s

                                            

7月 1日



ボランティア・ガイドが終わりました

出だしからえらいことになりました。 9時30分にアメリカン・ファミリーを新幹線口に迎えるため、2つ
早めの列車に乗るように最寄り駅に向かいました。 雨は降っていましたが、それほど強い雨ではなかったの
で何の心配もせず駅に着いたところ、改札口に案内板が置いてあって、「遅れが発生しています。 運行開始
の目途はたっていません。」とありました。 これはえらいことになった。              ・

どうやら昨夜山口方面で豪雨があったようでした。 豪雨があるとあっさりと止まります。 因みに午後1時
過ぎに運行を開始したようでしたが、間引き運転で、夕方5時過ぎになっても1時間遅れの運行でした。 目
覚めてからすぐに外を確認したところ、少雨でしたので何も考えずに出かけたのが失敗でした。 すぐにネッ
トで運行状況を確認すればよかったのですが、まぁ、後の祭りでした。                ・

それで大急ぎで広電宮島線の駅に向かいました。 お客様からは「少し遅れるかも知れない。」と連絡が入っ
ていましたので、それなら好都合と思っていたところに「予定通りに到着します。」と連絡が入りました。 
これはどうでも間に合わぬ。 すぐにメールを送って状況を説明し、「10分程度遅れる見込みです。 暫く
待っていて下さい。」と連絡しておきました。                           ・

新幹線口では親子4人が所在なさそうに待っておられました。 ご挨拶もそこそこにお詫びともどもスケジュ
ールの変更を提案しました。 到着したらすぐに山陽線に乗り換えて宮島に向かう予定でしたが、ローカル線
の改札口にはものものしくバリケードが置いてあって、案内板には運行再開の目途が立たないむね知らせがあ
りました。 「という事情なので、まず最初に平和公園・原爆資料館に行きましょう。 それから食事を済ま
せ、トラムで宮島に向かいましょう。」                              ・

平和公園は雨の中、タブレットは使いにくいし、アメリカ英語は苦手だし、『梅雨の病』で頭はぼんやりして
いるし、まぁ、散々なガイドになりました。 唯一の救いは奥様がインドネシア人で、アメリカに渡って結婚
されたそうで、彼女がアジア系の発音だったものですから助かりました。 フィリピンにしてもマレーシアに
しても、アジア系の発音にはどこか共通しているところがあります。 アダルトはそれなりに斟酌して我々に
も分かりやすく話してくれますが、お嬢さん達はなかなかそうは行きません。 奥様の助けを借りながら、や
っとコミュニケーションをとる始末でした。                            ・

大学1年生と中学生、この娘たちは『お好み焼き』が余りお好きでなかったようで、(食わず嫌いかな)店に
入る前から「他にもメニューはあるのか?」と聞いていました。 そして『ガンス』(魚肉練り製品、魚カツ
の一種。 広島名物。 ガンスは広島弁。)などを食べていました。 ローカルフード経験のいいチャンスな
のに、この年齢の娘はなかなか扱いが難しい。                           ・

昼食後に確認を行いましたが、JRはまだ動いていないようでしたので、電車で宮島に向かいました。 広島
の中心部から電車で広島駅に引きかえし、JRに乗り換えるとすると、どうでしょう時間的には電車とほぼ同
じではないでしょうか。 桟橋に着くと、雨は上がっていましたが、弥山はまだ雲に包まれていました。 到
着時間がちょうど干潮で、『大鳥居』の下まで歩くことができましたので、まず『大鳥居』の大きさを間近か
ら楽しんで頂きました。                                     ・

 

この大きさには流石に驚いたようでした。 浜から見るとさほどではなさそうなのですが、いざ主柱の真下に
立ってみると、圧倒的な迫力です。 いい機会だったので厳島神社の真正面に立ち、建築様式が左右対称であ
ること、これが『寝殿造り』の特徴であることなどを説明し、神社に入りました。           ・

本殿ではいつも通り、『2礼、2拍手、1礼』の参拝方法を体験して貰いましたが、ご主人と2人の娘は拒否
されました。 お母さんに「宗教上の理由があるのか?」と聞いてみましたが、余り明確なお答えはありませ
んでした。 それから『千畳閣』と『五重塔』をさらりと見て貰った後で桟橋に向かいました。     ・

「アイスクリームが食べたい。」ということだったので、時間も押していることですし、「帰りにしような。
」となだめていましたが、帰りの商店街で「早くアイスクリームを食べさせろ。」とせっつきます。 あてに
していたアイスクリーム店は早々と店じまいをしていましたし、他の店では「チョコレートのアイスがない。
」と駄々をこね、やっと見つけた桟橋近くの店で4人が一塊になって食べていました。 余り芳しい姿ではあ
りませんでした。 いかにもアメリカ人だなぁという感じ。                     ・

宮島口駅に到着すると、1時間余りの待ち時間がありました。 それで帰路も電車に乗って貰って広島に帰っ
ていただきました。 私は自宅近くの電停でお別れさせて頂きました。 今日は17,000歩。    ・















6月23日



『黄昏亭』を開店しました

今回のお客様も『39堂主人』でした。 あの『若い友人』はどうしているんだろう。 確か5月中には広島
に戻ると言っていたけど、その後連絡が途絶えています。 仕事の内容もポジションも変わったようだから忙
しくしているのかも知れません。 『乗っ込み』の時期はとっくに終わってしまったので、チヌが美味しくな
るのを待っているのかなぁ。 まぁそれもいいけど。                        ・

今日は夏らしく『そうめん』にしました。 薬味は3種、何れもスライスした『大葉』『茗荷』『生姜』にし
ました。 更に夏の風味で、キュウリに『かえりちりめん』を添えて、羽須美名物の『寿老みそ』(ひしお)
で食べていただきます。 これだけではまるで仙人食みたいなので、『サバ』の3枚降ろしを焼いて、降ろし
た『生姜』を添えました。                                    ・


 

全て平らげて頂きましたが、全く反応なし。 「どうだったかね?」と感想を求めたら、「料理のことか? 
うん旨かったよ。」と極めてあっさりした感想でした。 何か他に期待していた料理があったのだろうか。・
それから彼が持参してくれた『ぶどう』と『クッキー』を食べながら長話をしましおた。 ウクライナ侵略戦
争、LGBTのことなどなど。                                  ・

法の下に平等な日本社会になぜ『LGBT理解増進法』が必要なのか、私にはさっぱり理解できません。 自
民党内の手続きも無茶苦茶だし、それよりなにより「この法案の成立以前に喫緊の課題が沢山あるでしょう。
」といいたいですね。 この件に関しては彼も同意見でした。 やはり誰が考えてもおかしい。     ・

首相はG7の合意文書に『核廃絶』を言いたいために、バイデン肝いりの『LGBT』を呑んだのだと囁かれ
ています。 そして無理やり推進した議員は、大臣ポストが欲しいために後先を考えず無理筋を通したのだと
言われています。 率直な感想をいえば、『自民党は死んだのだ』ということかな。 このおかしな法律のた
めに、「折角見つけた『宮浜温泉の露天風呂』にもその内入れなくなるんじゃないか。」などと憂慮しながら
『黄昏亭』を閉店しました。                                   ・













































6月21日



ギターのレッスンが終わりました


レッスン日の間隔は概ね2週間です。 この間に何とか1曲を仕上げるというのが最近の取り組み状況です。
2曲を同時進行というような芸当はとても出来なくなりました。 次第に指使いが複雑になってきていますの
で何時までこのペースが維持できるか、それさえ段々と怪しくなってきています。           ・

今回のテーマ、ソル・エチュードOP31-9はかなり危なかったです。 練習を始めて大体1週間で概ね目
途が立ち、次の1週間で完成させるというのが今までの私のペースだったのですが、この曲は最初の1週間で
は全く目途が立たず、レッスン日の直前になってやっと光がみえてきたという状態でした。       ・

その頃になってやっと『残す指』『軸になる指』の感覚が身に付き初め、最後の1日の猛練習のおかげで何と
か合格することができました。 実は今恒例の『梅雨の病』に苦しんでいて、なかなか集中して練習できない
でいましたが、梅雨の晴れ間というか、午後になって急に体調が中休みになりましたので、この間に何とかや
っつけることができました。                                   ・

続いて次回のレッスンまでにOP31-10に取り組むことになります。 この曲はなかなか一筋縄にはいか
ないようで、曲の前半だけを練習するように指示されています。 それとともに次の発表会の曲目の選定を行
いました。 これは半分私の希望なのですが、次回はソル・エチュードOP31-7と8を演奏することにな
りました。 一度仕上げた曲なので、もう一度思い出して、それから磨きをかけることになります。 次回は
是非ともいい演奏をしたいものです。                               ・


プラム酒

従妹からプラムが届きました。 箱に一杯、大体5kgくらいはあったと思います。 言外に「さぁ、どうす
る。」と言われているようでした。 最近はアピタイザーの積りで夕食時に少量のテーブルワインか焼酎をい
ただきます。 時に酒盛りになることもありますが、かなり稀ですね。 焼酎は湯割りです。      ・

ご存知のように、私のように消化酵素を1つしか持たないものにとっては焼酎は少々味気ない酒です。 そこ
で最近では極めて少量の『プラム酒』を混ぜて飲むようにしています。 「そこまでして飲まんでもいいでは
ないか。」と言われそうですが、弱いわりに好きなんです。                     ・

『プラム酒』にはかなりの量の砂糖が入っていますから、少し甘味がついて随分飲みやすくなります。 加え
て色が綺麗で、ほんのりとプラムの香がしますので、あの独特の匂いが消えて更に飲みやすくなります。 ・
ところが2年前に作った『プラム酒』が底をつきかけてきたものですから従妹に無心していたところ今日送っ
てきてくれたという訳でした。                                  ・

まずよく熟したものを2kg選び、きれいに洗ってキッチンタオルで水分を拭って瓶に詰めます。 更に1k
gの氷砂糖を入れ、35度の果実酒用の焼酎1.8 ℓ×2を注ぎました。 後は冷暗所に保存して暫く待ちま
す。 その内に焼酎が赤く染まり果実酒になります。 砂糖が溶け切ったら飲めると思いますが、私は少し熟
成させてから頂きます。                                     ・

さて、残ったプラムをどうするか。 従妹は「『プラムジャム』が美味しいよ。」と言いますが、最近はパン
を食べることがないので「作ってもなぁ。」と思っています。 他にはスイーツにも使うようですが、そんな
に込み入った料理はできません。 残るは『プラムジュース』くらいかな。 やってみるか。      ・






























6月15日



ボランティア・ガイドが終わりました

昨夜遅くなって、某女性から連絡がありました。 「私の孫が宮島に行きたいと言っているんだけれど、あな
た英語が出来るんだよね。 娘の息子でアメリカ人なんだけど案内してくれる?」 「明日は予定がないから
大丈夫だよ。 宮島だけでいいのか?」 「できれば広島にも連れて行ってやって欲しい。」 こんな会話が
あって、今日宮島と広島を案内することになりました。                       ・

「12時過ぎに広島に着くように考えているみたいだけど、それでいい?」 「それじゃぁいくらなんでも遅
すぎる。 せめて10時くらいに来て貰えないと案内しきれない。」 すったもんだの末に、11時を回った
頃「10時17分に宮島口駅まで行きます。」と連絡がありました。                 ・

もう1つ希望があって、「4年前に私達が広島で集まった(第1回青年の船の会のこと)ときに『お好み焼き
』店に行ったよね。 あそこにも連れて行ってやって欲しいけどいいかな。」といいます。 「それは端から
予定に入れているよ。」                                     ・

翌朝宮島口駅で待っていましたが、予定の列車からはそれらしいグループが降りてくる気配がありません。・
夥しい外国人観光客ですから「見落としてしまったかな。」と更にキョロキョロしていたら、いきなり後ろか
ら「髙橋さんですか?」と声をかけられました。 「ジェイコブくん?」と確認していると、いきなり数人の
アメリカ娘が集まってきました。 『ミネソタ大学』の学生で、夏休みを利用して来日し、いま彼のお婆さん
の家で厄介になっているそうです。                                ・

 

皆さんは日本の歴史にも興味を持っているそうで、例えば『平安時代』とか『アマテラス』などについてもあ
る程度の知識を持っていました。 こういう人には説明がしやすい。 「『厳島神社』を増改築したのは『平
の清盛』です。」などと説明すると熱心にメモを取っていました。 また、「『宮島の3姫神』は『アマテラ
ス』の娘達だ。」と説明すると、『創造神』との関係を聞かれたりしました。             ・

時々こちらから質問し、どのくらい理解してくれているか確認してみました。 時に、「ちゃんと覚えていな
いと髪の毛を切るからな。」と冗談を飛ばしながら『厳島神社』『大聖院』を案内し、宮島を後にしましたが
7人の大世帯ですから、これだけの人数をまとめて行くのはなかなか難しい。 ただ、ジェイコブ君が日本語
をそこそこ話せたのはとても助けになりました。                          ・

今日はJRを使わず、広電宮島線で広島市内に向かいました。 この方が乗り換えがなく時間もそんなに変わ
らない。 随分遅い時間になってしまいましたが、馴染みの『お好み焼き』店では8人分の席を用意して待っ
てくれていました。 感謝。 早速腹拵えをして平和公園に向かいました。              ・

 

『お好み焼き』店で、「いい天気になってよかったですね。」と話しかけられ、「ミネソタではこんなに強い
光がないので難渋しています。」と答えていましたが、何と僅かの間に外は雨になっていました。 説明して
回るときにはタブレットを使いますので、私にとっては雨は大敵です。 傘をさしてタブレットを操作するの
はちょっと厄介です。                                      ・

かなり時間が押してきていましたので、『平和公園』では主要なモニュメントの説明にとどめ、『原爆資料館
』に向かいました。 かなり熱心に見て頂けましたね。 アメリカの若者がどのような印象を持つのだろうと
少し関心をもってみていたところ意外な反応がありました。 「学校では原爆を開発したことと、米兵の損害
を防ぐために原爆を使ったことは教わったけれど、その被害がどうであったかは全く教わらなかった。 被害
の大きさに驚いた。」と思わぬ反応がありました。 それを知っていただけただけで、この若者たちを案内し
た価値がありました。                                      ・

『本館』では展示物をかなりの時間をかけて見ていました。 『東館』は写真を中心に、やや政治色が強い展
示になっており、閉館時間も迫っていましたので「どうするかな?」と思って見ていましたが、「こちらも見
る。」といい、『その後の広島の復興』に関する展示までかなり熱心に見てくれました。        ・

『資料館』を出ると雨はすっかり上がっていました。 それからバスで広島駅に向かい、新幹線口まで送って
お別れしました。 夜遅くなって某女史から「皆さん楽しかったと言っています。」とお礼の電話がありまし
た。 16,000歩、かなり疲れました。                            ・

























6月12日

抜歯

老いるごとに歯を失っていくのは止むをえないことなのでしょうか、今日右上の第2小臼歯を失いました。・
既にヒビが入っていて、「そんなに長くは持たないだろう。」と言われていましたが、月初めから痛みはじめ
遂に我慢が出来なくなったので歯医者に行くと、即座に抜歯を宣告されました。            ・

隣の第1大臼歯も同じ理由で既に失っています。 食後、就寝前、間食の後にも必ず『歯ブラシ』をして口腔
衛生には随分配慮してきましたが、それでもこうして次々に歯を失っていきます。 「あなたの場合、虫歯や
歯槽膿漏で歯を失うことはないでしょう。 でも使っている内に次第に傷んできます。 固いものを避け、余
り強く嚙み締めないように気をつけてください。」とアドバイスを頂いていましたが、私のような人間は『ご
まめの歯ぎしり』は避けられないようですね。                           ・

若いころに左下の第1大臼歯を失いました。 虫歯の痛みに(その頃には今ほど口腔衛生に気をつかっていな
かった)どうにも我慢できなくなって駆け込んだ職場近くの歯医者が『やぶ』で、いきなりこの歯を抜かれて
しまいました。 それから『ブリッジ』をかけた歯が傷み、左下の奥3本を失いました。 歯は対角上に傷ん
でいくものなんだそうです。 次は右上第2大臼歯がやばい。                    ・

『80-20』といいます。 80歳になっても少なくとも20本は歯を残そうという、まぁ国民運動のよう
なものですが、私の場合今のところ24本は残せそうです。 どうなんでしょうね、これは多い方か少ない方
か、はたまた平均的なところか。                                 ・

今夜フィリピンのインストラクターとそんなことを話しました。 そうしたらいきなり笑い始めて、「父も母
も60代前半だけれど、2人とも殆ど歯がない。 特に母はたった2本だ。」といいます。 まぁ、口腔衛生
の概念、医療施設、栄養などの違いがあるのかも知れません。 余談でした。             ・

さて、これからどうなるのかという事ですが、ドクターが言うには、「治療方針はブリッジです。 抜歯した
あと歯茎が盛って落ち着いてくるまでには大体半年かかります。 新しいブリッジはそれから作りましょう。
」 流石に半年は長すぎます。 「1か月後に歯石取りに伺います。 その時に改めて相談させて下さい。」
とお願いしています。                                      ・

咀嚼にはさして不自由はありませんが、発音に影響があります。 日本語より英語の方が息が抜けるようで自
分でも随分滑稽に感じています。 まぁ、私の場合その方がかえって自然な英語発音に受け取って貰えるかも
知れませんが。                                         ・

そんなことで、70数年間付き合ってきた、普段は殆ど意識しなかった大事な大事な歯とお別れをしなければ
ならなくなったというお話しでした。                               ・















































6月 9日



ボランティア・ガイドが終わりました

何かと混乱の多いガイドでした。 依頼のメールを送ってきたのはどうやら娘さんのようで、父親との2人旅
だという事でした。 こういう父娘関係はいいなぁと思ったりしました。 しかしお名前から外国の方の性別
を判断するのはなかなか難しいものです。 そのことでちょっとした混乱がありました。        ・

直前になって、「天候の関係で今日宮島に連れて行って欲しい。」と連絡がありました。 まぁ、そこはお客
様の希望が最優先ですから、すぐに「9日と10日のスケジュールを入れ替えましょう。」と返信しました。
そして、「明日9時に『広島駅中央改札口』の前でお会いしましょう。」と連絡しておいたのですが・・・・

約束の時間になっても現れません。 「もしや」と思ってメールを確認してみると、「インフォメーション・
センターの外で待っている。」とメッセージが入っていました。 「何で今になって急に場所を変更するん?
しかも『中央改札口』は目と鼻の先ではないか。」と思いつつ北口に向かいました。          ・

お客様が送ってきた写真には「私の父親の写真です。」と説明が添えてありました。 年齢は見たところ70
歳チョイくらい、腕組みをしたいかつい顔の、いかにも軍人を想起させる写真でした。 私は父娘を想定して
いましたので、その積りでインフォメーションセンターに屯している沢山の外国人観光客を目で追いましたが
そのようなカップルは見当たりません。                              ・

暫くして、向こうで手を振っているそれらしい老人と、更にいかつい禿頭の2人に気が付きました。 あらか
じめ「青色の帽子を被り、黒のショルダーバッグを持っている。」と連絡しておきましたので、それでお気づ
きになったのでしょう。 想定外の事態だったので驚きました。 そうか、あれは男性名だったのか。  ・

あまり時間がありませんでしたので、ご挨拶は簡単に切り上げました。 弁当を買って宮島に向けて出発する
ことにしていましたので、すぐに隣の土産物ブースに連れて行こうとしましたが何だか様子がおかしい。 「
お前は弁当を買うのか?」といいます。 「??何のこっちゃ」 「そうだよ、スケジュール表にもそう書い
ておいただろう。」というと、「いや、俺たちはサンドウイッチにする。」といいます。 「ならば入り口に
パン屋さんがあるだろう。 そこで選んで下さい。」というと、「いや俺たちはセブンイレブンのサンドウイ
ッチがいいんだ。」と散々もめて、しかしこれでお昼の準備は何とか整いました。           ・

改札口で「JRパスはお持ちですよね。」と確認すると、なんと「持っていない。」といいます。 「何で?
」と聞くのも意味がないと思ってすぐに切符売り場にお連れしました。 1人片道420円です。 私の交通
費は明日の夕方にまとめて頂きます。」というと、「明日は次の目的地に向かうので、お前のチケットはその
都度清算する。」といいます。 何だって、それじゃぁ約束がちがうじゃぁないか。 ならば広島・宮島を1
日で回らなければいけないのかと思い、「じゃぁ広島はどうするんですか?」と訪ねました。 そうしたら何
と「平和公園には昨日の午後に行った。 「お好み焼き』も食った。」といいます。 それならそうとちゃん
と言ってくれよ。 これじゃぁスケジュールも何もあったもんじゃないじゃないか。          ・

どうも父親の足許がおぼつかないようなので、ロープウェー駅まではシャトルバスを使いました。 そしてケ
ーブルカーの中で考えました。 「獅子岩』駅から「弥山頂上』の展望台を見せればきっと後すざりをするだ
ろう。 もしそうなったらお茶を濁すようだけど『獅子岩展望台』から景色を見て頂ければいいや、と思って
いたら「登る!」と言います。 それなら登れるところまで登るか。                 ・

『少し登っては休み、また登る』を繰り返しながら、何とか『弥山本堂』まで辿り着きました。 「ここから
どれくらい登るんだ?」と聞きますから、「あと300m」と答えると、「わしはここで待っとる。 息子と
一緒に登ってくれ。」と音を上げました。 「ここまで来て何を言っとるんですか。 素晴らしい景色が待っ
ていますよ。」と激励して、やっと重い腰を上げて貰いました。                   ・

父親74歳、「お前は何歳なんだ?」と聞きますから、「79歳」と答えると少し驚いたご様子で、「日本人
は年齢より若く見えるなぁ。」といいます。 何の何の、平素の努力の結果ですよ。 それでも頂上に着くと
杖代わりに使っていた2本の傘を天に突き上げ「ビクトリー!」と叫んだものです。          ・

 

下って名勝『紅葉橋』を見て頂きました。 しかし橋の景色にはあまり興味を示さず、たまたま『前撮り』を
していたカップルに走りよって、「一緒に写真を撮らせて貰っていいか?」と頼んでいました。 了解を貰っ
て、このカップルを挟んで写真に収めご満悦のご様子でした。 『厳島神社』でも、余り感動した様子はなく
『大聖院』ではくたびれ果てて、よたよたと帰路につきました。                   ・

彼らのホテルは広島市内でしたので、広電宮島線に乗せて、車掌に停車駅で降ろしてくれるように頼み、私は
途中下車をしてお別れしました。 「なんとまぁ、厄介なガイドだったなぁ。」と思いながら我が家まで重い
脚を引き摺りました。                                      ・


















































6月 7日



ギターのレッスンが終わりました


今回は『ソル練習曲OP31-7と8』のレッスンを受けました。 OP31-7は前回一応合格を頂いてい
たのですが、ちょっと納得出来ないところがあったので、今回まで持ち越していました。 それに合わせてO
P31-8を練習してきましたが、結果は両方とも合格をいただきました。 左手の指の形にアドバイスがあ
りましたが、指摘事項は特にありませんでした。                          ・

それで次回までに『OP31-9』を、ゆとりがあれば『OP31-10』を練習するように指示されていま
す。 『OP31-9』はモーツァルトの匂いのする柔らかい曲です。 ちょっとつま弾いてみましたが、1
週間程度で目途が立ちそうなので、うまくい行けば『OP31-10』に取り掛かれるかも知れません。 ・

それから雑談になりました。 「こうして練習曲を次々と練習していますが、私のゴールは一体どこにあるの
かよく分かりません。」と平素思っていることを相談しました。 すると意外なお答えが戻ってきました。・
「まず『ソル練習曲集vol.2』を弾き終えて頂きます。 それから 『ソル練習曲集vol.1』に取り
掛かりいけるところまで進んで頂きます。 そして88歳の『米寿』の誕生日にご家族で小さな演奏会を開い
て『アルハンブラの思い出』と『バッハ』を含めて3曲を演奏して頂きます。 これがかねて私が考えていた
あなたのゴールです。」                                     ・

そういう事でした。 随分と具体的なゴールの提示でした。 「『ソル練習曲集vol.1』をやっつけるに
は少なくとも10年はかかる。」と言われています。 そうすると、79歳の誕生日に私が思い描いた夢と概
ねマッチしています。 こうしてゴールが明確になれば、それに向けて着実に進んでいけます。 有難うござ
いました。                                           ・

願わくばその先にある『ファミリー・コンサート』に成長した『ギター弾きの孫娘』が花を添えてくれたら、
いいお土産を『菩薩様』に持って行ってやることができます。                    ・






































6月 1日

傘寿まであと1年

今日は私の79回目の誕生日でした。 従って『80の大台』まであと1年となりました。 今夜は特に『お
祝い』の気持ちもなく、『豚ロース』を焼いて、スナップエンドウやブロッコリーなどたっぷりの野菜を付け
合わせて、ワインを頂きました。                                 ・

特に感動的なことはありませんでした。 こんなものかなぁ。 さて、これからどう生きるか、そんなことを
一応ですけれども考えました。 そうですね、やはり『ボランティア・ガイド』は少なくとも後5年は続けた
い。 これは体力勝負になります。 弥山登山(もちろんケーブルカーを使って)が難しくなったら一区切り
になるでしょうか。 それまではやりたい。 それ以降は? 平地だけならもう少しいけるかも知れない。・
まぁ、やれるところまでやるんですね。                              ・

英会話のレッスンも続けていきたいと思っています。 『ボランティア・ガイド』を続けるためのツールです
から、そこは疎かにはできませんね。 それだけではなく、これは以前にも触れたことですが、1人で生活す
る者にとって、この会話の時間は実に貴重です。 違った角度で脳の老化を防ぎながら、合わせて心のケアに
もなっています。                                        ・

そうだ、ギターのレッスンもあった。 これは別に華やかなことを臨んでいる訳ではなくて、頭、目、耳、腕
指先を使いながら認知機能の衰えを防ぎたい、また、ジイジがこの歳になってまだ頑張っているのだという後
姿をキター弾きの孫娘に見せておきたい、そんなところですかね。                  ・

『ソル・ギター練習曲集vol.2』を80歳までにやっつけられたら、これは素晴らしいと思います。 問
題はその後ですね。 『vol.1』を85歳までにやっつけられたら、これは夢物語ですが、まぁ他人に笑
われようと、そういう夢のある希望を持つのも生きがいの助けになるでしょう。            ・

これは社会との繋がりを持ちながら生きていきたいという希望に根ざしているのですが、『国勢調査』にあと
2回は参加したい。 確か来年が調査年だったと思います。 また様々の統計調査にもこれまで通り関わって
行きたいなどと、誕生日に当たって欲どおしくこんなことを考えました。               ・









































5月31日


『黄昏亭』を開店しました


随分久しぶりの『黄昏亭』でした。 お客様は例によって『39堂主人』、前回は彼が病み上がりだったため
「余り刺激の強いものはよくなかろう。」と思って、予定していた『カレーライス』を止めて、『押し寿司』
にしたのですが、「いや、ワシは毎日『ハバネロ』を食っとるから辛くても大丈夫じゃ。」というので、今回
はかねてからの約束通り『カレーライス』にしました。                       ・

心積りは『茄子カレー』だったのですが、何だか「一般的すぎるなぁ。」と思って、初挑戦ながら『スパイス
カレー』にチャレンジしました。 大きな玉ねぎの微塵切りを約30分、飴色になるまで炒めてスパイスをた
っぷり加え、更に手羽肉とともに炒めて『激辛カレー』を作りました。                ・


 

いや、作った積りだったのですが、彼に言わせれば「ワシの辛さはこんなものではない。」そうで、それは恐
れ入りました。 ただし、カレーの味はなかなかお気に入りのようでした。 『付け合わせ』は野菜サラダに
しました。 それと『箸休め』に自家製大根漬けを供しました。                   ・

そして彼が持参してくれた甘い『豆菓子』でコーヒーを頂きながら、何か特定の話題ということでもなく「気
の合う友達はいいものだ。」などと言いながら、
取り留めのない話しを3時間余りも話しました。 まぁ『マ
リテェス』(フィリピンの井戸端会議)のようなものでした。                    ・

さて、次回のメニューは何にしようか。 かなりいろいろと作ってきたので、少々『種切れ感』があります。
最初に作った料理が『スパゲッティー』だったので、次回は元に戻って『ボンゴレロッソ』なんかはどうだろ
うか。                                             ・
























5月25日



最終日

25日、9時にホテルのロビーにお迎えしました。 すぐにお弁当を買って宮島に向かう積りでしたが、何故
かお弁当に興味を示さないので、一体どうしたんだろうと思っていたところ、やはりコーヒーでした。 先ず
はコーヒーを1杯飲まないと行動が起せない人のようですね。                    ・

すぐにスターバックスにお連れし、今回は私も『エスプレッソ』をご相伴にあずかりました。 私も結構コー
ヒーを飲みます。 自分ではコーヒー中毒だと思っているのですが、この人の場合は全く別格です。 宮島に
向かう車中ではいつも通り宮島についての予備知識を提供しておきました。              ・

全般を通して、余り感動なさらないご様子でした。 例えば『紅葉橋』や『ロープウエイの空中散歩』、『弥
山山頂のパノラミックビュー』、『厳島神社』、私の思い過ごしかも知れませんが、余り表情に変化があるよ
うには思えませんでした。 ちょっとやりにくい。                         ・

ただ、弥山山頂の展望台で、隣に座った女性とは随分打ち解けて冗談を交わしていました。 その女性に『隣
に座らせてもらっていいですか?」とお断りし「この人は話し好きですから、どうぞおしゃべりをして下さい
。」と持ちかけたところこの女性も乗ってきて、『ガラパゴス』に行った話など、片言の英語でしゃべり続け
ていました。 この時の彼の顔は晴れ晴れとして見えました。                    ・

1つ残念がっていることがありました。 帰路についたころ、「あとどれくらい待てば潮が上がって『大鳥居
』がフローティング・ゲートになるのか?」と訪ねられたので、「6時間くらい後かな。」と答えたところ、
ふと残念そうな表情を見せました。 弥山に登る前に、先に『厳島神社』に入ればよかったかな。」 しかし
『厳島神社本殿』で結婚式を見ることが出来ましたので、『功罪相半ばす』でしょう。         ・

帰りのフェリーボートの中で、「ここへ連れていけ。」とスマートフォンを見せます。 見ると、ちょっと有
名な南区の海岸通りにある魚料理専門店でした。 「そこは遠すぎます。」と答えて、代わりに廿日市駅前の
大衆酒場にご案内しました。 「魚のフライが食べたい。」と言っていましたが、『ホッケ』と『シシャモ』
を頼んで「パーフェクトだ。」と喜んでいました。 それにグラスワインの赤を頼んでいました。    ・

そこでいろいろと聞かせて貰ったのですが、お国ではワイン用のブドウ園を経営しているそうでした。 幅1
50m、奥行1kmのブドウ園だそうです。 「ワインも作っているのか?」と聞くと、「いや、全部ファク
トリーにおさめている。」といっていました。 家では数名のサーバントを雇っているそうですから、随分と
リッチな方なのでしょう。 「また11月に来るよ。」と言って去っていきました。          ・



ボランティア・ガイドが終わりました

今回はチリの老人(67歳)をご案内しました。 24日午後に広島駅に隣接したホテルのロビーで出会い、
先ずは『お好み村』で昼食を済ませ、それから平和公園、原爆資料館、縮景園とご案内するように計画してい
ました。 ところが、この日の昼食時の『お好み村』は外国人観光客にすっかり乗っ取られていました。 3
階の全ての店は外国人観光客の予約で一杯になっていると馴染みの店から連絡がありました。      ・

そこですぐに『チリアン』(チリの老人)に連絡し、状況を説明して、お昼をラーメンにし、夕食を『お好み
焼き』にしたらどうかと提案しました。 一応了解を頂いていたのですが、暫くして「この寿司屋に連れてい
け。」と逆提案がありました。 なかなか厄介だなと思いながらも了解して、すぐにその寿司店に予約を入れ
ておきました。                                         ・

いざ注文という段取りになり、お互いに『上にぎり』を注文したのですが、その『チリアン』はその上に『お
まかせにぎり』を食べると言い出しました。 店員がやってきて、「それはいくら何でも多すぎます。」と促
しましたが、彼は「ノープロブレム」と譲りません。 結果は案の定双方腹一杯、3~4貫を私の皿に乗せ「
これを食え。」と言いますが、結構大食の私ももうそれ以上は入りませんでした。           ・

すぐに平和公園に向かう予定でしたが、スターバックスを見た途端、「コーヒーを飲もう。」と言い出しまし
た。 それ以降も何度かコーヒー店に入ったのですが、彼は終始『エスプレッソW』でした。 まぁ時間にゆ
とりがありましたので、そこは御意に従いました。                         ・

チリはスペイン語圏です。、事前のメール交換では、「私は英語は余り得意ではない。」といっていましたが
確認したところ一応私の英語でも通じているようでした。 [6~70%は理解できる。」といっていました
ので、例えば『爆心地』とか『藩主』など特殊な言葉には注意を払いながら いつも通りに説明をして歩きま
した。 時に双方がスマートフォンを取り出すということもありましたが、以前、英語が全く話せないアメリ
カ人(スペイン語のみ可)をご案内した経験から、ゆとりをもって説明して歩くことができました。   ・

広島の前の訪問地が姫路城でしたので、縮景園の後は広島城の外周には回らず、直接『お好み村』に向かいま
した。 するとまたコーヒーです。 「食事の後にしたらどうか?」と提案しましたが、お構いなし、どんど
んお店に入っていって、女店員と冗談を交わしながら例によって『エスプレッソW』を注文していました。・

今日は馴染みの『お好み焼き店』がお休みだったので、そんな時に利用する店に座りました。 ところが店内
の客は、何と私以外は全て外国人でした。 凄い人気です。 私のゲストも大抵「『お好み焼き』を食べさせ
ろ。」と要望してきます。 『チリアン』は初めは「魚のフライを食べさせろ。」などと言っていましたが、
すっかり気に入ったようで、周りと談笑しながら『筋肉入りのお好み』を楽しんでいました。      ・

 

25日は宮島、まず『弥山』に登りました。 その様子は後日追記します。 出来るだけ早くアップデートし
ますのでどうぞご覧になって下さい。                               ・
































5月16日



最終日

少し遅い目のスタートにしました。 10時に原爆資料館前の噴水脇で待ち合わせ、すぐに平和公園内の私の
案内ルートに従って説明して歩きました。 まずは爆心地なのですが、ずいぶん熱心に話しを聞いてくれまし
た。 そうすると話し手としてはとても話しやすいですし、私の話しをよく聞いておいていただくと資料館内
の展示物の意味もよくわかるはずです。                              ・

平和公園内を一巡し最後に原爆慰霊碑を説明して、資料館に向かいました。 慰霊碑の前でちょっとした出来
事がありました。 多分アフリカあたりの団体なのだろうと思いますが、慰霊碑から臨む原爆ドームの写真を
撮るために沢山の人が列を作っている前にサッと割り込んで記念写真を取り始めました。 日本人女性のガイ
ドが付いていて、彼女に導かれてそのようにしたようでした。 そこで「あなた何をやっているんだ?」と詰
問すると、「ちょっとだけですから。」と返事がありました。 カチンときて「ちょっとだけならいいのか!
」と𠮟りつけましたが、後は知らぬ顔で去っていきました。 ここではそういう態度も周りからしっかり見ら
れています。 あなただけの恥ではすみません。                          ・

資料館では若者は熱心に1つ1つ展示物の説明文をチェックして歩いていました。 私は先行する女性たちを
フォローしていたのですが、結局私たち3人は出口で30分ほど待つことになりました。 「どう? これっ
て彼の性格なの?」と尋ねたら「ウン!」といって笑っていました。 でも、このように熱心に見て頂けるの
は有難いことです。                                       ・

それからお好み村で昼事をとり、縮景園に向かいました。 例によって鯉の餌やりを楽しんでいただき、池の
周りを巡りました。 清風館の周りの景色が随分変わっていました。 刈り込んだ立派な松の木が沢山あった
のに、随分寂しくなっていましたのでどうしたのか尋ねてみたところ、「絵図に基づいて往時の姿(小振りの
松)に植え変えた」のだそうです。 そうですか、どなたの発案かは知りませんが、やってみて後悔している
んじゃぁないでしょうか。 問い合わせたら急に不機嫌になりましたからね。             ・

最後に広島城の外周を回って、これで私の役目は終わりました。 ところが「一緒にコーヒーとアイスクリー
ムはどうか」とスターバックス誘われました。 頂いたメールの文面からすると、観光地だけでなく日本の文
化や歴史などに興味をお持ちのようでした。 それですっかり質問攻めにあってしまいました。 特に日本の
人種差別や性差別の実態、職場での差別について、ご自分のおかれた状況(移民系)と比較しつつ、かなり突
っ込んで聞かれました。 まぁ何とか対応は出来たかな。                      ・

インド系女子が私が勤めていた会社のドイツ支店でデーター系業務の女性グループのチーフをしていることが
分かって、一層打ち解けて話しがはずみ、とうとう1時間余りも話し込むことになりました。 そして「是非
ドイツを訪ねて欲しい。」と勧められました。 その折りには案内をよろしく。            ・



露天風呂

『新企画』と言いましたが、少し大仰過ぎました。 4月21日の項で紹介した露天風呂、ポーランド嬢をお
連れすることは出来ませんでしたが、今回「弥山登山の後で温泉で汗を流したらどうか」と持ちかけたところ
すっかり乗ってきました。                                    ・

すぐに返信があって、幾つか質問がありました。 まず「男女は別になっているのか?」ということでした。
それから「ビキニとかスイミングスーツを着てもいいのか?」 「温泉までの通路も裸で移動しなければいけ
ないか?」 こんな質問でしたが、どうやらヨーロッパスタイルの大きな温泉プールを想像していたようでし
た。                                              ・

そこで写真を送り、外部からは見えないこと、男女は別施設になっていること、隣の更衣室で着衣を脱ぎ、そ
こから先は裸であること、露天風呂までの通路は裸またはバスタオルでカバーしてで移動すること、温泉には
タオルも持ち込めないこと、などを説明しました。 最終的に若者はもちろん、カザフスタン嬢もトライする
そうでした。 ただインド嬢はどうしても人前では裸になれないのでロビーで待つことにすると返事がありま
した。                                             ・

宮浜温泉は大野浦駅からタクシーで5分程度です。 宮島での行程を全て終えて宮島口駅まで戻り、山陽線下
りに乗って2駅、大野浦駅に至ります。 大野浦駅は田舎駅ですからタクシーが常時待っているということは
ありません。 20分程度は待ったでしょうか。 タクシー料金は920円。             ・

宮浜グランドホテルに到着し、フロントで入浴料800円を支払って浴室に向かいました。 室内風呂でかけ
湯をしたあと屋上の露天に向かいました。 目の前には大野の瀬戸と宮島が広がっています。 この景色を眺
めながら温泉に浸かり、若者はすっかり感動した様子でした。 「ドイツにある温泉は大きなプールになって
いて、水は冷たく、スイミングスーツを着て泳ぐ。 こんな温泉は初めてだ。」と話していました。 一方、
女子の方は少し囲いのある露天でした。 感想を聞いたところ、思いもよらない経験だったようで、こちらも
すっかり感動した様子でした。                                  ・

 

私としては、これは初めてだけれどナイスな企画だったと思います。 露天風呂は、まぁ日本特有の文化だと
思いますし、裸の付き合いということも海外では稀な事なのではないでしょうか。 強烈かどうかは分かりま
せんが、日本のいい印象・思い出をお持ち帰り頂けたと思っています。                ・



気を取り直し弥山登山

9時に広島駅中央口で待ち合わせ昼食の準備をしました。 インド系ハーフの女子はベジタリアンで、パンを
選んでいました。 私たちも思い思いに弁当を買い電車で宮島に向かいました。 車中では早速タブレットを
使って予備知識を仕込ませていただきました。 こうしておけば後々の理解が深まります。       ・

ちょっと驚いたことがありました。 厳島3姫神の系譜をパワーポイントで作っていたのですが、カザフスタ
ン系ハーフの女子がそれを目ざとく見つけ、「これは創造神のイザナギ・イザナミか?」と聞かれました。・
「オォッ!」と驚き、「厳島3姫神はアマテラスの娘たちだよ。」と説明すると、頷きながらこの神社の由緒
を理解したようでした。 神道に興味を持って事前に調べたと言っていました。            ・

この女性はまさにスーパーウーマン、ケーブルカー・ターミナルで、「私はそんなに早くは登れない。 もし
マイペースで登りたいなら霊火堂の右の石段を登って左に折れ、後は一直線だよ。」と写真を見せながら話す
と、早速スタスタと大股で歩き初め、あっという間に森の中に消えました。 私と若者、それにインド系の女
子はまぁそろそろと、特に私はよたよたと登って行きました。                    ・

実は前回と同じようにケーブルカーの乗り場でシャツを1枚脱ぎ、ショルダーバッグ共々コインロッカーに預
けて身軽になって登るつもりでしたが、コインロッカーには目張りがしてあって使用不可の張り紙もありまし
た。 そうですね、G7が近づいていますから警戒が厳しくなっています。 読みが足りませんでした。 や
むなくショルダーバッグを肩に登ることになってしまいました。 この負担は大きい。         ・

前回より少しは慣れたとは思いますが、それでもかなりきつい。 霊火堂の直前でほぼ限界に達してしまいま
した。 それで弥山本堂の脇にあるベンチに座って暫く休憩してやっと頂上まで辿り着く始末でした。 かの
女性は展望台に座って長い脚をブラブラさせながら待っていました。 どれくらい待ったんだろう。   ・

お昼を食べて、景色を眺め、しばらく雑談をして下りました。 膝に柔軟性がありませんから、下りも結構き
つい。 霊火堂まで下って、ここで燃えている火の意味をお話ししました。 また、「この火に関連すること
を明日平和公園でお話しすることになるので覚えておいて下さい。」と付け加えておきました。 ゲストから
は「本当に1200年も消えずに燃え続けているのか? 誰がこの火の管理をしているのか? あなたはそれ
を信じているか?」など、次々と質問がありました。                        ・


 

そして、霊火堂前で記念写真をとりましたが、後でみて「疲れると自分の着衣にさえ気が配れなくなるのかと
情けなくなりました。 次回は厳島神社も大聖院も千畳閣も全てすっ飛ばして、今回の新企画についてお話し
します。 ご期待ください。                                   ・




待ちぼうけ


私はいつもお客様の要望を聞いた上でスケジュール案を作成し、それを元に更に意見を聞いた上で具体化する
ようにしています。 最終的に提示した今回のスケジュールでは14日に広島市内、15日に宮島をご案内す
ることにしていました。 14日の待ち合わせは平和資料館前の噴水前にし、事前に写真を交換し帽子や着衣
の特徴なども話しておきました。                                 ・

ゆとりを持って出かけたいので朝5時に起き出して準備を始めました。 遅刻するとまずいので出来るだけ早
めに準備を終えるようにしています。 お勤めをした後食事を済ませ、オムツを履いて出かけました。 前立
腺癌の手術のあと頻尿・切迫尿が続いています。 大抵は大丈夫なのですが電車は大体1時間掛かりますから
時に少々危なことになります。 そこで念のためにそのようにしています。 まだオムツを濡らしたことはあ
りませんが、平和公園に着いて慌ててトイレに駆け込んだことは何度かあります。           ・

今朝もちょっと危ない状況でした。 ただしこの朝の時間を凌げばそれ以降はほぼ問題ありません。 そんな
ことで噴水前には待ち合わせの30分前に到着しました。 ところが噴水から水が上がっていません。 それ
でも大きな囲いと植え込みがありますからきっと分かるだろうと思いましたが、「水が上がってないからね。
」とメールを送っておきました。 しかし全く返信がありません。 このところずっとです。      ・

立ったり座ったりしながらホテルの方向を眺めていましたが、約束の9時になっても姿が見えません。 「ま
ぁ少しは遅れることもあるだろう。」と思いながら待っていました。 ところが10時になっても11時にな
っても全く音沙汰がありません。 「原爆ドーム横の噴水と間違えているかな?」と思い、大急ぎでそちらも
確かめてみましたが、影も形もなし。 11時を回って流石に諦めました。              ・

「これはすっぽかされたな!」と思いました。 「また、何が悪かったのだろう?」とすっかり暗い気持ちに
なりましたが、まだ明日のスケジュールをどうするのかという課題が残っていました。 そこで帰宅後メール
を送って、待ち合わせの様子そ知らせ、明日の予定を尋ねておきました。 そしたら夜遅くになって返信があ
りました。 「待ち合わせは明日15日だと思っていました。 今メールを開いて驚いているところです。・
申し訳ありませんでした。 よろしければ明日、明後日とお付き合い下さい。」とありました。     ・

予定表には14日、15日と日付を入れていましたし、直近の天気予報など時時の情報もお知らせしていまし
たが、日付を見落とし、メールの確認も全くしていなかったようで、こういう行き違いが起こってしまいまし
た。 ただ、私の方も14日に広島に入るという情報を14日からガイドと思ってしまう間違え?をしていま
したので「お互いに水に流そう。」と話して、明日宮島を、明後日広島をご案内することにして、一件落着と
いうか、正直ほっとしました。 こんな失敗談でした。                       ・


ボランティア・ガイドが終わりました

今回はドイツのフランクフルトからお見えになった若いグループのご案内でした。 若いドイツ人男性と2人
の女性、彼女たちはドイツ人とインド系のハーフ、それにカザフスタン系のハーフというちょっと珍しい3人
のグループでした。 詮索するのはどうかなぁと思いつつ、それとなく聞いてみると、なんでも大学の学友達
のようでした。 今回は相当ユニークな旅でしたので一気に全てを書き下すのは少し厳しいです。 そこで何
回かに分けて時時に書き加えて行きたいと思います。 ですので、更新のメッセージ届きましたらどうぞご覧
になってくささい。                                       ・


















































5月10日



ギターのレッスンが終わりました

今回の課題はソルOP31-6と7でした。 OP31-6のアルペジオは何とかやっつけました。 「アル
ペジオがここまで弾ければ十分です。」と合格を頂きました。 OP31-7は本格的に練習を始めたのが1
週間前でしたが、こちらも何とかこぎつけられたと思っていました。                 ・

ところがとんだ伏兵があって、行く手を阻まれました。 過去にも1度出てきたことがあったと思いますが、
変化記号を見落としていました。 ♯や♭とともに♭♭というのとか、×などがあります。 今回見落として
いたのは×=ダブルシャープでした。 半音上げて更に半音上げることになりますから結果的に1音上がるこ
とになります。 これが複雑な楽譜の中にこっそりと隠れていました。                ・

そこを指摘されて、次回まで持ち越しになりました。 もっとも、やはり練習時間が足りず、十分にこなれて
ない部分も数か所ありましたので、次回までにスムーズさを追求することになりました。 
私の場合やはり最
低でも2週間は弾き込まないとものにはならないようです。                     ・

「順調にきていますね。 取り敢えずOP31-7を完成させて、続いてOP31-8と9も練習してくださ
い。」とオーダーを受けています。 もう1曲やっつけるとOP31の3分の1を終えることになります。・
今年の暮れまでにどこまでいけるか、
残りが減っていくのを励みに頑張りたいと思っています。     ・





















5月 4日



『菩薩様』の誕生日にあたって

『菩薩様』が逝って丸10年になります。 そして今日が11回目の『誕生日』でした。 我が家での朝晩の
お勤めは欠かしませんが、車を運転するのが億劫になってからは、お墓参りをご無沙汰することが多くなって
います。 きっとお怒りになっていることでしょう。 そこでこの機に今日お参りをしてきました。   ・

お彼岸ではないですが、お墓参りには『おはぎ』だろうと思って、近くにある『峠の茶屋』のようなお店に行
ってみました。 ここでは年中『おはぎ』を売っています。 いや売っているはずでした。 ところが店が見
当たりません。 完全に更地になっていて、すっかり当てが外れてしまいました。           ・

仕方なく『お墓』の隣にあるフランス人経営の広島では有名店に数えられているお店に立ち寄って『マカロン
』を2つ買いました。 それから自動販売機で暖かい紅茶を買って『お墓』に上がりました。 『菩薩様』の
お墓は『お墓のマンション形式』で3階にあり、『認証キー』を入力すると自動的に『お骨』が祭壇に運ばれ
てくる仕組みになっています。                                  ・

冷暖房完備、常にクラシックが流れ、掃除も行き届いているようないい環境です。 もう命が短いと悟った『
菩薩様』から、「早く入るところを見付けてこい。 お参りしてくれる人が苦労しないように電車を降りたら
楽に歩いていけるようなところがよい。」と厳命があって、この『お墓』を見付けてきたのでした。   ・

祭壇に『マカロン』と紅茶をお供えして、お経をあげて、少しだけお話しをして短時間で引き上げました。・
今日は連休のさ中でもあり、お参りする人が結構多かったので他の参詣者をお待たせしないようにちょっとだ
け気を使いました。 お供えしたお菓子は持ち帰って家の仏壇にお供えし、結局私が頂きました。    ・

ふと「10年間よく生きてきたなぁ。」と思うことがあります。 夫婦が同時に旅立つということは極めてま
れなことで、殆どの夫婦はそのどちらかが残されて、再婚でもしない限り寂しい1人暮らしを余儀なくされる
訳で、「お前だけじゃないよ。」と言われてしまいそうですが、まぁ、私もその1人だということです。 ・

いま『菩薩様』が残してくれた言葉を思い返しています。 「昌人君(そう呼ばれていました)は今まで通り
いそいそと生きてね。 笑顔を忘れんでね。 みんなとうまくやっていく秘訣よ。」などと言い残し、最後に
死をもって『他人を思いやる』ということを教えてくれました。                   ・

また、言外に『料理を楽しむ』ということも日常の食生活を通じて教えてくれていたように感じます。 叔母
が「毎日の食事作りが大儀ではないのか?」と心配してくれたことがありましたが、ついぞそんなことはあり
ませんでした。 彼女は本当に平素から『作る楽しみ』と『食べる楽しみ』を教えてくれていたように思いま
す。 これは1人で生きる私にとって何よりのことでした。                     ・

私が今日こうして生きていけるのは、こうした『菩薩様』の教えがあればこそと思っています。 多くの私の
年齢の男やもめは食事作りに難渋していると聞きます。 そして今日はローソンン、明日はセブンイレブンと
いう生活も多いと聞きます。 そうした中で、少し卑しいと思いながら、食を楽しむことができる私は、おか
げでいい余生を送らせて貰っていると感謝しています。                       ・

さて、話しはボランティア・ガイドに変わりますが、次のお客様は14~25日にドイツから、24~25日
にチリからお見えになります。 既にスケジュール案をお送りして概ねご了解をいただいています。 これは
とりもなおさず『いそいそと生きる』とうい『菩薩道』の実践ということです。            ・
















































4月30日



ボランティア・ガイドが終わりました

これが今月5回目のボランティア・ガイドでした。 最初のガイドで気が付いたのですが、かなりキーワード
を忘れており、加えて舌がうまく回りません。 やはり慣れが必要です。 そんなこともあってかなり無理を
した感もありますが、それでもまだ十分な効果が出せていません。 頭の回転ももどかしいくらいになってい
ます。 歳だとは言いたくありませんが、それも否めないかな。                   ・

今回のお客様はオランダのファミリー(父母、息子、娘)でした。 1日の予定なのですが、広島と宮島、加
えて弥山登山を希望されていました。 「1日では厳しいですよ。」とアドバイスしたのですが、どうしても
ケーブルカーに乗りたいと譲りません。 終いには「ケーブルカーの最終便を教えろ、自分たちだけで行く。
」と言い始める始末。                                      ・

とうとう負けて禁じ手に手を出してしまいました。 ただ単に『厳島神社』と『弥山登山』を入れ替えるだけ
なのですが、出来るだけ短時間で『平和公園・資料館』を終えて電車で広島駅に向かい(ここは時間的に厳し
いのでタクシーを計画していましたが、「電車にしてくれ」と要望がありました。)、すぐに登山、下って『
厳島神社』と神社の閉門時間との戦いになります。                         ・

お昼は弁当を買って出かけたのですが、このスケジュールではまだ『お好み焼き』が残っています。 これを
夕食に回しましたので再び広島に引きかえさなければなりません。 これを全てこなした結果、私が家を出て
帰宅するまでに12時間を要しました。 この禁じ手はガイドにとって余りに過酷です。        ・

この苦労を知ってか知らずか、この人たちは誠に気儘なものです。 これから先を話すと『恨み言』になって
しまいますので余り言いたくはないのですが、せめて『感謝、ねぎらい、リスペクト』くらいはあっていいの
ではないかと思います。 日本人は極めてセンシティブな感性を持っていますから、ちょっとした態度で『ま
るでサーバントのように扱われているな。』と悟ってしまいます。 多くの人はちょっとしたお国の『お土産
』を持参して下さるのですが、それさえもありませんでした。 別に『お土産』が欲しいわけではありません
が、それはせめてもの感謝の気持ちの表現でしょう。                        ・

最後に『お好み村』にご案内しましたが、とても一緒に食事をする気持ちになれず、疲れを言い訳にその場を
去りました。 もちろん帰り道の概略は話しておきました。 私たちの活動は『善意』に基づくものですから
是非ともその『善意』に報いて頂きたいものだと思います。 極めて不愉快な思いをしました。     ・

皮肉をいえば、『go dutch』ですね。 この意味をご存知でしょうか? 『dutch』はオランダ
人、『go dutch』は
『割り勘』という意味ですが、なぜそういう意味になったのかというのは17世
紀に遡ります。 当時はイギリスとオランダは貿易大国だったみたいで、お互いに盛んに貿易をしていたよう
です。 ところがイギリス人から見るとオランダ人は随分『ケチ』だったようで、それで英語圏で『割り勘』
がそのように言われるようになったのだそうです。                         ・

dutch』は決して非礼な言葉ではありませんが、『go dutch』になるとオランダ人にとては少
々非礼
になるようです。 でも、今回のこの人たちの態度を見ると『さもありなん』と思われてきます。 も
ちろんオランダ人が全てそうだと言っている訳ではありませんよ。                  ・

































月25日


               
ボランティア・ガイドが終わりました

かなり厳しいガイドでした。 というのも、9時にホテルに迎えた頃には既に少雨があり、最初の目的地宮島
に入ることには本降りになっていました。 そしてガイドを終えた頃にはシューズの中はまるでスープ状態に
なっていました。 過去にもこういうケースがなかったこともないのですが、今日のはひど過ぎました。 ・

今日のお客様は、何故かポーランドとエクワドルの中年女性(30代後半だったかも知れません)のお友達で
した。 あまり深くは詮索しませんでしたが、年に4~5回逢うくらいの友達だったようです。 ポーランド
の女性はソ連の迫害を逃れてドイツの国籍を持ち、今はフランスで仕事をしているようでした。     ・

あらかじめメールで要望を確かめたところ、日本の特徴的な朝食を体験したい、また本格的な『茶道』を体験
したいということ等でした。 朝食の方は、「もし8時半までに広島駅に到着できればきっといい経験ができ
る。」とお答えしたのですが、『時差ぼけ』がきつくてそんなに早くは出かけられないということでしたので
「それならば日本のファーストフードを食べていただきましょう。」と提案しました。 いわゆる『駅うどん
』です。 でも結果的にあまりお好みではなかったようでした。                   ・

それから宮島に向かい、『茶道』を体験していただきました。 港からほど近いところにお寺の『庫裏』を改
装した『茶道体験』がオープンしており、前々から気にはなっていたのですが、今回初めて利用させて頂きま
した。 我々からみると「少しどうかなぁ?」と思われるのですが、かなり略式の茶席でした。 外国人が主
なターゲットの『茶席』であり、正座の苦手な欧米人向けに椅子とテーブルを使った簡易なものでした。 H
Pではちゃんと炉が切ってあり、絨毯が敷かれた茶席が紹介されていましたので、ちょっと期待外れでした。

   

そうではあっても、彼女たちにとっては新鮮な体験だったようで、随分満足のようにお見受けしました。 満
足していただければそれはそれでOKなのですが、これが本格的な『茶席』と受け取られるのであれば、それ
はどうかなぁとは思いました。                                  ・

それから大雨の中を『厳島神社』にご案内し、ちょっと商店街に立ち寄って頂いて宮島を後にしました。 そ
れから広島に戻り『お好み村』にご案内しました。 随分期待されていたご様子で、存分に広島スタイルの『
お好み焼き』を多彩なトッピングで楽しんで頂けました。                      ・

後は『平和公園』と『資料館』のご案内でした。 『平和公園』内は相当に激しい雨で、私はタブレットを手
に説明をするのですが、彼女たちに傘を預けてカバーして説明しなければいけないほどの雨でした。 一応『
爆心地』から『慰霊碑』までをご案内しましたが、『原爆供養塔』だけはパスしておきました。     ・

それから『資料館』に入りました。 現下におかれた状態(ウクライナ・ロシア戦争)なのかも知れませんが
かなり熱心にご覧いただけたと思います。 そしてかなり強い雨の中を『原爆供養塔』にご案内しました。・
これだけはこのような気象条件のなかでもパスすることは出来ないと思ったからでした。 『資料館』で沢山
の死体を焼く『証言絵画』を見て、「これは何を意味するのだろう?」と思っておられたようですが、私の説
明でその意味を理解できたようでした。                              ・

このようなことで今回のガイドを終えましたが、少なからずゲストの希望を叶えて差し上げられて、これは「
よかったかな。」と思っています。 次回のご案内は30日、オランダのファミリーの予定です。    ・
















































4月24日



ワラビを頂きました

お隣から『ワラビ』を頂きました。 いまどきファーマーズ・マーケットに行くと春の味覚が並んでいます。
『コシアブラ』や『ゼンマイ』は時期を外れたようですし、『タラの芽』もお終いに近づいているようです。
『ワラビ』は今が盛りなのでしょうか、もっともこうした野生植物の多くは県北の吉和辺りからでてくるので
しょう、従ってこの辺り、県南とは少し季節感が違うようです。                   ・

それはともかく、結構たくさん頂きました。 早速水洗いをして洗い桶に並べ、重曹を振りかけて上から熱湯
を注いで灰汁抜きをしました。 一瞬にして 綺麗な真緑に変色します。 長くこのまま放置しておくと柔ら
かくなってしまいますので短時間で引き上げて、改めて水洗いをし、暫く水に晒しておきました。 それから
ジップロックに収めて冷蔵保存をします。 水さえ頻繁に変えてやれば結構長く新鮮さを保ちます。   ・

早速料理をしました。 1つは『煮びたし』に、1つは、これは創作料理かも知れませんが、『豚とワラビの
炒め物』です。 『煮びたし』はほゞ味が付いていますので、少量の醤油と『カツオ』で頂きました。 ソテ
ー・フライの『豚とワラビ』はマヨネーズで頂きました。                      ・
 

やはり春の味覚、風味がいいですね。 「わざわざ買ってまで」とパスしてきましたが、思いもかけず春の味
覚を満喫することができました。 ありがとうございました。 それにしても従妹はどうしとるんだろう、ま
だ『筍』がこんなぁ。                                      ・





































4月21日


宮浜温泉・露天風呂

宮島口から岩国方面に約5km、海岸から国道2号線とJR山陽線を挟んだ山手に『宮浜温泉』があります。
『宮島から一番近い温泉』と言われていますし、大野の瀬戸を挟んで向いが宮島ですから、ロケーションもな
かなかです。 私の中ではそれほど有名な温泉ではありませんでしたが、大きなホテルがオープンしています
ので宮島観光とセットで利用される方が多いのかも知れません。                   ・

もう随分前のことになりますが、宮浜温泉で管理職研修がありました。 研修が終わった後で講師から明かさ
れたことですが、ボスの内命があって個人的に特に厳しく鍛えられたそうでした。 その時に泊まったホテル
が確か『宮浜グランドホテル』だったと思います。 このホテルに眺めの良いお風呂がありましたので今日行
ってみました。                                         ・


 

その時にはこのような『露天風呂』はなかったのですが、こんな海と一体化した眺めの『露天風呂』(写真は
借用)
ができていました。 向かいが大野の瀬戸を挟んだ宮島です。 ゆったりと海を眺めながらリラックス
することが出来ました。 因みに日帰りだと利用時間13時~20時、利用料金800円(タオル別)、『露
天風呂』には『マルミエロテン』(上の写真)と『ノゾキミロテン』があり男女隔日交互利用です。   ・

さて、前置きが長くなりましたが、何故私が『露天風呂』に入ったかということです。 25日にポーランド
の若い女性をご案内することになっています。 24日の午後に広島に入り、26日の朝に次の旅行地に出発
されます。 その間1日の案内を依頼されていたのですが、「24日の午後にどこか見るところはないか?・
例えば温泉とか。」という相談がありました。 「縮景園はどうでしょう? 温泉は心当たりがあるので調べ
て連絡します。」とお答えして今日『宮浜温泉』を視察しました。 近隣で温泉といえば、大衆浴場のような
処もありますが、より温泉らしいところをと思ったのでした。                    ・

すぐに「こんな温泉を見つけた。」と写真を送っておきましたが、脱衣後室内の浴場から渡り廊下を通って『
露天風呂』に登って行きますから女性にとってはどうなんでしょう? バスタオルを巻いて登っていくのでし
ょうか。 それと海岸で貝掘りをする人、国道の側道を歩く人からは立っていればこちらの顔くらいは遠望で
きるかもしれません。 まぁ場所柄めったに人を見ることはありませんが。 そのあたりは最終的によく話し
ておかなければと思っています。 アクセスはJR大野浦駅からタクシーで5分、送迎バスも利用できるかも
知れません。                                          ・






































4月19日


ギターのレッスンが終わりました

今日ギターのオンライン・レッスンがありました。 指導を受けたのはソルOP31-6です。 前回レッス
ンから2週間をかけて練習してきた曲ですが、いまだ完成にはほど遠く、特に難儀をしている部分について演
奏方法のアドバイスを頂きました。                                ・

コードによっては指が回りにくく、またそのために手首を痛めてしまうことがあるようで、「この部分が思う
ようにいきません。」と質問したところ、「手首が痛くなったりしませんか?」と聞かれました。 それほど
のことはなかったのですが、時に痛みが走ることがありましたので、それを回避するための対処方法を教わり
ました。                                            ・

大切なことは、肘、手首を如何に柔らかく動かしていくかという事だそうです。 身体が固い私が一番苦手と
するところです。 指導を受けてやってみると、今まで苦慮していた部分がなんとなく解決しそうな気がして
きています。 このアドバイスをもとに次回レッスンまでには是非仕上げたいものです。 今回は加えてOP
31-7を練習するように指示がありました。 これもアルペジオなのか、先生に尋ねてみます。 #4つの
曲なので頭はすっかり混乱しています。                              ・

































4月17日


ボランティア・ガイドが終わりました

多忙を極めてきましたので随分更新が遅れてしまいました。 観光地の説明には、従来は印刷した写真や資料
を使ってきましたが、パンデミック後の再開を機にタブレットを使って説明することにしました。 これは私
のチャレンジです。 そのためにプレゼンテーション画面を『パワーポイント』で作ってきましたが、導線に
合わせ、要領よく説明できるように工夫してきましたので、これに多くの時間を要しました。      ・

また、パソコンで作ったプレゼンテーション資料をタブレットに移す作業にも時間をとられました。 USB
ケーブルでつないでタブレットにドラグすれば簡単に移行できると思っていましたが、そうは行きませんでし
た。 その方法をインターネットで探してトライしたのですが、うまくいかず、結局電気屋さんにサポートを
お願いすることになりました。 もちろんサポート料をしっかり取られました。 「タブレットをこの電気屋
さんで買ったのでそれくらいのサポートはあってもいいかな」と思いましたが、そうは問屋はおろしてくれま
せんでした。                                          ・

結局いったんSDカードに移し、それをタブレットに差し込んでデーターの移行となりました。 そのために
SDカードも買うことになりました。 まぁ、私のチャレンジですから、必要経費だと諦めました。 それで
プレゼンテーションの方ですが、これはかなり効果的でした。 お客様の理解も進んだように思います。 た
だ、プレゼンテーションの内容を英語で詳しく記述しておいたのですが、結局は画像が中心の説明になり、現
場では文章はあまり役に立たないことが分かりましたので、改めて画像をキーワードとの組み合わせで作り直
そうと考えています。                                      ・

さて、今回のお客様はアイルランドのファミリーでした。 実はご主人とは若干の顔見知りでした。 もう7
年も前のことになりますが、アメリカのご夫婦をご案内したことがあります。 ご夫婦ともハーバード出身の
とんでもない偉いお方でした。 その後、奥様のお勧めでスカイプで会話をしながらアメリカ英語の発音を教
わってきた経緯があります。 そのとき、たまたまアイルランドからアメリカに来ていたこの人がスカイプに
現れて音楽について話すことになりました。 この人はアイルランドで管弦楽を指揮をされています。 アメ
リカのご夫妻とこの人は姻戚関係にあります。                           ・

それでいきなり私にガイドの依頼があり、またアメリカのご夫妻からも「彼が広島に行くから案内をしてやっ
てくれ。」と合わせて依頼がありました。 メンバーは大人5人と幼児が2人でした。 子供たちのお母さん
は日系ハーフで12歳まで日本で育ったそうで、もちろんネイティブ・ジャパニーズでした。 しかもご主人
と広島に来られたことがあるそうでしたのでガイドが必要だったのかどうか、でも土地勘がなかったのでしょ
う、最終的に私にガイドを頼んできたようでした。                         ・

今回は広島・宮島1日コースを提案していました。 従って時間の制約もあり、『平和公園』『原爆資料館』
お昼に『お好み焼き』を食べて頂いて宮島に向かい、『厳島神社』、スターバックスでコーヒーとケーキをご
馳走になり、宮島口駅にお見送りして今日のガイドを終えました。                  ・


 

今日は過去2回の案内日と違って、随分観光客が少なかったように思います。 『原爆資料館』にもスムーズ
に入れました。 また『厳島神社』入り口の長い行列もありませんでした。 ただ、NHK広島放送局の前に
『ノット』というホテルがオープンしており、ここにお迎えに行ったのですが、1階のレストランはおびただ
しい外国人観光客で溢れていました。                               ・

さて、次回は25日に『ポーランド』から、30日に『???』からお見えになることになっており、既にス
ケジュール案を作って送っています。 『茶席』を経験したいとか、温泉はないかとか、『ロープウエイ』に
乗りたいとか、様々の要望があり、できるだけ要望に沿いたいと思って苦闘しているところです。    ・













































     



4月 8日



ボランティア・ガイドが終わりました


今年2回目のガイドでした。 もう7年も前のことになりますが、オーストラリアからお見えになった若いカ
ップルをご案内したことがあります。 その方から「masatoは今でもガイドを続けているか?」とメー
ルがありました。 「暖かくなったら再開しようと思っています。」と返事をすると、「ご近所のファミリー
が広島に行きたいと言っているけどガイドを引き受けてもらえるか?」といいます。 「もちろん、もちろん
」とお引き受けしました。                                    ・

新幹線口にお迎えすると、遠くの方から手を振って合図を送ってくれました。 とても気さくなmamと、ち
ょっとトレンディーなヘアスタイルの少年と、ふっくらして無口な少女の3人連れでした。 大阪に拠点を置
いて近隣を尋ね、来週からは京都に暫く滞在するそうです。 その後は東京だったかな。        /

挨拶もそこそこに、すぐに岩国行きに乗り換えて宮島に向かいました。 宮島に向かう場合は車中の30分が
とても大切です。 この時間を使って今回は紙の資料は使わないで、スマートホンにストックした写真や資料
を使って説明をしました。 この30分の間にしっかりと宮島に関する予備知識を持っていただきます。 例
えば『なぜ厳島神社は海の上に建てられたのか』『大鳥居は何故の海にあるのか』など。 その上で宮島に入
っていただくと理解も早いですね。                                ・

今までも何度か触れましたが、広島と宮島を1日でご案内するのは非常に厳しいです。 従って、宮島では『
厳島神社』のみのご案内になります。 時間的に『舞楽』や『雅楽』、『歌舞伎』などを映像で示しながらゆ
っくりと説明することはできません。 どうしても説明が上滑りになってしまいます。 それでも満足して頂
けるように努力はするのですが、どうでしょう?                          ・

今日は随分遅い昼食になりました。 宮島から帰ったのが2時まえ、大急ぎで『お好み村』に向かいました。
店では私たちの座席をキープして待ってくれていました。 少年は何でもokayなのですが、mamと少女
はベジタリアンでした。 従って『お好み焼き』に必須の豚は使えません。 そこは店主も心得ていて、それ
なりに見繕ってくれます。 従ってこの店を使い続けています。 豚抜きでトマトたっぷりの『お好み焼き』
を作ってくれました。 随分満足だったようでmamは腹一杯のお腹を叩いて笑っておられました。   ・

 

それから平和公園に向かいました。 ここは定番、『爆心地』から始まって『原爆ドーム』、『相生橋』を渡
って平和公園に入ります。 この辺りは5日の記事を参照願えればと思います。 そして『原爆資料館』に入
りしっかりと展示をご覧になって頂きましたが、流石に疲れたご様子で、「早めの新幹線で大阪に戻れないか
。」という事でしたのでタクシーをお願いし、1つ前の『さくら』にお見送りしました。 『JRパス』では
『のぞみ』や『みずほ』は使えません。                              ・

今回はこんなご案内でした。 歩数21,000歩、私も少々疲れました。 さて次のガイドですが、やはり
以前にご案内した方のご紹介で17日にアイリッシュのご家族をご案内します。 3歳と1歳半の子供連れな
ので、どのようにご案内すればよいか思案中です。 そして月末に2件、ポーランドのグループとオランダの
グループをご案内します。 かなり多忙です。                           ・