で『握り寿司』をこしらえて、何となく『白ワイン』が飲みたかったので、ちょっと違うだろうと
思い乍ら『ボルドーの白』とともに頬張りました。 ささやかな自分への労わりですね。 『ネタ』は『鯛』
『鯵』『サーモン』にしました。 『鯛』は上品だけれど、まったり感では『サーモン』に劣ります。 『鯵
』は小さいながら結構脂が乗っていました。 どれも美味しく頂けました。              ・

写真を撮ってみましたがどうでしょう。 器は『枯れ木2号』さんから頂いたもので、気に入って機会がある
ごとに取り出して使っています。 この写真を『三水会』のグループチャットに送ったら『諧謔の君』から「
次回の『三水会』で盛大にお祝いをしましょう。」と返信がありました。 有難うございます。     ・


 

それからこの1年を振り返ってみました。 『枯れ木2号』さんと『二人会』を企画して、ギターの練習に目
標ができました。 『三水会』の仲間との月1の語らいも大きな楽しみとなっています。 やや回数が減った
感はありますが、『黄昏亭』を通じた交流も続いています。                     ・

腹回りは大きくなりましたが、昨年より体力が向上したように感じています。 昨年は月1が限界と感じてい
たボランティア・ガイドも結構こなせるようになり、先月は5パーティーのご案内をこなしました。 今月も
既に2件の依頼をお受けしています。 ガイドの翌日こそ完全休養に当てますが回復は思いのほか早いです。

ネイティブから「おまえの英語はなかなかいいなぁ。 どこで習ったんだ?」とか、「どこかの国に行ってい
たのか?」などと聞かれることが多くなりました。 もちろん『お上手』が含まれていることは十分に自覚し
ていますが、『あんまりな人』にそのように言うことは『お上手』にはなりませんから、まぁある程度は認め
て頂いているのではないかと思っています。 60歳から始めて20年、よく続きました。 まだまだ文法の
間違いや語彙不足はありますが、投げ出さずに続けてきてよかったなぁと思います。          ・

人間関係を含めて、これらの全てのことが『価値ある老後を過したい。』という私のツールになっています。
誕生日に当って今の自分を見つめながら、今までの成果を踏まえてぶれることなく前に進む決意を新たにした
次第です。 この項、支離滅裂、論旨不明瞭、しかも力が入り過ぎました。 赤面の至り。       ・


















































5月31日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様はイングランドのオールドカップルでした。 さっそく脇道ですが、そんな話しをフィリピンの
英語講師に話したら、「それはエルダリー・カップルというべきだ。」とやられました。 オールドという言
い方はルードなんだそうです。                                  ・

この人達をご案内するに当っては、ちょっとした経緯がありました。 3月に同じくイングランドのカップル
をご案内したのですが、よほど私のガイドがお気に入りだったと見えて、「今度私の兄夫婦がクルージングで
広島に来るので案内してやって欲しい。」と依頼されました。                    ・

すぐに連絡を取ったらしく、What’sAppに依頼が入りました。 10時ごろ下船して、4時半までに
は船に戻る。 その間に案内を頼むとありました。 私はクルージングでやってくるゲストの案内はできるだ
け避けるようにしています。 我が家から広島港までが遠いことと、短時間では十分な案内が難しいと考えて
いるからです。 どうせ案内するなら目一杯見せて差し上げたい。                  ・

それで曲芸のようなスケジュールを提案しました。 弁当を買ってタクシーで港にお迎えし、そのままタクシ
ーで引きかえしてJRで宮島に向かう。 『厳島神社』を見て頂いてすぐに桟橋に引きかえし、高速艇で『平
和公園』に向かう。 その船中で昼食をとる。 到着したらすぐに主なモニュメントを見て頂いて『原爆資料
館』に案内し、タクシーでクルーズ船に戻っていただく。 こんなスケジュールなら何とか2つの『世界遺産
』を見て頂くことができます。                                  ・

暫くして返信がありました。 「妹が言うには、奴は脚が早く、しかもあちこちに連れ回すので気をつけろ。
」なんだそうで、「『原爆資料館』はスキップしたい。 長崎が次の寄港地なので『資料館』は長崎のものを
見る。」と言ってきました。 それなら少し余裕ができます。 その分『厳島神社』に割り振りました。 ・

宮島、『厳島神社』は行きのJRの中で説明しておきました。 フェリーは1階客室のど真ん中に座ることが
できました。 ここでは『牡蠣筏』『大鳥居』『厳島神社』『弥山の稜線』などを説明します。 『清盛公銅
像』の前で宮島に『平安文化』が招来され、今もその文化が残っていることを話した後で『大鳥居』を間近に
見て『厳島神社』に入りました。                                 ・


 

神社の中ではビデオをまじえ『平安文化』を具体的に説明しました。 『寝殿造り』『舞楽』『雅楽』『管弦
祭』などです。 ここではもう興奮気味で、質問攻め、写真撮りまくり、大変なはしゃぎようでした。 そし
て長い行列に並んで『火焼前』(ひたさき)の先端で写真を撮るといいます。 「いやいや、そんな時間はあ
りません。」となだめて『大鳥居』がバックに入るまずまずのポイントで我慢していただきしました。  ・

それから『高速艇』に走り込み、眺めのいい位置に席を取って頂いて『弁当』を召し上がって頂きました。・
今日の弁当は『アナゴ飯弁当』でした。 これは広島駅(新幹線ヤードと土産物売り場)でしか売っていない
のではないかと思います。 結構満足されていました。                       ・


 

『元安橋桟橋』に到着するとすぐに『爆心地』『原爆ドーム』、元安橋を渡って『原爆の子の像』『平和の灯
』『慰霊碑』と回り、他のモニュメントはスキップしました。 主な説明、被害の状況等は『爆心地』でほゞ
済ませておきました。 タブレットで実際の写真や『証言絵』を見て頂きましたが、相当に大きなショックを
受けられていました。 ちょっと『資料館』に心が動いたようでしたが、その時間はありませんでした。 ・

こんな様子でガイドを終え、『原爆資料館』の脇からタクシーに乗っていただいてお別れしました。 誉め言
葉なのかお世辞なのか、「おまえの英語はシンプルでとても分かりやすい。 いい説明だった。 パーフェク
トなガイドだ。」と褒められました。 ネイティブにそういわれると、どう捉えればいいのか。 WW  ・

失敗が1つありました。 『SUICA』でJRに乗られたのでフェリーのゲートも『SUICA』ですんな
りと通過できるものと思い後を振り向かずにスタスタと歩いていて、ふと気付くと彼らがいません。 何とゲ
ートの向こうで手を降っています。 慌てて引きかえすと「料金が足りない。」と訴えます。 すぐにチャー
ジして貰いましたが、1便遅れてしまいました。 まぁそのお陰で?1階客室付きのフェリーの中央に陣取れ
た訳ではありました。                                      ・



































































5月24日

ボランティア・ガイドが終わりました


23日、24日と2日にかけてイタリアの青年を広島、宮島にご案内しました。 このご案内にはちょっとし
た経緯がありました。 例によって『担当者未決定』のリストを送っていただいて依頼を確認していたら「M
asatoの『レビュー』を見て広島に行くことにしたので案内を頼む。」というのがありました。 まさか
? ここで私の名前が出てきたのには驚きました。 でもそれならこれは私がやらざるをえないでしょう。・

それに、一方の青年の名前がGiovanniで、何年前かなぁ、同名の50代半ばのイタリアンをご案内し
たことがあって、イタリアではありふれた名前なので関りはないものと思いつつ、ちょっと惹かれました。・
青年は2人とも26歳、1人は『バイオロジー』、他方は『歯科衛生士』として働いているそうでした。 ・

予定では23日の正午に広島にやってきて、24日の昼すぎに京都に発つまでの間に、広島と宮島が見たいと
いう希望でした。 かなりムリムリな依頼でしたが、何とか希望に応えたいと綱渡りのような計画を提案しま
した。 これを見て相談したようで、離広を18時30分に変更すると言ってきました。 それならば余裕で
ご案内できます。                                        ・

『23日』予定通り広島駅で出会いました。 驚いたことに私の頭がやっと彼らの肩と並ぶくらいの大男ばか
り、その割にガサツなところは全くなく、誠実そうな感じのいい青年達でした。            ・

約束通り先ずはホテルに案内し、すぐに『お好み村』に向かいました。 イタリアにも目の前の鉄板で料理を
作る店があるようでしたが、手際よく食材を積み重ねて完成させる『広島風お好み焼き』には興味津々で、出
来上がるのを待ちながら進捗ごとに何枚も写真を撮っていました。                  ・

 

「どう? パスタとどっちが美味しい?」と野暮なことを聞いてしまいました。 彼らはニヤリ!と笑って、
「お好み焼き。」と答えました。 そりゃぁそうでしょう。 ところで、啜らないとするとスパゲティーはど
うやってたべるのか?」と聞いたところ、やはりフォークとスプーンを使うけど、お皿は使わないで、鉄板の
上でクルクル回してフォークだけで食べることもあるようでした。 でもお好み焼きはカットするのでその必
要はなし。                                           ・

その後、本通りを歩いて『爆心地』から『平和公園』をフルコースでご案内し、十分に基礎知識を持っていた
だいた上で『資料館』にご案内し今日の予定を終えました。                     ・

『24日』今日はあいにくの雨。 もともと『弥山ピクニック』を予定していて、天気がどうかと心配してい
ました。 数日前から『曇り時々雨』の予報で『降水確率60%・信頼度Ⅽ』が続き、前日になって降水確率
が『80%』に上がりました。 改善の期待は裏切られました。 それで弁当の予約をキャンセルし、ピクニ
ックの代わりに『千畳閣』と『表参道商店街』を加えることにしました。               ・

今朝は『宮島口駅』で落ち合うことにしていましたので、市電を降りて連絡通路のエレベーターに乗ったとこ
ろ、外国人老夫婦がなにやら困っている様子で、早口で訴えます。 ちょっと分かりにくかったのですが、ど
うやら宮島から広島に向かう高速艇に乗りたかったのだけれども、高速艇の予約が一杯でどうやって広島に行
けばいいのか分からず途方に暮れていたようでした。                        ・

「それならついておいで。」と『宮島口駅』に案内し、広島方面行の電車に送り届けて青年たちと宮島に向か
いました。 結構降りましたね。 桟橋広場で『平清盛』について簡単に説明し、すぐに『厳島神社』に向か
いました。 詳細説明は神社に入ってからです。                          ・

神社に入るとちょうど結婚式が始まるところでした。 彼らにとってはラッキーなことなので暫く見て貰って
いたところ、神官が現れて、「お祈りが済んだらすぐに神前を離れろ、写真は撮るな。」と交通整理を始めま
した。 まぁ結婚式があると人だかりができてお祈りが出来ないということもあるでしょうが、今までは自由
だったのに急にそんなことを言われてもなぁ。                           ・

降りしきる雨の中、彼らは暫く行列を作って『火焼前』(ひたさきと読みます)のインスタグラム・スポット
で『大鳥居』を背景に写真を撮り合ってから『大聖院』に向かいました。               ・


 

『大聖院』では『五百羅漢』『戒壇巡り』『摩尼殿』、加えて今日は『遍照屈』へと回り、下ってレストラン
でお昼にしました。                                       ・

『観音堂』ではこんなことがありました。 どこから来られたのかは分かりませんが、10数人の一団が『観
音堂』にお参りしようとしていました。 1人の老人が靴を履いたままお堂に入ろうとしてガイドにとがめら
れていました。                                         ・

黒人女性がポンチョを着たまま堂に入ってきましたので、「それ脱いで。」と注意すると、ガイドに不満を訴
えていました。 ガイドもはっきりと言えばいいのに、曖昧な対応をしていました。 最近の外国人観光客、
特にツアー客の質の低下は目に余ります。                             ・

レストランに入る前に干潮の『大鳥居』まで近づいていただきました。 雨は降るし、小潮で潮位は十分に下
がらないので、「ご希望なら。」とお任せしたところ、「行ってみる。」というので私は『厳島神社』の出口
で待っていました。 彼らはどうやら真下まで行ったようですが、靴を見せて「すっかり濡れた。」と笑って
いました。                                           ・

昼食のあとは『千畳閣』に回り、商店街で『もみじ饅頭』と『揚げもみじ』を食べ比べていただきました。・
「揚げたもみじの葉」としきりにいうものですからそれと気付き、それなら両方を食べ比べて貰おうと思った
のでした。 感想は『揚げもみじ』の勝利。 ピクニックはできなかったものの、こんなことで結構宮島を楽
しんで頂き『宮島口駅』にお送りしました。                            ・









































5月22日


最近の出来事


連休期間中の怒涛のガイド4連チャンで疲れ切っていましたが、この間にも様々なことがありました。  ・

13日に愛車の車検がありました。 私の愛車はトヨタの『クレスタ』で、初度登録が1998年、今年で2
7歳の古い車です。 この車はもうずいぶん前に生産中止になりました。 それに『マークⅡ』のように人気
の車種ではありませんでしたので、今ではほぼ見掛けることはありません。 従って殆どクラシックカー?に
仲間入りしていると言っていいかも知れません。                          ・

その頃惚れ込んで買った車ですし、流石トヨタさんのお車は堅牢です。 走行距離は20万キロを超えました
が、その間故障という故障はほぼありませんでした。 従って乗り続けてきましたし、これからも「私の寿命
とどちらが長いか?」などと言い乍ら乗り続ける積りです。 たまに「おい!随分古いのう。」という人がい
ますが、そんな時には「いいクラシックカーだなと言ってくれ。」と返しています。          ・

前回車検からの走行距離は3,000キロ程度でしたので、エンジンオイルやブレーキオイルの交換、ワイパ
ーのゴムの交換くらいのことで。小幅な手入れで終わりました。 それでも法定費用を加えると結構な値段に
なります。 とはいえ、歳をとるごとに車は生活の必需品になってきます。 止むを得ないことです。  ・


18日、安芸区民会館で『合唱団そら』の演奏会がありました。 『枯れ木2号さん』の娘さんご夫妻が独唱
で出演されました。 それで彼から『招待券』を頂きましたので出掛けてきました。 演奏曲目は『バッハ・
ミサ曲ロ短調全曲演奏』で厳かな宗教音楽の演奏でした。                      ・

宗教音楽は娘が『エリザベト・シンガーズ』で歌っていましたので馴染みはあります。 今日は市民ホールで
したが、教会でやると音の深みが加わり、厳かさが増します。 合唱団はお歳を召したかたが多かったように
思います。 私と同年代と思える方も数人おられました。                      ・

こうして大声を出して歌うのは、特に高齢の方には健康維持のためにとてもいいことだと思います。 といい
つつ私はちょっと。 娘の先生から我が町の合唱団に誘われたことがありましたが、もうこれ以上手を広げる
ことはできませんでした。                                    ・


20日、運転免許の更新に免許センターに行きました。 広島の免許センターはとても辺鄙なところにありま
す。 しかもこれは『紺屋の白袴』か、分かれ道の表示がしっかりしていないので毎回迷ってしまいます。・
前回は行き過ぎて引きかえしてしまいました。 何とかしてくれ。                  ・

当日は平日でしたし、午後の最後の枠(主に高齢ドライバー対象)に行きましたので免許場は余り混んでなく
て、しかもシステム化が進んでいましたので随分スムーズに処理が進みました。 高齢者講習も事前にすんで
いましたので、概ね30分くらいで新免許証をゲットすることができました。             ・

最後のところ、写真を撮って免許証を完成させるまでに少し長い行列ができました。 更新者が多い時にはか
なり時間がかかるのではないかと思います。 ところで、免許証の写真って、どうしていつもまともではない
んでしょうね。                                         ・


21日は恒例の『三水会』でした。 場所はいつも通りバスセンター街の居酒屋でした。 今回は選挙事務か
ら解放された仲間が復帰、シルバー業務と重なった人もいましたが、やや多めのメンバーが集まりました。・
私が10分前に到着した時には既に4人が集まっていて、待ちきれず始めていました。         ・

やがて『諧謔の君』も加わって先ずは『生ビール』で乾杯。 それからそれぞれに肴をオーダーしますした。
私は『メバルの煮付け』にしました。 結構型のいい『黒メバル』に豆腐が付け合わせてありました。 しか
しよく見ると少し頭が尖っています。 それに背鰭の形が違います。 どうやら『ソイ』のようでした。 そ
れに『本メバル』だとこの値段ではとても食べられない。 しかして、お味はもう1つ。        ・

『本邦完歩の君』は『イカのフライ』を頼んでいました。 「これは美味しい。」と周りに勧めていました。
『諧謔の君』は『ヌタ』、歯が悪いんだろうか? そんなことで、それぞれに肴をつつきながら酔うほどに話
しは盛り上がっていきました。 皆さんこの集まりが何より楽しみなようでした。 もちろん私も然り。 ・


























































5月17日



『黄昏亭』を開店しました

『枯れ木2号さん』からメールがありました。 「『5月18日にコンサート『バッハミサ曲ロ短調全曲演奏
』があります。 招待状をお送りしますので住所を教えてください。」というご案内でした。 「それなら我
が家にお出でになりませんか? お昼をご一緒しましょう。」とご案内して今日『黄昏亭』を開店することに
なりました。                                          ・

メニューは『ちらし寿司』と『天婦羅』、それに『突き出し』として『鶏胸肉の蒸し物』にしました。 先ず
は『突き出し』でスタートし、頃合いを見計らって『天婦羅』を揚げて、最後に『ちらし寿司』を食べて頂く
という算段でした。                                       ・

『ちらし寿司』は結構手間がかかります。 先ずは『錦糸卵』、それから『鞘豌豆』をかるく湯掻き、『海老
』をボイルして2枚にスライスする。  『アナゴ』は焼くのは厄介なので『みざみアナゴ』にしました。・

昨夜から『干し椎茸』を戻し、柔らかくなった『干し椎茸』『筍』『牛蒡』『蓮根』『人参』『竹輪』を小さ
く刻んで『干し椎茸』の戻し汁に少量の『出汁醤油』を加えて煮ます。 ご飯が炊きあがったタイミングでこ
れらの具材も煮上がるように頃合いを見計らいます。                        ・

ご飯が煮えたら熱いうちに『寿司酢』を振ってよく混ぜ、『具材』を混ぜ合わせます。 後は召し上がってい
ただく時に『アナゴ』や『錦糸卵』などをトッピングします。 従って、この作業は早朝から順を追って進め
てきました。                                          ・

 

『天婦羅』は全ての材料を事前に準備しておきました。 『茄子』『カボチャ』『筍』『海老』などです。・
『突き出し』が終わるころに『てんぷら粉』を溶いて揚げ始める算段です。 『筍』は前もって下味を付けて
おきました。 『てんぷら粉』は『日清のコツのいらないてんぷら粉』を使っていますが、この中にほんの少
し塩を加えるのが美味しい天婦羅のコツです。                           ・


 

『鶏胸肉』は前日に『塩麹』を加えてジップロックの中でよく揉み、じっくりと寝かせておいて、前夜に大き
い鍋に湯を沸騰させジップロックごと熱湯に浸します。 これは簡単料理で、翌朝には綺麗に出来上がってい
ます。                                             ・


 

こうして、ぎんぎんに冷やしておいた『辛口』の冷酒で料理を楽しんで頂きました。 そして会話はどんどん
弾んでいきました。 お嬢様ご夫妻(ソプラノ・テノール)が能登の被災地にお見舞いに行ったこと、その時
の被災地の様子、能登で食べた海鮮の話し、また戻りに尋ねた温泉など、興味深くお聞きすることができまし
た。                                              ・

それから、何といっても我々の『枯れ木2人会』、ギターコンサート、これにに話しが及びました。 2人の
演奏曲がかなり固まってきました。 私は『浜辺の歌』『冬の星座』『早春賦』などの歌曲を中心に、ソルの
『月光』と『禁じられた遊び』で〆ようと思っています。 こんなことで、久しぶりの『黄昏亭』は時を忘れ
るほどに盛り上がりました。                                   ・








































5月 8日



ボランティア・ガイドが終わりました

皆さんは『ビーガン』(Vegan)という言葉、(或いはその思想に基づく実践者=Veganist)を
ご存知でしょうか。 『人間はいかなる用途においても動物の利用を拒否すべきである。』という道徳的立場
に立つ人々で、もちろん肉食はしません。                             ・

『ビーガン』は『ベジタリアン』(菜食主義者)とは違って、卵や乳製品も食べませんし、ウールや皮製品も
避けます。 『ベジタリアン』は動物愛護という考え方に立っているのではなく、おそらく健康上の理由によ
るものと思われます。(これは私の解釈です)                           ・

何でのっけからこんな話をしたかということですが、実は今日ご案内するお客様はその『ビーガン』でした。
オーストラリアからお見えの若いご夫妻で、今朝京都から夜行バスでやってきて、夕刻に同じく夜行バスで東
京に向かわれます。                                       ・

出会いのために事前に写真を送っていただくのですが、見たところ中東系の移民のように見えました。 広島
駅の中央改札口で出会い、お話ししたところではご夫妻ともインドの出身で、30歳のご主人はIT企業で働
いているそうでした。                                      ・

さて、『ビーガン』に話しを戻すと、だからといって特にガイドに支障をきたすということはありません。・
以前は『ベジタリアン』や『ビーガン』のレストランを探すのに苦労していましたが、好みもあることですし
最近ではご自身で解決して頂くようにしています。 最近は『ベジタリアン』に対応している『お好み焼き店
』もあるようですが、『ビーガン』は難しいかも知れません。                    ・

ただ、今日は限られた時間の中で、是非お見せしたいものがありましたので、短時間で昼食を済ますよう広島
駅中の『天婦羅うどん』を提案しておりました。 そうしたら返信があって、「天婦羅には卵が入っているの
で食べられない。」といいます。                                 ・

 

それなら『狐うどん』を勧めたらいいやと思っていましたが、よくよく考えてみるとスープには魚の出汁が使
われているはず。 困ったもんじゃと思っていたら、時々バッグからパンや菓子を取り出して口にしているの
を見ました。 「お昼はそれでいいのですか?」と聞くと、「Yes」といいますので、私はコンビニでおむ
すびを買って勝手にたべました。                                 ・

宮島はちょうど干潮でした。 実はこれをお見せするため時間のやりくりをしていたのでした。 いよいよ『
大鳥居}の真下まで歩いていくと、流石にその大きさに驚かれていました。 夜行バスの時間を気にしながら
暫く景色を楽しんでいただき、『厳島神社』『大聖院』と回って帰路につきました。          ・


 

フェリーの中で請求すべき旅費、資料館の入場料、お昼代を計算しました。 ところが、「キャッシュが足り
ない。」といいます。 「これだけ歩いて、これだけ説明して、出来るだけ感動してもらいたいと努力してき
たのに、これが持ち出しになるのか。」と思いましたが、まぁいいや。                ・


































































5月 6日



ボランティア・ガイドが終わりました

雨が予報されていましたが、電車やフェリー、厳島神社など屋根のあるところで雨があり、そこを出ると上が
っているという不思議な現象に恵まれ、まぁまぁラッキーなご案内でした。 今日も平和公園からスタートし
ましたが、緑深く、またバラがとても綺麗に咲いていました。 ベストシーズンですね。        ・


 

今回のご案内はイタリアからお見えのご両親、20歳のお嬢さん、16歳の男子高校生でした。 ヨーロッパ
からお見えの方達でしたので、当然皆さん英語が通じるものと思っていましたが、実はお嬢さん以外は余り得
意ではなかったようで、説明のほとんどをお嬢さんに通訳して頂くことになりました。         ・

平和公園にはほぼ日本人の姿はなく、驚く程多くの外国人観光客が往来していました。 特に『原爆資料館』
は凄かったです。 東館3階のCGのある部屋から渡り廊下を渡って本館に入るのですが、CGの辺りから行
列ができていて、それがスタックしている状態、極めてゆっくりと動いていきます。          ・


 

中央が渡り廊下の入口ですからどれくらい込み合っていたか想像できるでしょう。 ここでは私はいつも通り
本館には入らず、1階の待合室で待つことにしています。 仮に本館に入ったとしても、混雑のために説明す
ることも同行することさえ困難ですから、 自身で展示物の説明を読んで理解して頂くことにしています。・

スケジュールには資料館に大体1時間を割り振っています。 ところが、彼らは僅か20分ほどで飛び出して
きて、「とてもじっくりと見学できる状態ではなかった。」と訴えていました。 おそらくそうでしょう。・
それで私も席を立って『お好み村』にご案内することにしました。                  ・

いつも驚かされるのですが、最近では『お好み村』はほぼ外国の方に占領されています。 それに今日も人が
多い。 席につんくまでに15分は待ったと思います。 ここが私のお気に入りの『お好み焼き店』です。・


 

私たちが座った頃には既にピークを超えているようした。 それでもご覧の通り、しかもこの写真の後ろには
何組かが席が空くのを待っていました。 そして日本人は私だけ。 『??』と思ったこと。 この方達は『
ネギ』がお好きではないようで、「ネギをトッピングしないくれ。」といいます。 お嬢さんに、「イタリア
では一般的にそうなのですか?」と聞くと、「そうです。」と言っていました。            ・

それからJRで宮島に向かいました。 『原爆資料館』の入館に手間取ったし、『お好み焼き店』でもかなり
ゆっくりでしたので、もうスケジュールからは相当に遅れていました。 「これは『大聖院』は無理だな。」
と諦めて『厳島神社』に集中し、厳島神社に招来された京都文化なども詳しく話しました。       ・

 

『大聖院』の閉門時間は近づいていましたが、一応山門まで上がり、記念写真を1枚撮ってから宿に案内しま
した。 彼らの今日の宿は『岩惣』です。 島に渡ると何かと料金が高くなります。 しかも『岩惣』は格調
が高いことでも有名な宿ですから特にそうなのでしょうが、彼らはきっとリッチなんでしょう。     ・

さて今日のご案内は、我が家を朝7時15分に出発し、広島駅中で『天婦羅うどん』を食べて、9時に新幹線
に迎え、『平和公園』、『お好み焼き』、『厳島神社』と回って18時30分に帰宅、この間の歩数は18,
000歩でした。 本当に有難いことと思うのですが、さして疲れは感じず、21時から1時間英会話のレッ
スンを受けて今日の予定はお終いでした。                             ・






















































5月 3日



ボランティア・ガイドが終わりました

GWのさなか、土曜日、しかも『フラワーフェスティバル』のオープニングだったのに、何も考えずにこのガ
イドを引き受けてしまい、しかも後に実態を知って、「しまった。」と思ったときには『時すでに遅し。』で
した。 『平和公園』周辺は大変な人ごみでしょうし、『資料館』の中では殆ど身動きが取れないでしょう。
それに『お好み村』もおそらく観光客で溢れかえって入る隙間もないでしょう。            ・

私たちがガイドを引き受ける時にはお客様に関する情報は殆どありません。 極端に言えば「○月○日に広島
に行きたいので、無料のガイドをお願いしたい。」くらいの情報で依頼がきます。 そして引き受けた先様と
メールを交換をしながら必要な情報を掴んでいきます。                       ・

今回分かったことは、ポーランドからやってくる家族、友人、知り合いの一団13人のグループだということ
でした。 この混雑の中を(65歳以上9人、65歳以下4人の)13人の老人グループを引き連れて歩かな
ければならないことを知って、『やってしまった!』と思いました。                 ・

 

まだあります。 広島駅で出会ったときに英語ができるのは、『この中でただ1人』だけということが分かり
ました。 13人と聞いて、(全員英語が分かる人達だと思い)『ワイヤレス・拡声器』を準備しましたが、
この人が通訳を引き受けてくれることが分かって安堵しました。                   ・

結構うまく通訳して頂け、従って拡声器を使う必要はありませんでした。 ただ、この人たちを連れ歩くあい
だ行方不明が出てはいけないと思い準備した『カープ』の赤い帽子はよく目だったようで、このアイディアは
大成功でした。                                         ・

もう1つ、『お昼ご飯』が心配の種でした。 この人数では『お好み村』は手に余るし、『グルテンフリー』
の方が1人おられましたので、手を抜いてお昼は広島駅の食堂街でぞれぞれに済ませてもらうよう計画してい
ました。 ところが事前のメール交換で強く『お好み焼き』を要望されてしまいました。        ・

止むなく様々当ってみたところ、宮島口に『グルテンフリー』にも対処できる『お好み焼き屋』があることを
知り急遽予定変更、平和公園を終えて電車で宮島に向かいました。 『宮島を眺めながら『お好み焼き』が食
べられる』を売りにしているお店でした。                             ・

これで1件落着と思いきや、またまたトラブル。 『グルテンフリー』を注文したところ、『米粉』由来の麺
が『売り切れ』たといいます。 「もう、最悪。」と思い、この人を連れて他の店に行かなければ。」と提案
したところ、「オーケー」だと言います。 何と、こういう時のためにポーランドから『ポン菓子』を持参し
ていたのでした。                                        ・

こうして幾多の問題に出くわしながら、何とか広島、宮島の案内を終え、『宮島口』駅までお送りし、結構感
謝されながらお見送りしました。 さて次は6日にイタリアン・ファミリーをご案内します。 情報を待って
いるのですが、いまだにメールが届きません。 まぁ、自己中でのんきなあの国の人達ですから。    ・
















































4月27日



久しぶり、コンサートに行きました

『枯れ木2号さん』宅での慰労会、『三水会』など出掛けることが多かったし、9か月ぶりにギターのレッス
ンを受けたりと慌ただしい日が続きました。 今日もガイドのスケジュール作りに精を出していたのですが、
英会話のレッスン直前になって今夕『コンサート』があることを思い出しました。           ・

17:30開場、18:00開演だったのですが、気付くのが遅く、もはや英会話のレッスン時間を変更する
ことも出来なかったので、50分授業を30分で切り上げさせて貰って出掛ける準備を急ぎました。 先生と
しては生徒の都合でレッスン切り上げとなった訳ですから、まぁラッキーだったでしょう。       ・

コンサート会場は平和大通り沿いの『クリスタルビル』19階の『ライブ・ジューク』でした。 それで、ど
んなコンサートだったかというと、クラシック? ジャズ? ロック? どれなんでしょうね。 説明によれ
ば「バイオリンをフロントに、ロックポップスをオリジナル・アレンジで演奏します。」ということで、どん
なジャンルに当るのか私には分かりません。                            ・

グループの名前は『JUN TONIC』、JUNはバイオリニストのお名前、TONICはバックのメンバ
ー達(それが炭酸水)のことで、『ジン・トニック』にかけています。 なお、バイオリニストは広響の第1
バイオリンのメンバーでとてもお美しい方です。                          ・

今回の演奏は『パンデミック』を挟んで4回目になります。 私はこの内2回目、3回目、今回と3回聴かせ
て頂きました。 不遜にも「クラシック以外は音楽ではない。」と思っている私が何故このコンサートに興味
を持ったのか、そのキッカケが何だったのか思い出せません。 広響のコンサートの後の交流会でこの方から
聞いたか、この方のフェースブックに乗っていたか、そんなことだったろうと思います。        ・

どういう訳かこの方とは結構親しく話してきました。 よく冗談で言っていましたよ。 「あなたはズルい人
だ。 才能も美貌も経済力も全てを独り占めしている。」って。 お姉さまもバイオリニストですから、きっ
とお嬢様育ちでクラシック一筋と思っていましたが、若いころから現代音楽にあこがれていて、どちらに進む
か迷った時期もおありだったようです。                              ・

そういう思いがあって、このようなコンサートを企画されたようでした。 演奏曲目は多岐にわたりました。
ロック調にアレンジされた『チゴイネルワイゼン』、葉加瀬太郎の『情熱大陸』、南こうせつの『神田川』、
さだまさしの『精霊流し』、もちろんこれらもロック調にアレンジされています。           ・

最後はロック、何がロックなのかよく分かりませんが、その中に有名曲のフレーズを挟んだりして、会場を沸
かせていました。 ワン・ドリンクの勢いもあってか、約100人の聴衆は乗りに乗って手拍子でワッサワッ
サ、そして私も次第に引き込まれていく具合でして。                        ・

会場入り口で広響のビオラ奏者と出会いました。 そして開演を待つあいだ立ち話をしました。 広響を退職
した後、契約社員として働いてきましたが、あと5か月でお終いだそうで、その後はたっぷりと時間があるの
でギターを弾きたいと言っておられました。 「初心者なので手ほどきをして欲しい。」と頼まれましたが、
冗談じゃない。 こういう人はとんでもない才能をお持ちですから。                 ・
































月19日


               
一人路上観察学会in大阪

前立腺癌手術後の経過観察のために大阪に行ったついでに1泊して大阪をぶらついてきました。 前夜にホー
ムタウン出身の後輩と逢ってホテルの近くの居酒屋で一杯飲みました。 「明日は大阪城に行ってみようと思
っている。」と話したら、「桜はもう終っとるよ。」とアドバイスされました。            ・

「いや、桜じゃなくて、石を見ようと思っている。」と答えて、今日は大阪城から出発することにしました。
そんなことで今日はまずホテルから『大阪城』に向けて歩きました。 途中いきなり頻便が起こりましたので
喫茶店に入りコーヒー1杯でトイレを拝借しました。                        ・

『大阪城』に入るとこれは驚き、これが世にいう『オーバーツーリズム』という奴ですね。 広島や宮島にも
結構な外国人が訪れていますが、規模が違います。 格段に多いのはやはり中国人です。 それに最近は中東
北アフリカ、南アメリカからも多くの人が押し寄せているようです。 ツアー客が多い。        ・

私は英語以外は耳に馴染みませんが、スペイン語、ポルトガル語と思しき言葉が飛び交っていました。 特に
耳につくのはもちろん『チャンチュン・チャンチュン』(私にはそのように聞こえる)です。 ボランティア
・ガイドとの待ち合わせ場所に座っていると4~5名の若い中国人女性が騒がしく写真を取り合っています。
余りに長いものですからつい「うるさい。 静かにしろ。」と窘めてしまいました。          ・

そのような喧騒が『大手門入り口』から延々と続きます。 それが総じて気遣いもなく流れていきます。 そ
れはそれとして、我が観察学会では、まず大手門の『控柱』の『ねつぎ』に着目しました。 『控柱』は左右
とも基礎から1mくらいのところで『ねつぎ』されているのですが、とくに右側の柱がユニークな次ぎ方にな
っています。                                          ・
 
 

さて、これはどの様にして継いだのでしょうか? 考えてみて下さい。 一見不可能に見えますが、現実に継
いでいるんですね。 私は裏を見たり、表を見たりして一応の結論を得ました。 これだと確かに継げそうに
はあるのですが、工事がどの様に行われたのか、例えばジャッキ・アップの方法とか、そこが分かりませんか
ら、私の考えが正しいかどうかは分かりません。                          ・

『大手門』を潜ると、そこが『大手口桝形』です。 敵の侵入を食い止める役割のエリアですが、その正面に
巨大な『大手見付石』がデ~ンと座っています。 この石は表面積29畳(場内第4位)で大手2番石(第5
位)、大手3番石(第8位)を従えています。                           ・


 

手前が1番石、向こうが2番石です。 人が立っていますが、比較するとその大きさが想像できるでしょう。
これらの石は香川県の小豆島から運ばれたものと言われています。 『大手口』に侵入した敵もその威容に思
わず圧倒されるでしょう。                                    ・

それから内堀に沿って進み、『桜門』に至ります。 『桜門』は2つの大きな石に挟まれていますが、これが
『龍虎石』です。 右側が『龍石』、左側が『虎石』です。 雨に濡れると『龍虎』が姿を現わすといわれて
いますが、今日は快晴、真偽不詳です。                              ・

『桜門』を潜るとそこは『桜門桝形』で『本丸』への入り口になります。 『桜門』の正面には『蛸石』と呼
ばれる巨岩があります。 この石は場内第1位で36畳、108トン、岡山藩が備前産の花崗岩を運んだと言
われています。                                         ・
 
 

これが何故『蛸石』かということですが、 左下部の紋様がそれとなく『蛸』に見えることに由来しているそ
うです。 そう思ってみればそのようにも見えます。 『蛸石』の左が『振袖石』で場内第3位、33畳の大
きさです。 『蛸石』の正面、『桜門』を潜って右側の石組がとても美しいです。 造形美といってもいいと
思います。 特に説明書きもありませんでしたが、この石組は私のお気に入りです。          ・


 

石垣の中には『刻印石』があります。 全国64の大名が石材を持ち込んだといわれていますが、それぞれが
存在感を示すために家紋などを刻んだ石のことです。 天守の台座にもあるはずだと思い探してみましたが、
西側の石垣に1つだけ見つけることができました。 でもどの藩の刻印なのか、そこは分かりません。  ・

 

天守を囲む石垣の上部には整然と『銃眼』が刻まれています。 「アッ! これは。」と気が付いて写真をと
りました。 そして周りを見渡せば全ての石垣の上に『銃眼』が等間隔に並んでいました。 銃を操作しやす
いように手前を深く切り込んでいました。 石工が何人くらい集められたのだろう、この作業だけでも大変な
労力だったろうと思います。                                   ・

 

最後にこの写真を撮りました。 天守を囲む夥しい石垣です。 どれくらいの石が使われているんだろうと思
い調べてみたら、何と大小100万個もの石が使われていると聞き驚きました。 大阪城は豊臣秀吉が築城し
たと思っていました(それは事実です)が、現存するものの多くは天守閣を含め1620年代に徳川幕府によ
り建造されたと聞き、知識の浅さを恥じた次第です。                        ・
  
 

それから『高津神社』に向かいました。 『こうず神社』、『たかつ神社』とも読みます。 交差点で信号待
ちをする間、老婦人に「『たかつ神社』はどの辺りでしょうか。」とお尋ねしたら、「あぁ『こうず神社』で
すね。」と言われました。 現地ではその呼び方の方が一般的なんでしょうね。            ・

『高津神社』は『仁徳天皇』のゆかりの地で、この近くに『御所』があり、『民の竈』の逸話で知られる丘の
辺りに祭られていて、祭神はもちろん『仁徳天皇』です。 『民の竈』で知られるように、このお方の事績を
通じて歴代の天皇がこの国の精神的な礎をお造りになられた、それが脈々と現代まで息づいていると私は考え
ています。                                           ・


 

ガイドを通じて他の国の人々のマナーなどに触れるにつけ、明らかに日本人は特殊な考え方が身に浸み付いて
いる民族であることが分かります。 私たちはそういう精神的な基盤を持つ素晴らしい国に生まれてきたのだ
ということを考えざるをえません。                                ・

そういう感謝の気持ちで『高津神社』にお参りし、『仁徳天皇』に感謝の気持ちを申し上げました。 そして
いまこういう素晴らしい国を破壊したいという輩が跋扈している現実を申し上げ、「お救い頂きたい。」とお
願いをしました。                                        ・

それから悪名?高い『道頓堀』界隈をあるきました。 さながら中国人街を思わせる商店が並び、中国語が溢
れ、だらしなく座り込んで『リンゴ飴』をしゃぶっているチジレッ髪とか、そんな中を肩を接しながら歩き、
『心斎橋通り』の異様な混雑さを見て、恐れをなして脇道に逃れ、『御堂筋』を歩いて『淀屋橋』まで戻りま
した。 かなり疲れた『路上観察』ではありました。                        ・
















































4月13日



ボランティア・ガイドが終わりました

1歳の子供を含むオーストラリアの6人家族をご案内しました。 「あゝ、また厄介な国の人を引き受けてし
まったなぁ。」と思っていましたが、比較的聞き取りやすい英語を話される方達でしたので、ちょっと安心し
ました。 それでも暫く考えて、「あゝ、このことを言っているんだなぁ。」と気付くこともありました。・
それにしても、ネイティブの発音と長文の聞き取りがなかなか上手になりません。 ここが克服できればガイ
ドはもっと楽しくなるだろうと思います。                             ・

今回はビデオのストーリーを導線に合わせて見直し、また『拡声器』を使ってまず全体の説明を十分に行いま
した。 ビデオのプレゼンテーション効果は相当に大きかったと思います。 説明しながら皆さんの反応を見
ていると、いちいち頷くなど理解の様子を伺い知ることが出来ました。                ・

宮島ではメインの説明は何といっても『厳島神社』です。 今回のビデオの見直しでは、この神社の成り立ち
からリメイクに合わせ『平安文化』が『厳島神社』の建築様式や神事に取り入れられて来たことを理解してい
ただくことに主眼をおきました。 例えば平安貴族の『船遊び』を『管弦祭』という神事に取り入れた、その
神事の流れをビデオで説明できるように作り変えました。 後は導線の中で「これはビデオで見ていただいた
あのことですよ。」と補足説明をするだけで、「オゝ!」という具合に深く理解していただくことができまし
た。                                              ・

この方達は京都に日帰りされますので十分な時間が取れず、宮島では『厳島神社』のみのご案内でした。 そ
れからすぐに広島に引きかえし、昼食を済ませて『平和公園』『原爆資料館』にご案内の予定でした。 昼食
には『きのこ』にアレルギーがあったり、肉類は避けたいと要望がありましたので『日本食』を提案していま
した。                                             ・

しかし戻りの電車の中で急に『お好み焼き』に興味を示されましたので、急遽『お好み村』にご案内すること
にしました。 実は昨日大阪で『お好み焼き』を食べたけれども、広島風の『そば入り』が食べて見たいとい
うことのようでした。 発端は隣に座っていたご婦人グループのお話しでした。            ・

この店は3組くらいのローテーションで回しているようです。 材料はいいし、どの組のスタッフもとても綺
麗に仕上げます。 スタッフの連携もよくて、見ていてもとても気持ちがいいです。 皆さんそれぞれにオー
ダーされ、さて食べ始めるといきなり「Masa(私のニックネーム)パーフェクトだ。」と親指を立てられ
ました。 皆さん楽しんでおられましたが、私は押してくるスケジュールに気が気ではありませんでした。・

 

『平和公園』では『爆心地』でビデオを使って全体説明をしました。 こちらのビデオも一応見直しをしまし
たが、『厳島神社』ほどには整理できていませんでした。 ここでは『核兵器の恐怖』と『犠牲者を悼み』『
核廃絶と恒久平和を希求する』という公園のコンセプトをもう少しアピールできるものに作り変えたいと考え
ています。                                           ・

最後に『原爆資料館』にご案内し、広島駅にお送りしました。 予定外のことが2つ入りましたので、かなり
厳しいスケジュールになりました。 宮島では「コーヒーが飲みたい。」、広島では『お好み焼き』をじっく
り味わい、赤ん坊に手を取られるなどのハプニングで、広島駅に着いたときには新幹線の発車7分前という綱
渡りのような状況でした。                                    ・

「挨拶なんかいいから、ともかく急げ。」とお見送りしました。 すぐに「間に合いましたか?」とメッセー
ジを送ったところ、「新幹線が2分遅れていたよ。」と返事がありました。 明日は東京に向けて出発し、レ
ンタカーで富士山辺りを見て回るようでした。                           ・






































4月10日


ボランティア・ガイドが終わりました

すっかり『老人力』がついて、確かヨーロッパからお見えになったグループだったのですが、お国の名前を忘
れてしまいました。 ダメです。 思い出せません。 今回のご案内はJNTO(日本政府観光局)経由の依
頼ではなくて、知り合いからの依頼をお受けしたものでした。                    ・

このグループは総勢70名の大所帯でした。 これほどの人数をご案内するのは初めての経験でした。 『九
州のお姉さま』からの依頼でミネソタからお見えになった10人の大学生をご案内したことがありました。・
それはそれで一苦労だったのですが、流石にその比ではありませんでした。              ・

私が属しているクラブに応援をお願いしたのですが、「そりゃぁ無理です。 プロにお願いして下さい。」と
冷たくあしらわれ、それなら自分1人でやり切る以外にないと覚悟を決めました。 そして『ポータブル拡声
器』を準備し、所在が目立つように『カープ』の赤い帽子も準備しておきました。           ・

準備を進めるうちに、サポートして下さる方ができて、私が全体の説明をした後、引率を分担していただける
ことになり、随分と助かりました。 また、中に英語が理解できない人がおられて、英語が出来る人に通訳し
て頂くように考えていましたが、こちらにもサポートがあり、おかげさまで何とか無事に責任を果たすことが
できました。                                          ・

今回は宮島だけのご案内でした。 この人達には次のスケジュールが控えており、限られた時間の中で駆け足
でのご案内で、『清盛像』の前で『厳島神社』の歴史や建築様式、清盛公が招来した平安文化をお伝えした後
は『大鳥居』『厳島神社』、昼食を挟んで潮の引いた『大鳥居』と駆け抜けました。          ・

今日は終始『曇り時々雨』の予報だったのですが、ガイドを終えて帰りのフェリーに乗ったところで雨が降り
始めましたので、全く濡れることなく観光を終えました。 ラッキーな方達でした。 私はそれから電車に乗
ったのですが、最寄りの駅まで戻ったところで丁度雨が上がり、私にとってもラッキーなご案内でした。 ・







































4月 4日


ボランティア・ガイドが終わりました

参りました。 奥様がとてもおしゃべりで、しかも容赦ないアメリカ発音で機関銃の如くくるものですから、
それに何とかついて行くのにもう頭はクタクタ、すっかり草臥れてしまいました。 大体のアメリカの人は「
こいつらどうせ英語が出来ないんだから」とゆっくり、はっきりと話してくれるのですが、気が付かないのか
配慮が足りないのか、全くお構いありませんでした。                        ・

想像して見てください。 2日間懸命に耳をかたむけ、何とかキーワードを掴もうと必死になっている状態が
どんなものか。 例えアメリカ英語でもオーストラリア英語でも暫く話していると次第に慣れてくるものなの
ですが、それもならず、まぁ私の頭の中は最後の最後まで『わやわや』でした。            ・

2日目に彼らが『原爆資料館』に入っている間ちょっとズルをしてCafeでホットミルクを飲みました。・
その時ドイツ人のカップルと相席になって暫く話したのですが、ゆったりと談笑でき、正直この時ほど救われ
た気持ちになったことはありませんでした。                            ・

ということで、今回はニューヨーク郊外からお越しになったご夫妻をご案内しました。 ご主人は73歳で現
役の『皮膚科医』、奥様は72歳で元看護師さんでした。 奥様は2度目の来日で、2022年に広島にもお
越しのようでした。 今回は羽田に入り、箱根、倉敷、尾道、そして広島、岩国から萩、京都、最後に金沢で
娘さんに会って帰国する予定だということでした。                         ・

今回は2日間の行程で、3日に宮島、4日に広島をご案内しました。 初日は行楽弁当を買って、潮の加減で
先ず『厳島神社』、それからケーブルカーで山に登りました。 脚の様子を拝見して、「これは無理だ」と判
断して、『弥山』は諦めていただき『獅子岩』で暫く眺望を楽しんで頂いたあとでベンチに座ってお弁当を食
べて頂きました。 とても満足のご様子でした。                          ・

この日はウイークデーだったのに凄い人出でした。 ケーブルカー乗り場は登り口から凄い行列で、ケーブル
カーに乗るまでに小1時間かかりました。 ケーブルカーには座る余地もないのに無理やり押し込まれました
し、下ってくるとまだ登り口から長い行列が続いていました。 それが殆ど外国の方だったのにも驚きました
。 今日はおそらく終日こんな状態だったのではないでしょうか。                  ・


 

4日はまず『平和公園』に入りました。 『平和公園』はフルコースで、主なモニュメントを全て回り『原爆
資料館』に入っていただきました。 館内は身動きが取れないほどの混雑で、これはとてもフォローできない
と思い、ご自分たちだけで見て頂くことにしました。                        ・

全ての展示には英文の短い説明が付いていますし、『平和公園』内での説明を十分に聞いていただけていれば
「あゝあのことか。」と理解が進むはずです。 それでそのように説明を組み立てています。 ただ、この人
達はどうも『先走り』する傾向にあり、従って館内では見逃したものも多かったのではないかと思います。・
そして私はこの人達と別れ、Cafeでドイツ人カップルと話し込んだと言う訳でした。        ・

時はよし。 本通りを歩いて『お好み村』に向かいました。 実は倉敷で『広島風お好み焼き』を食べた様で
したが、それでも『Okay』ということでした。 かの店は大々的にFBで発信し、なかなかの人気ですが
それ故に騒々しいし、出来上がりも雑なところがあります。 一方この店は落ち着いた雰囲気で、1つ1つ丁
寧に仕上げ、味も申し分ありません。 その雰囲気と味を楽しんでいただきました。 奥様はなかなかの健啖
家でした。                                           ・

 

それから『縮景園』『広島城』と回り、駅裏のホテルにお送りしました。 実は3日目に『錦帯橋』をご案内
する予定もあったのですが、私も彼らもほぼクタクタ、明日は自分達だけで気儘にゆっくりと出発したいとい
う事でしたので、ここでガイドをお終いにしました。                        ・

































3月28日


ボランティア・ガイドが終わりました

『曇り一時雨』の予想でしたが、少し改善して午後になって一時『ほぼ感じないほどの霧雨』が降っただけで
まぁラッキーな方達でした。 今回のゲストはイスラエルからお越しの65歳のカップルでした。 この方達
とは不思議な縁?があって、実は私は昨秋にこの方達から依頼を受けていたのでした。 しかし、キャンセル
された方のお名前までは記憶していませんし、そのことはすっかり忘れていました。          ・

今回依頼をお受けして、先様のWhat’sAppのアドレスをお聞きしスマートホンに登録しようとしたと
ころ、既に同じアドレスが登録されていることに気が付きました。 そこで始めて思い付きました。 あぁ、
この人達は去年依頼してきて、キャンセルされたあの方達だったんだ。                ・

そのことを彼らに話したところ、彼らも少し驚いていた様子でしたが、「実はあの頃はとても危険な状態で時
々ミサイルが飛んできました。 楽しみにしていましたが、キャンセルしなければならないような緊迫した状
態でした。」 そしてあなたには迷惑をかけたと誤っておいででした。                ・

スケジューリングに当り、前もって希望の観光地を確認しておきました。 広島では『平和公園・資料館』『
縮景園』『広島城』、宮島では『厳島神社』『大鳥居』『大聖院』『弥山』を希望されましたが、流石に1日
では回り切れません。 そこで「それは2日間のコースです。 1日コースだと、外せない観光地は『平和公
園・資料館』と『厳島神社・大鳥居』と『大聖院』です。」と提案しご了解を頂きました。       ・

そして今回のご案内は、先ず『厳島神社・大鳥居』『大聖院』、広島に戻って『お好み焼き』『平和公園・資
料館』とご案内することになり、朝9時過ぎに広島駅にお迎えし、荷物をコインロッカーに預けてすぐに宮島
に向かいました。                                        ・

宮島で彼らが感じた印象的な事柄。 『厳島神社』のステージに立って暫く『大鳥居』を眺めていましたが、
振り返って初めて『本殿』をご覧になって『美しい』と感嘆の一言。 『大聖院』の『五百羅漢』像に興味を
示され、その上で「あの赤や黄色のキャップにはどんな意味があるのか?」と問われました。 「それは五百
羅漢の謂れとは関係ありません。 単に趣味の問題です。」 同じく『大聖院』で『観音堂地下の『戒壇巡り
』をお勧めしました。 そして出口に立って「有難う。 いい経験をさせて頂きました。」       ・

宮島をまずまず満足していただいて広島に戻りました。 宮島口での待ち時間に「この辺りでお昼にしてはど
うか。」というのを押しとどめて、「ユニークなレストランを計画しています。 暫く我慢して下さい。」と
『お好み村』に向かいました。                                  ・

今日はこの店のベストパートナー(ローテーションがあるらしい)でした。 手際もいいし、味も格別。 奥
様は『全部入りスペシャル』(シーフード全てに牡蠣をトッピング)、ご主人は『鉄平スペシャル』(肉玉に
ビーフのトッピング)と豪勢に楽しんでおられました。 奥様の食欲には驚かされました。 『全部入りスペ
シャル』を誰よりも早く平らげられました。 なかなか美味しかったとみえます。           ・

 

それから『本通り商店街』を歩いて『平和公園』に入りました。 少し時間が押していましたので『ターゲッ
トポイント』『平和の鐘』『原爆供養塔』はスキップし、メインの『碑めぐり』をした後で『原爆資料館』に
ご案内しました。                                        ・

イスラエルの周りは敵だらけ、『イラン』『イエメン』『ハマス』『ヒズボラ』こうした国や、敵対国から支
援を受けているテロ組織からミサイルやロケット弾が屡々打ち込まれる状況にあります。 どちらに正義があ
るのか、そこは分かりませんが、常に緊迫した状況にあることは理解できます。            ・

そういう国の方々ですから、『資料館』の展示にいたたまれない気持ちになられたのでしょう、僅か30分足
らずで退出されました。 そして小さく『ジェノサイド』と呟かれたのが印象的でした。 今夜は広島駅裏の
ホテルに泊まられます。 広島駅までお送りしお別れしました。                   ・













































     



3月27日



『三水会』


前回の『三水会』の後で『本邦完歩の君』からグループチャットにメッセージが入りました。 みんなでお土
産に『御座候』を買って、それぞれ家路についたのですが、その『御座候』をバスに置き忘れて降りてしまっ
たのだそうです。 そのことに気が付いて、やがて折り返してくるバスを待って事なきを得たという内容でし
た。 それでそのことを揶揄して「『老人力』が付きましたね。」と返信しておきました。       ・

そして今日の『三水会』、ある仲間が市役所に何かのお願いに行ったのだそうです。 ところが担当者が手間
取りなかなか埒があかないので、一言「『老人力』が付きましたね。」と呟いたのだそうです。 そうしたら
それを聞きつけた周囲が大笑いになり、それがたちまち市役所内で流行語になったのだそうでした。 衆人、
身に覚えのあるインパクトのある言葉をベストなタイミングで放ったのでしょう。 これはなかなかいい酒の
肴になりました。                                        ・

実は私にもまぎれもなく『老人力』がついてきました。 ボランティア・ガイドで今月31日にロンドンのご
夫妻をご案内することになっていました。 クルーズ船で早朝に入港し、夕方に出航するタイトなスケジュー
ルでしたが、それでも出来るだけ記憶に残るいい旅をして貰いたと綱渡りのような計画をたてていました。・

さて、いよいよ日にちが近づいてきましたので、行動予定を再確認しておきたいと、先ずはクルーズ船の入港
予定を港湾事務所のHPで調べました。 ところが当日『セレブリティー・ミレニアム』の入港予定がありま
せん。 「そんなぁ」と思い港湾事務所に電話で確認すると「その日にその船の入港予定はありません。」と
そっけない返事。                                        ・

慌てて先様からのメールを確認すると、日程には『May』とあります。 確かに5月31日にはその船の入
港予定があります。 それから先様に提出したスケジュール表を確認してみました。 それには同じく『Ma
y』とあります。 何の事はない『May』と『Mar』を取り違えて記憶してしまっていた訳でした。 ・

それから『平和公園・宮島世界遺産航路』の乗船予定をキャンセル、再予約して事なきをえました。 危うく
3人分の弁当を抱え、港で待ちぼうけを喰らうところでした。 こんなことを話したら、もちろん大笑いされ
ましたが、「まぁいいじゃない。 反対だったらもっと悲惨だよ。」とかまされました。        ・


ということで、今日の『三水会』はいつも通り市中心部の『居酒屋』に屯しました。 総勢は6人でしたが、
今日は珍しい方が参加されました。 『茅渟夢想氏』です。 彼とは長く一緒に釣行してきましたが、私が家
内の病気で釣りを断念した後、彼も同所への釣行を断念されました。 ちょっと危険な場所ではありました。

その後『武漢肺炎』禍があり、その後で1度お宅にお邪魔しましたが、本当に長くご無沙汰していました。・
「あそこでは100尾くらいは釣ったと思います。」というような話しも酒の肴になりました。 その話しを
私に向けられましたので、「私は1000尾は上げたと思います。」と話しました。 これは単に釣り方の違
いによるもので、彼の釣り方では数は望めませんが当れば必ず大物が上がりました。 そんな話しもいい肴に
なりました。                                          ・

「そうか、あなたは私の後任だったのか。」と奇遇を認め合った仲間がいます。 その彼が先月の『三水会』
を欠席しました。 足首を骨折したのだそうでした。 「ほんのちょっとしたことで折れてしまって、家の中
では松葉杖は使えないし、車椅子も狭いところでは使いにくいし、難儀をしました。」と話していました。・

そして今日が初外出だったようです。 電車の中で本を読んでいたら、前を彼に似た人が通り過ぎて行きまし
た。 一瞬彼ではないかと思ったのですが、どんどん後ろの方へ歩いて行きました。 「あれはあなただった
んじゃないか?」と隣に座っていた彼に話すと、それから先のような話しに発展しました。 「こんな話しを
グループチャットで話したら後で何を言われるか分かりませんからね。 それで黙っていました。」   ・

それを引き取って『茅渟夢想氏』が「私も長く参加出来ませんでした。 何を言われているか分かりませんね
。」というと、『本邦完歩の君』が「誰か気に入らん奴がいるんじゃないかと噂をしていました。」と冗談を
かまして、また皆で笑い合いました。                               ・

こんな具合で今日も和気あいあいの内に会を終えました。 私は元々余り飲める方ではありませんでしたが、
それでも確かに急に弱くなったなぁと感じます。 晩酌はほゞしなくなりましたし、こうして仲間と楽しく話
しながら飲む酒は旨いのですが、後がいけません。 暫く本屋さんで酔いをさまして帰路につきました。 ・