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10月 6日



定期健診

今日は3ヶ月に1度の高血圧・不整脈の経過観察の日でした。 加えて先日の突発的な症状のフォローでもあ








































10月 1日


ボランティア・ガイド2日目

一昨日に続きスエーデンの老夫婦を広島にご案内しました。 ホテルのロビーで待ち合わせ、たまたまホテル













































12月31日



年越しそば


朝早くに友達から電話がありました。 まぁ定期便のようなものですが、曰く「宮島達磨で年越しそばを食お
うではないか。」というお誘いでした。 もちろんOkayです。 予約は彼が早めに出掛けて記帳してくれ
ます。 従って私は開店時間の11時半までに店にいけばよろしい。                 ・

少し前に暖簾を出して、11時半きっかりに開店になりました。 店の前には長い車の列ができていて、沢山
の人が順番を待っていました。 「わしより先に来とる奴がおったで。」と彼がいいます。 私たちの順番は
2番目で、開店とともに店内に呼びこまれました。                         ・

今日の彼は温かい『鴨南蛮そば』でした。 「この鴨はうまいで。」と言いながら満足そうに口に運んでいま
したね。 私はもちろん『ざるそば』にしました。 「年越しそばはザルじゃろう。」と勧めたのですが、彼
には彼の思いがあったのでしょう。                                ・

 

『年越しそば』に限らず、そばはやはり『ざる』ですね。 それ以外の選択肢はありません。 あゝこの『シ
コシコ感』、あゝこ『風味』、出汁も旨いし、量もちょうどいい。 これで今年あった嫌なことは全て忘れて
新年が迎えられます。 皆様もどうぞよい年をお迎えください。                   ・






























12月29日



ボランティア・ガイドが終わりました

直前になってWhatsAppのアカウントを交換して、この人たちはオーストラリアからお出でだと知りま
した。 「うわ~! 3連発で聞き取りにくい発音にお付き合いをしなければならない。」と覚悟していたの
ですが、前日に写真を交換したところ、どうやらネイティブではなく、アジア系の人たちだと分かりました。

ちょっと嬉しかったというか、安堵しました。 いつもフィリピンのチューターに英会話を教わっていますの
で、アジア系の発音には慣れています。 というのは、今までご案内した例えばインドネシア、マレーシア、
シンガポールなどの発音はほぼフィリピンと共通していることをよく知っているからです。       ・

左膝を痛めていましたので、長歩きには難渋しましたが、会話の面では全く不自由はありませんでした。 従
って結構気楽なガイドとなりました。                               ・

28日

「姫路に立ち寄るので、姫路を離れる時に連絡する。」と曖昧な連絡が入りました。 広島駅で落ち合うこと
にしていましたが、目安も知らせてこないため、ただ待つしかありません。 我が家から広島駅までは40分
~50分はかかるので、直前になって連絡を貰っても困ります。 かといって早めに出掛けて寒い中広島駅で
あてもなく待っておくわけにもいきません。                            ・

落ち着かない気持ちで待っていたところ、11時過ぎに連絡があり、12時30分頃に到着すると言ってきま
した。 それなら十分に間に合いそうです。 すぐに支度をして出掛けました。 お会いしてみるとなかなか
気さくそうなファミリーで、すぐに打ち解けて「日本の街並みはどこに行っても綺麗だなぁ、ゴミ1つない。
」などと楽しくしゃべりながらご案内をスタートさせました。                    ・

今日の予定は広島のみ、お昼の後に平和公園と資料館をご案内しました。 先ずはお好み村です。 大きな鉄
板の上で焼き上がる『お好み焼き』に興味津々。 魚粉や天滓、トロロ昆布など「これは何だ?」などと質問
攻めにしたり写真を撮ったりしていました。 そして食べ終わった後で「今までに食べてきた日本料理の中で
、これが一番美味しかった。」と店長さんを喜ばせていました。                   ・

 
 

『年末始』の実質的な始まりでしたので、今日は流石に人が多かったです。 いつも長い列ができて不評の『
資料館』入館でしたが、寒くなってからはスイスイと入れていたのに今日は結構長い列ができていました。・

私は展示室には入らないで、「平和公園で私が説明したことを思い起こしながら展示物の意味を理解して下さ
い。」と伝えておいてロビーに座って待っていました。 もうとてもお付き合いして歩けるような状態ではあ
りませんでした。 後で「どうでしたか?」とお尋ねしたところ、「事前の説明がとても助けになった。」と
お褒めいただけて安心しました。                                 ・

29日


これも『前立腺癌』治療の影響だろうと思うのですが、逼迫尿とともに逼迫便にも苦慮しています。 通例2
日に1度のペースで便意があるのですが、それが困ったことにいつも突然にやってきます。 いつもは頑張っ
て排便を済ませて出発するのですが、今日は大丈夫だろうと思っていたのに電停近くまで歩いたとき急激な便
意に襲われました。                                       ・

宮島口まで4駅、必死に耐えて宮島口フェリーターミナルのトイレに飛び込んで難を逃れました。 JR宮島
口駅で落ち合う約束だったのですが、「そういうことでフェリーターミナルまで来て下さい。」とお願いしま
した。 トイレが間に合わなかったらえらいことになるところでした。                ・

この人たちは昼すぎに大阪まで帰って関空から帰途につきます。 従って弥山登山はありません。 『厳島神
社』『大聖院』『千畳閣・五重塔』を回り、大鳥居を間近に見て頂いた後で表参道商店街を経由して帰途につ
いていただく予定でした。                                    ・

この間のご案内は全て予定通りこなせました。 ただ今日は『冬休み』の始まりで、時を経るごとに観光委客
が増えてきました。 『大聖院』を回って『厳島神社』に戻った時には入り口に長い行列が出来ていました。
それに表参道は『芋の子を洗うような』混雑になっていました。                   ・

私は表参道に入ったところでお別れし、後はこの人達だけで商店街を楽しんで貰うように計画していたのです
が、その話を切り出した時「ランチをご一緒しませんか?」とお誘いがありました。 本来はボランティアの
中に交通費と昼食を含むのですが、何となく遠慮していました。 ご飯をご馳走になって、「それでは私はこ
れで。」というのには何となく気が引けていました。                        ・

お言葉に甘えて商店街の中の食堂を尋ね歩くのですが、どこも満員、しかも長い行列ができています。 結局
いつもお世話になる商店街の湊側入り口にあるレストランでお昼をいただきました。 Dadは『牡蠣カレー
』Mamは『うどん』、子供たちは豪華な肉料理を食べていました。 そこで聞いた話ですが、『うどん』店
はシドニーにも極普通にあるそうで、よく食べるのだそうです。 また、日本のカレーもかなり有名なのだと
教わりました。 ただ、『たこ焼き』はあるけれども『お好み焼き』は見ないと言っていました。    ・

年末の依頼を引き受ける人はいないだろうと考えて私が引き受けたのですが、予定の変更・変更で遂には年末
始にかかり、宿の変更もあったりして、何度もスケジュールを見直すことになり少々『ムッ!』としたことも
ありましたが、こうしてガイドを終わってみて、「いい家族だったな。」という思いを強くした次第でした。

これで今年の全てのガイドを終えました。 今年はトータル20パーティー、延べ30日のガイドでした。・
まぁいろいろありましたが、『終わりよければ全てよし』でしょうか。                ・
























12月27日

ギターのレッスンが終わりました

「この曲はいいです。 練習を積んで、いつでもどこでも誰に言われても弾けるように、是非この期に完成さ
せておきましょう。」 ということで、今日は『早春譜』の指導を集中的に受けました。 終盤にテンポが急
に上がりミスタッチが増えることについて、「他の弦に触らないように肘をうまく使いながら指先で確実に弦
を捉えるように。」と指導を受けました。                             ・

しかし、それがなかなか難しい。 長年の癖で、イージーな運指が身に付いていますので、これを治すのには
ちょっと骨が折れそうです。 どうやら来年は正月返上でこの曲に取り組むことになりそうです。 『お屠蘇
』も控えて次回レッスン(1月10日)までには目途をつけたいと思っています。           ・

苦しい中でのガイドの予定

話は変わりますが、先日定期健診で病院に歩く間、急に右膝に痛みが出て、それ以降難渋しています。 前回
のガイドで弥山登りをしましたが、石段の登りがとてもきつかったので、その影響だろうと思います。 それ
に、ギターの練習が腰の負担となり、それが膝に影響しているのかも知れません。           ・

「まだまだやれるのだ。」と思いながら、忍び寄る『老い』を強く感じるようになりました。 出来ていたこ
とが出来なくなるということも珍しいことではありません。 『80の壁』というものはやはり現実にあるも
のだと感じています。                                      ・

そうではあっても、この『老い』に抗いながら生きて行かなければなりません。 フィジカル面でもメンタル
面でもです。 人間の宿命ですね。 明日からオーストラリアのご家族のご案内が始まります。 今になって
急に交代をお願いすることも出来ませんので、痛む右膝を引き摺りながら2日間を頑張り通す積りです。 こ
の間ももちろんギターの練習は休みなしですね。                          ・















































12月24日



友達と会った

友達が広島市から廿日市市に引っ越してきました。 その事情には触れません。 ただ、娘さんの近くに住む
ことになって、少し不便にはなりますが、まぁいい選択だったのではないかと思います。        ・

第1声は「ずいぶん田舎に来た。」と嘲笑気味でした。 いやいや、訪ねてみるとなかなかのロケーションで
はありませんか。 急激に開けてきていると思います。 近くにマーケットやコンビニがありますし、JRの
駅にも比較的近い。 引っ越し元は2~3分歩けば電車の停留所、広島の中心部へのアクセスもいいとあって
、そこと比較すれば確かに田舎ではありますが、近くに厳島神社の摂社や有名な滝などもあり、海にも近くい
い環境に恵まれています。                                    ・

それより何より、極近くに『みやじま達磨』があります。 これは美食家の彼にとって嬉しいに違いありませ
ん。 『達磨』といえば、そば好きの方には解説はいらないと思いますが、そば打ち名人の髙橋邦弘さんの流
れを汲みます。 『みやじま達磨』もその一店です。                        ・

高橋名人は一時広島県北部の豊平町で『雪花山房』という店を営んでいました。 豊平の蕎麦と水に惚れ込ん
だのでしょう。 この時近傍の多くの人が弟子入りし、広島県でも2店舗が『翁・達磨グループ』として営業
しています。 余談になりますが『翁・達磨グループ』はざっと数えただけでも全国で40店舗ほどあり、パ
リにも1店舗あるそうです。 髙橋名人は現在は大分県の杵築で開店しています。           ・

「今日は寒いので暖かい蕎麦にしようで。」と彼がいいます。 「転宅したら『みやじま達磨』で蕎麦を食お
うで。」と約束していたのでした。 それで今日は『やまかけ蕎麦』にしました。 鰹節を削るところから作
る出汁は絶品、本当に旨いです。                                 ・


 

ただ、私の個人的な好みからいえば、やはり『蕎麦』は『ザル』ですね。 よくしまった蕎麦のシコシコ感、
それに風味には捨てがたい魅力があります。 次回は彼がどうでれ、私は『ザル』にします。 温蕎麦はそう
いう意味では食感と蕎麦独特の風味に物足りなさを感じます。                    ・


















































12月20日



ボランティア・ガイドが終わりました


今回のお客様はインドネシアのファミリー、母・長女・三女の3人組でした。 母はジャカルタから、長女は
シンガポールから、三女はオーストラリアからやってきたというユニークな取り合わせでした。 因みに3人
姉妹の次女はいまロンドンにいるのだそうです。                          ・

19日1日のみの依頼でしたが、「広島城と弥山をどうしても見たい。」と強く希望してきました。 広島・
宮島を1日で巡るとなると、『広島城』と『弥山』を含めた行程はとても無理なので、そのように説明をして
きましたが、それでも『Isen Isen』(弥山の間違い)と何度もプッシュしてきました。 取り敢え
ず1日のスケジュールを作り「これでどうか?」と提案しましたが、それでもなお諦めきれないようでした。

止む無く前日の広島入りの予定を聞いたところ、2時ごろには到着できるという事だったので、18日に大急
ぎで昼食を済ませ、平和公園と資料館を案内し、19日の早朝に広島城をみた後で宮島に行くというのではど
うかと提案したところ、それで了解してくれました。 押し切られてしまいました。          ・

18日

長野から来るんじゃ、どんなに急いでも2時到着がやっとだろうと思っていたら、「11時半に広島に着く。
12時半にホテルのロビーで待ち合わせたい。」と連絡をしてきました。 「どんな方法を取ったんだろう?
」と訝っていたら、「名古屋から来た。」といいます。 長野と名古屋か、確かに似通ってはいるなぁ。 ・

それなら上手くいけば今日中に『広島城』まで回れるかもしれません。 先ずは『お好み焼き』で昼食を済ま
せませ、いつもの通りに平和公園、資料館と案内しました。 『お好み焼き』で結構時間を食いました。 馴
染みの店がお休みで(この店は手早い)他に回ったこともありますが、旅行中には土地・土地の食べ物も楽し
みの1つですから、まぁそこは良しとしましょう。                         ・

残り時間1時間足らず、それでも4時30分までに『天守閣』に入り、天守から眺望を楽しみ、それからササ
ッ!と展示物を見てもらえれば何とか乗り切れます。 『平和資料館』前からタクシーをとばし何とか入館制
限をクリアしました。 かなり際どいです。                            ・

ライトアップまで暫く待って、内堀の外周に回り、私のお気に入りの方角から『天守閣』の佇まいを見て貰っ
て宿まで送りました。 広島駅で明日の宮島行の乗車位置を案内し、土産物売り場でお弁当の候補をお話しし
ておいたのですが・・・                                     ・


 

19日

2日目は昨夕『広島城』を済ませておいたので、宮島口駅で待ち合わせることになりました。 そうなれば私
も朝1時間ばかりゆっくりできます。 列車の時刻はメモして渡しておいたのに、予定の列車ではやってきま
せんでした。 10分遅れでやってきましたが、オャ!弁当も持っていません。            ・

19日の天気は何故か安定せず、「曇り一次雨」の予報が前日までCでした。 明け方ベランダから見る弥山
にはうっすらと雲がかかっているようでした。 それが段々と明るくなっていたのですが、「登らないの?」
と聞くと曖昧に「曇っているし。」と答えます。 あの情熱は何だったん?              ・

宮島桟橋の前に立体の案内地図があります。 まずはここで今日の予定を話しました。 「もし弥山まで登る
とすると、ケーブルカー駅はここ、途中までケーブルカーで登ってそこから頂上まで1キロほどです。」と言
ったところで心が決まったようで、「ケーブルカーに乗る。」と言い出しました。           ・

下ってからお昼にすることにして、ケーブルカー駅に向かいました。 頂上は明るくなっているように見えま
したので、多分天気は何とかもつでしょう。 ところがケーブルカーに乗って『榧谷のりかえ駅』に到着する
頃に小雪に気が付きました。 雨交じりのようでもありましたが、かなり冷え込んでいるようでした。 『獅
子岩駅』に着いた時にははっきりと雪模様でしたが、ここまで来たらもう登るしかありません。     ・

弥山頂上からの眺めは、やはり”晴れてこそ”ですが、それでもまぁ”そこそこの眺め”を楽しんで頂けたと
思います。 もう雪は消えていました。 ただ下が濡れていて、滑って転ばないように、ポイント・ポイント
で注意しながら歩きました。                                   ・

弥山本堂前の『霊火堂』でこの火の謂われ、この火が平和公園の『平和の灯』に移されたことなどを説明し、
大きな茶釜のお湯をすくって「健康にいいと言われている。」といって勧めました。 お母さんは信心深い人
らしく、線香3本を・・・これは上座仏教のやり方だろうと思うのですが・・・顔の前でゆすりながらお参り
をしていました。                                        ・

下って昼食を済ませ、『厳島神社』『大聖院』と回り、最後に『大鳥居』を見て貰おうとその方角に歩き始め
ると、しきりと呼び止めます。 「この道を通って商店街に行きたい。」ということのようでした。 『大鳥
居』より『もみじ饅頭』の方に興味があったようです。 しかし、『大鳥居』は通り道ですから「こっち」と
引っ張って、最後にお楽しみの『商店街』にいざないました。                    ・

女性3人が商店街に入ると凄いですよ。 『もみじ饅頭』が食べたかったようで、『揚げもみじ』とか『漉し
餡』とか、様々試していました。 まぁ、こうなったら静かに見ておく他はないな。 そして宮島口駅まで送
ってお別れしました。                                      ・






































12月13日

ギターのレッスンが終わりました

来月の発表会で演奏する曲が決まりました。 1つはギターを習い始めたころから「何時かは弾きたい。」と
思っていた『早春譜』です。 多感なころを思い起こさせるいい曲です。 日本の原風景・古き良き時代を想
起させ、涙腺をくすぐります。 歌詞もまた趣があっていいですね。                 ・

孫娘の助けもあったりして、今現在一応通して演奏できるところまではこぎつけていますが、まだ演奏中にメ
ロディーが聞こえてこない部分もあり、またあやふやな部分もありますから、あと1か月余りを腰を据えて頑
張り切らなくてはいけません。 今日は2か所ほど運指の指摘がありました。 その指摘により演奏にしばし
ば躓いていた部分を解決することが出来ました。 たった1か所の指使いで解決できたことに驚いています。

先生の方からも「この曲を是非に。」と勧められていますので、それを励みにしたいと思っています。 もう
1曲は『ソルOP31-1』に決めました。 いま練習中の『OP31-14』は、曲そのものがまだ身に付
いていません。 『早春譜』にトライしながらこの曲にもトライするには流石に時間が足りません。 それで
今までに『合格』を頂いた曲の中から、私のフィーリングに最も合う曲を選びました。         ・

ここ暫く相当に集中しましたので、今日はもうギターから離れます。 後は英会話のレッスンを2レッスン受
けたあとをのんびり過ごします。 夕方はマーケットに出掛け、『ブリのアラ』があったら今夜は『ブリ大根
』で『湯割り』を楽しもうと思っています。                            ・









































12月10日


75円


私は『凝り性』だと思いますが、それとともに結構『移り気』かも知れません。 食べ物の話題ばかりで恐縮
ですが、最近凝っているものは『押し寿司』ですね。 冷凍庫には170gの冷凍ご飯と『酢〆コノシロ』『
鯵』『マグロの切り落とし』『ホタテ』など、『押し寿司』に便利な魚がひしめいています。      ・

『押し寿司』は結構食べますね。 少なくとも週2回くらいは食っていると思います。 これをつまみながら
『焼酎の湯割り』を楽しむというのはなかなかのものです。 生魚の冷凍は鮮度が落ちるのかも知れませんが
私は気にしていません。 これを始めたきっかけは『鯖の刺身』です。 ご存知のように鯖には『アニサキス
』という虫が寄生しています。 これを退治する唯一の方法は『冷凍』だと聞いて、それならとこんなことを
始めたのでした。                                        ・

『カレーライス』にも凝っています。 もともとカレーライスは大好きで、一時電子レンジで作るカレーライ
スに凝っていました。 これも週に2回程度は食べていますね。 最近では『スープカレー』ですね。 スー
プとご飯は別皿で頂きます。 インド風であったりネパール風であったりしますが、これは見掛けだけで、内
実はそれとは別物かも知れません。 ただ、ご当地カレー専門店には時々味わいに出掛けます。     ・

『バングラディッシュ風』も作ります。 日本で学びアメリカに渡ったバングラディッシュのドクターが渡米
前に我が家で作ってくれたカレーですが、最近では一歩進めて『ポテト・チキン』カレーにもトライしていま
す。 ドクターが残していった『クミンシード』と『コリアンダー』を使って作っていますが、ホールスパイ
スまでには至っていません。 それでも強烈なスパイスの香が部屋中に充満します。          ・

大根の季節になりました。 『沢庵でない大根の漬物』、これにも凝りました。 今年もそろそろ始めようか
と思っています。 砂糖と塩と酢に漬けて冷蔵庫で簡単に作れます。 これは『無限大根』かも知れません。
もちろん副菜ですが、お酒のアテにも秀逸です。 ギターのレッスンが終わったら産直市場に行って新鮮な大
根を物色しようと思っています。                                 ・

最近凝り始めたのはこれです。 『鯛の酒蒸し』ですね。 冒頭の『75円』の意味はこれです。 夕方マー
ケットに行くと大抵大きな『鯛のアラ』が半額になっています。 先日買ったものは1パック140円足らず
でした。 頭が2つ割りで入っていて、この片身分を使いますが、これに調味料や野菜を加え、しめて75円
という訳です。                                         ・

 

作り方は至って簡単です。 アラの片身分に同量の酒とポン酢、それに野菜を加えて電子レンジ300Wで約
7分というところです。 アラからいい出汁がでていい感じです。 付け合わせの野菜は、この時期だとカリ
フラワーなんかはボリュームもあるしなかなかいいと思います。 鯛の美味しい季節です。 これも『焼酎の
湯割り』にとてもいいですね。 こんなことで、様々のものに凝りながら、心は次から次に移っていくのでし
た。 ということで今回の話題は少し意地汚くはありました。                    ・
























12月 4日



胸のつかえが下りました+α

古い友達と10数年ぶりに会いました。 私が長年勤めた会社の、最後のセクションで一緒に働いた年下の上
司でした。 この会社を退職するとき、次の会社に推薦して下さった方で、私がいま不自由なくそこそこにく
らしていけるその多くは、この方のおかげでもあります。                      ・

ところが私はこの方にその感謝の気持ちをはっきりと伝えてきませんでした。 少なくとも私はそう思い、そ
のことが長い間『棘』のように私の心にひっかかっていました。 明日は、明日はと思いながらずるずると過
ごしてきたと、このことに言い訳はできません。                          ・

今年の暮れ、或いは年明けには一席設けてそのことを彼に伝えたいと料亭を調べていた矢先、彼から電話があ
りました。 用向きは機微に関わることでしたので控えますが、この電話に「しまった! 先を越された。」
と思いました。 それとともに、実はこれは最高のチャンスでもありました。             ・

さて今回のご招待は広島八丁堀の料亭『稲茶』の夜席でした。 この料亭には『菩薩様』と行った昼席が最初
だったと思います。 もう20数年前の話です。 それ以来もちろん『菩薩様』とは何度も行きましたし、広
島名物の『こいわしの刺身』が食べたいという田舎の叔母や友達を何度かお連れしたことがあります。  ・

この料亭はとあるビルの3階にあり、入り口も目立たない、いわば『隠れ家』的な存在です。 『夜席』の懐
石、比較的リーズナブルな『昼席』、それに名物の『こいわし料理』、とりわけ『いわしハンバーグ』を一品
料理として食べることもできます。 スタッフさんの立ち居振る舞いがとても洗練されていて実に居心地のよ
い料亭です。                                          ・

事前に「80歳に近い二人だけれども、『夜席』のメニューは何がいいですか?」とお尋ねしたところ、「少
し控えめのメニューでいいのではないでしょうか。 もしもう少しということがあれば一品料理も用意できま
す。」ということでしたので、軽めの『懐石』をお願いしました。                  ・

なかなか見栄えのよい美味しい料理を次々と楽しませて頂きました。 私はどちらかというと『健啖家』です
が、彼は少食でお酒を楽しむタイプです。 グラス1杯のビールの後は濃いめの『黒霧』をどんどん傾けてい
ました。                                            ・

 

「もう少し料理を楽しまれたらいいのに。」と思いつつ、そのことには触れないでお互いに会話を楽しみまし
た。 そして遂に10時が近くなり、「そろそろ閉店にさせていただきます。」と声をかけられるまでこの一
時を存分に楽しみました。 そして近々改めてお目にかかることを約束して今夜の邂逅を終えました。  ・

+α

以下は余談です。 今夜私たちの席を和ませて頂いたスタッフさんの事ですが、実は見覚えがあるような、そ
んな気がしていました。 10年前、私が始めてガイドをしたアメリカの紳士に多分私の一生懸命さが伝わっ
たのでしょう、「今夜あなたを招待する。 好きなところに席を設けて、もしよければあなたの家族全員を招
待する。」と思いがけないお招きを頂きました。                          ・

そのことを家族に話すと、全員が尻込みするなか、ギター弾きの孫娘が「私は行きたい。」とただ1人手をあ
げました。」 この子は人見知りしない、いい性格を持っています。 そしてアメリカの親子(当時中学生低
学年の息子さん)と私と孫娘(当時8歳)で、この店の『夜席』を囲みました。            ・

その時、孫娘はとっさの機転というか『折り紙』の本と、カラフルな折り紙を持って来ていました。 そして
言葉も年齢も文化の違いも乗り越えて、折り紙を通じてまるで旧知のようにコミュニケーションを取っていま
した。 私もアメリカの紳士もあっけにとられてこの光景を眺めていました。             ・

その時スタッフさんがどこで調達したのか『金銀』の折り紙をお持ち下さり、この子たちに混じって場を和ま
せて下さいました。 「このスタッフさんが今夜私たちのお相手をして下さったこの人ではなかたろうか。」
と思い当たったのでした。                                    ・

「あなた、10年前にもここで働いていましたか?」とお尋ねすると、イエスといいます。 「10年前外国
の親子連れと私と孫娘がここでお世話になったことがあります。 その時私たちのお相手をして下さったのは
もしかしてあなたではなかったかと思うのですがどうですか?」とお尋ねしたところ、すぐに思い出されて、
「確かに小さなお子さんが折り紙をしていたこと、私もその中に混じって言葉は通じないながらも折り紙をし
て一緒に遊んだことを覚えています。」と目を丸くして驚いておられました。             ・

それから、その時のことを思い起こしながら様々話して、この場が一層盛り上がりました。 今夜は旧友と会
えて胸のつかえが下りたこと、そして最後の最後にこのスタッフさんと共通の話題が持てたことですっかりい
い気分になり、旧友と別れて家路についた次第でした。                       ・
































11月29日



ギターのレッスンが終わりました

今回のレッスンは、ソルOP31-14と『早春譜』でした。 段々と難しくなって、とても一筋縄ではいか
なくなっています。 もちろん「私のスキルでは。」ですが。 指使いが難しくなり、意地が悪いほど複雑な
移動を強いられています。 しかしてソルOP31-14は曲の中間どころまで、『早春譜』は最後の部分が
全く手つかずに終わってしまいました。                              ・

因みにですが、『早春譜』の終盤、8分音符と16分音符が複雑に絡み合う終盤の部分をどう演奏するか困り
果てて孫娘に相談したところ、事もなげに録画してメールで送ってくれました。 まぁ当然と言えば当然なの
ですが、それにしても余りにビギナー過ぎる自分が情けなくなってしまいました。           ・

『早春譜』は私にとって幼い頃を思い起こさせる懐かしい曲で、聞くたびに涙させる心打つ曲の1つです。 
一度は演奏してみたと思い、ネットで楽譜をダウンロードして練習を始めました。 困ったことに、歌詞が頭
の中を走り回り、譜読みが疎かになるという事態に陥っています。                  ・

先生と相談し、次回の発表会、来月中ごろですが、そこで『早春譜』を演奏することにしました。 これから
根を詰めて何とか完成させたいと思っています。 年末までに何とか形になればいいのですが、果たしてどう
なりますか。                                          ・

「もう1曲はソルOP31-14でいいですか?」とお聞きしたところ、「・・・それでもいいですが、今ま
でに練習してきたソルの曲の中で身体に馴染んだものを考えてみてください。」と指摘がありました。、どう
やらこの曲は私にはハードルが高いと読んでおれれるようでした。 結局次回レッスンで進捗状況をみて判断
することになりました。                                     ・

今月もボランティア・ガイドが2回入っています。 また友達に逢ったり、片付けをしたりと何かと気ぜわし
い時期ですが、『枯れ木も山の賑わい』ですから何とか辿り着けるよ言うに頑張ってみます。      ・


















































11月24~26日



ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様はオーストラリアのファミリー、70台前半のご夫婦と40歳台後半とおぼしきご子息の3人連
れでした。 この人たちの旅程は当初25日に広島市内、26日に宮島の予定でした。 ところが「24日の
昼すぎに着くが、午後半日でどこか見学するところはあるだろうか?」と打診がありました。      ・

広島・宮島はフルコースを予定しています。 さてどうするか、たちまち思い当たるのは『宮浜温泉』『茶の
湯in広島』『西条の酒蔵巡り』など。 『茶の湯』は広島市内の茶道教室に当たりをつけたうえでこの3つ
を提案しました。 すぐに返信があり、『酒蔵』に行きたいと言ってきましたが、彼らだけで行くのは難しい
ので、結局私が連れていくことになりました。 それで当初の予定に24日が加わったわけ。      ・

早速東広島の観光案内所に連絡し、英語のできるガイドさんをお願いしました。 「日本語ガイドが案内する
からあなたが通訳してくれますか?」と言いますから、「専門用語は手に余る。」と無理をお願いしました。
 そして24日、彼ら3人を連れて西条駅に向かい、駅構内の観光案内所でガイドさんに落ち合いました。・

ガイド料1,000円を支払って、後はガイドさんにおまかせです。 私は後を歩きながら西条駅に近い5つ
の酒蔵を案内して頂きました。 私も始めての経験でしたので随分いい勉強になりました。 かれらも日本の
酒蔵に随分興味を持ったようで、あれこれ質問をしたり、また利き酒も楽しんでいました。       ・

ちょっと余談になりますが、酒米の『精米の程度』と『酒の味』の対比という面白い企画がありました。 白
牡丹酒造の酒蔵で精米率の違いごとに3回『利き酒』をし、酒の味と精米率を当てるというクイズです。 私
はガイド中は『お好み村』でもお酒は飲まないのですが、そういう事なら試してみないわけには行きません。

 

私は全て正解しました。 精米率が高くなるとピュアーで高貴?な味になりますが、逆に精米率が低いと精米
の中に含まれる様々な成分がまじりあって、むしろ美味しい酒になるということを知りました。 蔵人も、好
みによるけれど中間どころ(値段)の酒が一番味わい深いと言っていました。             ・

これで24日の旅程はお終い。 25日は平和公園、資料館、そして『お好み村』でお昼を楽しんで頂き、『
縮景園』に向かいました。 このところ『縮景園』を訪れる人が随分増えています。 もちろん外国の方も随
分多くなっています。 今日は『資料館』に入るのに50分待ちでした。 それほどではありませんが、門の
外までそこそこの行列が出来ていました。                             ・

鯉の餌やりはもうダメですね。 水温が下がって活性が低くなっています。 ちょうど紅葉の時期で、紅葉が
綺麗に色づいていました。 それより何より『清風館』周辺の殺風景さが気になりました。 以前「古い資料
に乗っ取って植栽を見直した。」と説明を聞きましたが、いくら何でもこれはないだろうという程殺風景で、
往時の趣はすっかり消えています。                                ・

『鯉の餌やり』は空振りでしたが、それでも随所の紅葉や『薦巻き』などの見どころは十分に楽しんで頂けた
と思います。 それから『広島城』の予定なのですが、前回のゲスト同様すっかり顎を出されて、『広島城』
は諦めてホテルに帰ることになりました。                             ・

26日は宮島です。 おそらく今日が最高の人出(紅葉狩り)になるだろうと思っていました。 一応ケーブ
ルカーの予約は取っていましたが、シャトルバスは運休でしょうし、特に『紅葉橋』の辺りは相当な混雑が予
想されます。 また『紅葉谷公園』の坂道、ケーブルカー・ターミナルの取り付け道の急坂にあの人たちは耐
えられるだろうかと心配していました。                              ・

そろそろ待ち合わせの宮島口駅に向けて出発しようとしていたとき連絡が入りました。 「私はまだ体調がす
ぐれない。 両親もすっかり疲れてとても動けないので今日の予定をキャンセルする。」と言ってきました。
ちょっとあっけない結末になりましたが、今回はこのようなご案内でした。              ・





















11月 18日・19日



ボランティア・ガイドが終わりました

このところ多忙な日が続いていて、ブログの更新も滞りがちになっています。 「一体何が?」と問われると
明らかな要因をお示し出来ないのですが、段々と難しくなるギター曲、次々とやってくるガイド・スケジュー
ル、英会話レッスンなどが大きいところかも知れません。 それに身の回りのことにも毎日忙殺されいて、余
計に忙しさを感じます。                                     ・

今年もあと余すところ1月余り、歳をとると時の経つのが早いと言われますが、そういう心理的な側面もある
かの知れません。 そんな中、今年のガイド予定は今回を除いてあと3回、今月末にオーストラリアン・ファ
ミリー、来月19日に国籍不明の3人のグループ、28日・29日にアメリカン・ファミリーの予定がありま
す。                                              ・

それを前に今回はオーストラリアのオールド2カップルのご案内がありました。 旅程は定番通り、初日は平
和公園・資料館、お好み焼きを楽しんで頂いて縮景園にご案内しました。 縮景園の後で広島城をご案内する
予定でしたが、長歩きにすっかり顎を出されてこれは取りやめ、この日の予定を終了しました。     ・

 

取り敢えずホテルにお送りした後でロビーで2日目の作戦会議をしました。 宮島口までは当初の予定を変更
し、電車で来ていただく。 それから弁当を受け取って宮島にわたり、当日のホテルにチェックインした後で
すぐにケーブルカーターミナルに向かう。 一旦獅子岩までケーブルカーで登った後で頂上まで登るかどうか
を話し合う。 こんなことを話し合いました。                           ・

急遽電車に変更したことが大正解となりました。 JRで人身事故があり、早朝から運行停止になっていたよ
うです。 そのため電車に乗り換える人が多く、また紅葉のシーズンが始まることも相俟って、この電車はま
さに寿司詰状態、まぁそれでも何とか辿り着けましたので良しとしましょう。             ・

チェックインを済ませ、すぐにロープウェーターミナルに向かいました。 繁忙期にはロープウェーは予約制
となり、シャトルバスは運行停止となっています。 かなり厳しいと思いますが、紅葉谷の坂道を登っていた
だき、ターミナルに辿り着きました。                               ・

予約制になっていましたので獅子岩までは比較的スムースに登ることが出来ました。 そこから頂上を眺めて
頂いてその後の行動を決めることにしていましたが、ご婦人方は拒否、男子も諦めるだろうと思っていたら、
「登る。」ときっぱりと言われました。 皆さん70歳代後半、とても登るとは思っていませんでしたので、
でも登るとなれば当然お付き合いをしなければなりません。 ご婦人方には獅子岩展望台でお昼にして頂くこ
とにしました。                                         ・

事前にエクササイズをされていたそうで、お二人とも結構スタスタと登って行かれます。 展望台頂上で暫く
絶景をご覧になっていただき、階下に下りて景色を見ながらお弁当を楽しんで頂きました。 それから獅子岩
でご婦人方と落ち合い下山、それにしても獅子岩の改札口まで大変な行列が出来ていました。 予約制にしな
ければいけないほどの観光スポットになっているということでしょう。                ・

下って厳島神社をご案内し、大聖院は明日の朝にまわしてショッピングを楽しんでホテルに戻るという彼らと
表参道の入口でお別れしました。 2日間歩き通し、しかも弥山山頂まで登ると流石に疲れます。 それにこ
の人たちの発音がなかなか聞き取れず、冗談も多いとあって、その疲れも相俟って今日は完璧にグロッキーで
した。                                             ・
















































11月 6日



ボランティア・ガイドが終わりました

私がガイドを始めて間もないころ、ハーバード大卒のご夫婦をご案内したことがあります。 お二人とも同大
学で教育学を履修し、ご主人は『米教育関係機関』のチーフで今も世界中を飛び回っているという偉いお方で
す。 今回のお客様はその方から「職場の仲間が広島に行くから案内をしてやってくれ。」と頼まれた若いカ
ップルでした。                                         ・

余談になりますが、このところ以前にご案内した方からの紹介で依頼を受ける機会が多いです。 オーストラ
リアからもありましたし、アメリカからは今回を含め2回、デンマークからも若者がやってきました。 こう
した依頼は、本来私が自分のペースでお受けしているものにいきなり割り込んできますから時に厳しいことに
なります。 例えば3日連続ともなると、流石に体力の限界に迫ります。               ・

でも内心誇りに思うこともあります。 「あいつは面白いから、あいつに頼め。」と言われたとか、「知識が
深い。」とか、「真心を感じる。」とか、まぁ半分はお世辞だとしても、こうして頼ってきて頂ける事は当に
ガイド冥利につきます。                                     ・

さて今回のご案内ですが、ご主人は生粋のアメリカ人、奥様はジャマイカからの移民でした。 『原爆資料館
』をご案内した後で、「アメリカの方にとっては平和公園内の説明や、資料館での展示には複雑な気持ちがお
ありでしょうね。」と奥様にお聞きしたところ、「私はジャマイカの出身ですから、ごくニュートラルに受け
止めました。」といわれ、始めてネイティブでないことを知りました。                ・

正直に言うと、私はアメリカの方の発音がとても苦手です。 従って根問いすることも多いのですが、何故か
奥様の発音は聞き取りやすく、どうしたものかと思っていましたが、ジャイカからの移民と聞いてその疑問が
解けました。 そんなことで終始和やかムードのガイドとなりました。 そんなこともあって、『お好み村』
の女子店長から、「いつも渋い顔をしているのに、今日はえらいにこやかだねぇ。」とからかわれました。・

 

最近では『タブレット』を使って説明するようにしています。 宮島に向かう電車の中で、宮島の成り立ちや
『厳島神社』の歴史、『平清盛』の功労などを概説したうえでフェリーに乗りました。 そして現地に入って
ビデオも活用しながら更に説明を深めて頂きます。 これが最近の手順です。             ・

今回は始めに『大聖院』を訪れました。 というのは、これは『汐待ち』ですね。 やはり厳島神社の見どこ
ろは『水に浮かぶ幽玄な姿』です。 なかなか高い潮にタイミングを合わせることは難しいですが、少しでも
感動的な姿を見て頂きたいとそのように計画しました。                       ・

手順も説明も滞りなくすすみ、「これで推薦してくれた人にも顔向けが立った。」と思っていたところ、最後
の最後に落とし穴がありました。 もっともこれは私の責任ではありません。 今日は朝から雨の予報でした
がずっと持ちこたえていたのに、『厳島神社』に入ったころから急に降り出し、ついには吹き降りになってし
まいました。                                          ・

フェリーでは乗客が多くて船室に入れず、デッキに立っていたところ、いきなり横殴りにくらって、慌てて風
裏に避難するという具合でした。 山陽線は大雨のため運転を見合わせている区間もあり、上り列車は長い間
信号待ちをしていました。 私は彼らを宮島口駅までお送りしてすぐに別れる積りでしたが、それでも新幹線
に間に合うか心配で列車が発車するのを見送ってから帰路につきました。               ・
































10月29日


               
『干し柿』を作りました

「あと何回この好物を食べることができるだろうか?」 毎年こんなことを考えながら今年も『無花果』を買
ってきて食べました。 食べなければ食べないで済むようなものですが、それでも残りの人生に鑑みつい「食
べておきたい。」と手が伸びてしまいます。                            ・

『産直市場』でそれを見たとき、つい引きかえしてパックを手に取ってしまいました。 『無花果』は結構当
たり外れが多いです。 「この赤い色をした小振りのものが多分美味しいんだろうな。」と思いつつ、浅はか
にも緑がかったやや大振りな物をただ大きいという理由で選んでしまいました。            ・

案の定これはまずかった。 一応『無花果』の食感ではありますが、甘味が全く足りませんでした。 それが
残念で、他日小振りの甘そうなものを買って食べました。 よく『菩薩様』が買ってくれた『古江の無花果』
には及びませんでしたが、まずまずの味で、まぁリベンジを果たしました。              ・

 

果物は大体目がないほどに好きです。 『白桃、ピオーネ、プラム、梨、富有柿』は毎年田舎の妹や従妹が送
ってくれます。 でも、それにないのがこれです。 『干し柿』は流石に誰からも届きません。 というのも
私の田舎は柿の産地ではありながら『富有柿』メインで、渋柿は余り見たことがありません。 しかして『干
し柿』は自分で作るより他にないのです。                             ・

それで今日産直市場で大きめの『渋柿』を20個ほど買ってきました。 そしてピーラーでササッと皮を剥き
『渋抜き職人』という47度の焼酎に浸してからベランダに干しました。 こうしておけばカビが来にくいで
す。 もしカビを見たら改めてその焼酎に浸すか、筆で塗ります。 もともと渋抜きですから甘味が出るのも
早いかも知れません。                                      ・


 

そうですね、10日から2週間くらいで芯まで柔らかくなり、食べごろになります。 長く保存するなら固く
なるまで干した方がいいと思いますが、私はこの時期が食べごろだろうと思っています。 もっとも、固くな
ったものをその焼酎に浸して保存袋で冷蔵保存をした3年越しのものを取り出して食べたりもしていますけれ
ども。 こいつを食べると『ほろ酔い』とまではいきませんが、ポッと顔がほてる感じがします。    ・

産直市場で渋柿の品定めをしていたご婦人に声をかけると、「これが2回目ですよ。」と言っていましたので
この人も食べごろを心得ているようでした。 この柿が食べごろになった頃私も第2弾にトライすることにし
ます。                                             ・
















































10月26日



ボランティア・ガイドが終わりました

3日連続のガイドでした。 今日のお客様はフィリピンの若いカップル、そしてフィリピンのお客様は私にと
って始めての経験でした。 何故この依頼をお受けしたかというと、いつも英会話を教わっているフィリピン
の方に何となく親近感を覚えたからでした。                            ・

3日前に関空入りし、金沢を経て広島にお見えになったそうで、それだけに見るもの全てに興味津々のお二人
でした。 新幹線の改札口にお迎えし、すぐに電車で平和公園に向かい、いつも通り『爆心地』『原爆ドーム
』『相生橋』と次々にモニュメントを巡ってご案内していきました。                 ・

困ったのは私の説明に目もくれず、あちこちにカメラを向け、またお互いに写真を撮り合うという具合で、そ
のたびに『私の話を聞いてくれ。」とお願いする始末でした。 よく話を聞いていただくと、『資料館』に入
っても展示物の意味がよく理解できるはずです。 それで汗をかきながら説明するのですが、どうも終始気も
そぞろのようでした。                                      ・

公園の中は修学旅行の小学生で溢れていました。 ただ、今日も『資料館』には比較的スムーズに入ることが
できました。 『資料館』の内部には沢山の展示物があります。 これを全部説明することは出来ませんので
ご自身で説明文を読みながら展示物の意味を理解して頂き、ポイントだけを押さえるようにしています。 例
えば『学徒動員の子供たちの被覆(遺品)』『黒い雨』『荼毘の様子』『原爆の子の像の建立』などは公園内
で説明したことをより深く理解して頂くようにアドバイスをしました。                ・

『お好み村』では馴染みの店で広島の郷土料理を楽しんで頂きました。 奥様はこの店のスペシャル料理を広
島スタイルよろしく『ヘラ』を使って食べておられました。 もちろん私のサジェストです。 でも流石に全
てを平らげることはできなかったようで、「レフトオーバー?」とからかっておきました。 「お腹一杯で・
・・」とお腹をさすっておられましたが、大丈夫すぐに楽にして差し上げます。 宮島では嫌というほど歩い
て頂きますから。                                        ・

 

さて宮島です。 今日の潮はちょっとタイミングが悪くて、『大鳥居』の足許までは近付けず、『大聖院』で
時間を取った後で『厳島神社』に入りましたが、まだまだ潮は上がってきていませんでした。 それは残念で
したが、時間待ちの間に『千畳閣』と『五重塔』を堪能して頂けましたのでまずまずのご案内になったと思い
ます。                                             ・

『厳島神社』の説明にはビデオを活用していました。 例えば『管弦祭』『舞楽』『雅楽』などです。 あれ
これ説明するよりビデオなら1発で理解して頂けます。 ところが何故か動きが次第に遅くなり、立ち上がら
なくなってしまいましたので今日はビデオの部分を全て切って編集しなおしました。 多分ビデオのデーター
量が大き過ぎるのだろうと思います。 後で調べてみようと思っています。 今日は何とかスマートフォンを
使って乗り切りました。                                     ・

お話ししましたようにこの方達は『寄り道』が多く、次第に時間が押して来ていましたので、場合によっては
お帰りが1時間後の新幹線になるかも知れないとご了解を頂いていましたが、宮島口のフェリー乗り場に着い
たとき広島行の電車まであと6分、「走ってください。」と急がせて何とかスケジュール通りにご案内を終え
ることができました。                                      ・

さて3日連続の観光ガイドも何とか無事に終えることができました。 ちょっと膝痛が心配でしたが3日とも
全く問題なく歩くことができホッとしています。 歩数カウンターを見ると、トータルで約6万歩を歩いてい
ました。 まだまだやれそうです。 ということで次回は来月初めにアメリカの新婚旅行さん、それから中旬
にオーストラリアの老人グループ、それにもう12月の予定も入っています。             ・





































10月25日


ボランティア・ガイドが終わりました

今回のお客様は『Danish』、デンマークの若者でした。 数年前に同じくデンマークの若者のグループ
を案内したことがあり、そのなかの1人から「広島に行くならアイツに頼んでみな。」と紹介して貰ったらし
い。 それでその旨直接メールをしてきたのだそうでした。                     ・

余談になりますが、このところ私が以前にご案内した方からの紹介で案内を依頼して来るケースが増えていま
す。 この若者のほかにも、アメリカ人に紹介されたアイルランドのミュージシャン、同じくアメリカ人から
紹介された職場の友達、オーストラリアの女性記者から紹介された友達のご家族、そしてこの『Danish
』などです。 誠意を尽くした賜かも知れません。 冥利にに尽きます。               ・


話に聞くと、彼の友達のグループが世界一周のセーリングにトライしており、パナマ運河で落ち合い、ミクロ
ネシアを経由して日本までやってきたそうです。 小島で釣りを楽しみ、大きなカジキマグロを釣りあげて天
婦羅にして食べたし、刺身してご飯に乗せ寿司の積りで食べたと楽しそうに話してくれました。     ・

それから日本に上陸し、ガールフレンドと落ち合って京都などを楽しんだそうで、日吉神社の奥から見た京都
の街が美しくて感動したと話していました。 広島にはガールフレンドと一緒に来る予定だったそうですが、
何だか火災があったみたいで彼女は急遽帰国したと言っていました。 軍隊を除隊して長い旅をし、帰国して
からIT系の仕事を探すのだそうです。                              ・

今回は2日に亘るご案内でした。 初日24日は宮島口駅で落ち合い宮島をご案内しました。 駅前のコンビ
ニで予約していた弁当を受け取り、先ずは『弥山』に登り、眺望を楽しみながら持参した弁当を頂きました。
実はコンビニ店員が間違えて高額なものを準備していたみたいで、豊富な副菜でしたが彼には苦手なものはな
く、あまたの副菜を残さず食べ尽くしていました。 デンマークでは多くの食材を輸入しており、筍もその1
つだそうで、彼には始めての経験だったようですが、それでも美味しそうに食べていました。      ・


 

下って予定を変更をし、千畳閣、五重塔、それから満ちかけている大鳥居の足許でその大きさを見てもらい、
それから大聖院に向かい、『厳島神社』を最後にまわしました。 彼には是非満ち上がった潮に浮かぶ『厳島
神社』を見て貰おうと思ったからでした。 一応説明が終わった後で舞台の端に座って暫く『汐待を』をして
僅かながらやっと満ち上がってきた潮に何とかその雰囲気を楽しんで貰いました。           ・

 

2日目は広島です。 『原爆ドーム』で出会い、『爆心地』から『原爆ドーム』、それから次々にモニュメン
トを回って、平和公園から『原爆資料館』に入りました。 今日は見学者が比較的少なく、まずまずゆっくり
と被爆の様子を確認して頂けました。 それから今日のハイライト、『お好み村』に向かいました。   ・

お目当てのレストランがお休みでしたので、同じく馴染みの店に入り、広島風お好み焼きを味わって頂いたの
ですが、出来ることなら行きつけの店で食べて貰いたいと思っていました。 というのも、以前ご案内した彼
の友達を店主が「誠実そうで感じのいい青年だった。」と随分褒めていましたので彼がその友達だと紹介した
かったのですが残念でした。                                   ・

それから『縮景園』『広島城』と回り、今回は広島フルコースとなりました。 でも流石に2日目は堪えまし
た。 1日目が2万歩、今日も既に2万歩近くを歩いていましたので、終いには話そうにもスムーズに言葉が
でなくなり、相手の話すことも聞き取り辛くなってしまいました。 しかしそれでも何とか全うすることがで
きました。 最後に「次回は彼と一緒に来るよ。」と言って彼は別れていきました。          ・






































10月20日


エッ?

レッスンの始まりに、チューターがニコニコしながら取り出したのは私の年賀状でした。 2枚、1つは日本
語、もう一つは英語、1月の末頃彼女宛に送ったものです。 レッスン中に『日本の伝統』に話が及び、『年
賀状』を紹介しました。 その時の約束で、急遽英訳版を作り彼女に送ったのですが、その後届いたという話
を聞きませんでした。                                      ・

その内にそんなこともすっかり忘れてしまっていました。 過去にも何度かフィリピンにハガキを送りました
が、1度たりとも届いたという連絡を受けたことがありませんでしたので、まぁそういうお国柄なんだろうく
らいに受け流していました。                                   ・

それにしても、「あの年賀状が今になって?」と驚いてしまいました。 だって、気の早い人だと来年の『年
賀状』の構想を練ろうという時期です。 それより何より、嬉しそうに笑っているところをみると、こんな遅
配も笑って許せるような心の広さといいうのか、構わないというのか、思わず『エッ!』と驚いてしまいまし
た。                                              ・

だってそうでしょう、もし日本でこんな遅配があったとしたら、場合によっては新聞沙汰になるかも知れない
し郵便局の責任者が何か手土産でも持ってお詫びに訪れることになるでしょう。 郵便の信頼度も崩れます。
これでいいのかなぁと思っていたら、そんなことは気にしない様子で2点ほどグラマーの誤りを指摘されまし
た。 『ところ変われば品変わる』ですかね。 機会があったらそのあたりの様子をもっと詳しく聞いてみよ
うと思っています。                                       ・

































10月18日


ギターのレッスンが終わりました

3つの無法者国家に囲まれ、しかもその中の1つは核で恫喝しながら隣国の領土を蚕食しようとしている。・
その国は北海道に領土的野心を持ち、他の1国は東シナ海に触手を伸ばし、多くの日本国民を拉致されながら
いまだに取り返せない国もある。 更にはテロを発端に、争いは中東全体に拡大する様相を呈し世界の安全保
障はまさに危機にあるというのに、我が国の『青瓢箪』宰相には国家観皆無、国のリーダーとしてやるべきこ
とを何もやっていないように見える。                               ・

彼の頭にあるのは政権維持、そのために米民主党政権に迎合し、財界や財務省にすり寄り、連立政党に強くも
のが言えずに舐められっぱなし、解散のタイミングばかりを気にかけ、諸々の政治的課題に向き合おうとしな
い。 私たちはこのような国難の時期に、(好むと好まざるに関わらず)こんなリーダーに国の運営を委ねな
ければならない。 情けないことだと思う。 自民党員だからこそ言うけど、日本保守党に寄せられる熱気を
見よ。ここから主権者が何を求めているかを学べ。                         ・

緊張が続く『台湾問題』、国の自然を破壊され、ソーラー発電で我々の税金をかすめ取る中国企業、再エネで
うまい汁を吸う公金チューチュー売国議員達、移民問題、中国人による土地の取得、とりわけ水源地、サプラ
イ・チェーン、エネルギー・食料安全保障などなど内外の課題にどう対処していくんだ。        ・

今日のギターレッスンはこんな話題から始まりました。 今回の課題曲は『ソルOP31-12』と『ソルO
P31-13』の2曲でした。 はっきり言って、どちらもしどろもどろ。 そのことはよく分かっていまし
たので「今日は長い指導になりますよ。」とお断りして演奏を始めました。 『ソルOP31-12』はロー
ポジションからハイポジションまでの指の移動の練習で、長い曲でしたが、指導を受けながら止まっては進み
引きかえしては進みという感じで何とか弾き終えました。                      ・

そして、弾き終えたところで「もうこの曲は弾かなくてもいいです。」と言われました。 『??』と思って
いたら、「『ソル』の頃のギターはもっと小さくて、こういう指の移動が簡単にできていました。 現代ギタ
ーに変わってからこういう和音の切り替えは多用されなくなっていますから、こういう曲もあるんだというこ
とさえ分かって頂けたらそれでいいです。 次に進みましょう。」と言われました。          ・

「このために肩をこらし、腰を痛めながら練習をしてきたのに何ということだ。」とは思いましたが、まぁそ
れはそれとして、次の『ソルOP31-13』に進みました。 この曲には髄所に苦手な和音が出てきます。
弾き終えたあとで「まだ十分に曲に馴染んでいませんね。 引き続き練習をしてください。」ということで、
うまく指を使えば再々指を置き換えなくても和音の切り替えがスムーズにいくということを学んで今日のレッ
スンは終わりました。 まだまだ続くよどこまでも。                        ・

ピンチかな

どうも右膝の内側に痛みがはしる。 指圧をしても屈伸をしてもなかなか痛みがひかないなぁと思っていたら
急に腰が伸びなくなってしまいました。 前かがみに、言ってみれば『小腰をかがめる』恰好で歩くことにな
ってしまいました。 股関節の運動をやり過ぎたかも知れません。 何事によらず、私は『やり過ぎ』で失敗
することが多い。                                        ・

これは『ピンチ』かなぁと思います。 引き受けている2つの調査のうち、一方は最終確認の段階、他方はこ
れから調査票を配ります。 加えてギターのレッスン前で相当に追い込んでいました。 疲れがピークです。
こんな腰の状態で調査活動に歩けるかなぁと思いますが、それより何より24日から3日連続のガイドに従事
します。 特に24日はデンマークの若者と『弥山』に登ります。 それまでには何としても体調を整えてお
かないといけません。                                      ・

友達の整体師に運動の方法を教わり、朝晩『ツムラ68』(痙攣を緩和する薬です。 これはとてもよく効き
ます。 歩行困難なくらいに引き付けてもこれを服用すれば1分以内にはおさまります。)を飲み、明日は近
くの温泉に行って疲れを取ってこようと思っています。                       ・













































     



10月 8日



敬老会


今年は9月18日が『敬老の日』でした。 対象となる年齢としてはっきりと決まっているものはないようで
すが、私の地域では75歳以上を対象にお祝いをしています。 『60歳以上が対象』とする意見もあるよう
ですが、今時60歳はバリバリの現役です。 案内でもしようものなら「年寄扱いするな!」と叱り飛ばされ
るでしょう。                                          ・

75歳以上とすると、もちろん私も対象者です。 この地域では、以前は『自治会=連合町内会』が市民会館
で催しものをしていたようですが、参加者も少なく、そのため最近では「各町内会で勝手にやれ。」というこ
とになっているようです。 私の町内会では、お祝いとして例年菓子やお茶が配られてきましたが、今年は『
敬老会』をするので集まって欲しいと連絡がありました。                      ・

日取りは10月15日、内容は食事(弁当)、懇談、カラオケ、ビンゴゲーム、スライド上映etc.とあり
ました。 懇談と言ってもなぁ、30年前に引っ越してきたとはいえマンション暮らし、さして地域との交流
はないし、やはり幼い時から睦みあった間柄とは違います。 幼い頃の思い出話ということにもなりません。

カラオケ、ビンゴともなると、もはや生理的に受け付けてくれません。 1人浮いているのが目に見えるよう
です。 それで申し訳ないけれどもお断りさせて頂きました。 そうしたら『39堂主人』から電話がありま
した。 「お前は参加しないのか?」と詰められました。                      ・

「何を言ってやがる、平素あんたとワシが話しているようなことをあの場で話せるか?」というと、「いやの
町内会の役員からもっとメンバーを集めてくれと言われとってな。」と急に声の調子が柔らかくなりました。
彼は前会長、そして現顧問です。 「そこはようわかる。 お前からすれば、それはそうじゃろう。」と諦め
てくれました。                                         ・

おそらく周りからは「あいつは変わり者じゃ。」と揶揄されるでしょう。 私はそれでも別の道を自分の思い
で生きていきたいと思っています。 いつまでやれるか、そこは分からないけれど、出来る限りは『ボランテ
ィア・ガイド』や『英会話の勉強』、『ギターの練習』、それに行政に協力して何らかの形で地域社会に貢献
していきたい。 私は自身の老後を、少し違った角度からアクティブに生きていきたいと思っています。 こ
れが私が『敬老会』などと距離をおきたい理由です。 私はまだまだやれる。             ・