8月29日



プレゼント

息子、娘から『喜寿祝い』のプレゼントを頂きました。 かの『バカラ』のタンブラー、高価なものをありが
とうね。 そして娘曰く、「これねぇ、どこかに仕舞っておかないで、普段使いに使ってね。」 そうなんで
す。 もったいなくて、いつもつい大事に仕舞っておく癖があって、娘はそれを指摘しています。 よく分か
りました。 そのように致します。                                ・


   

タンブラーの底には『喜寿』と彫り込んでありました。 バカラの2021年バージョンだそうです。 それ
で早速。 タンブラーでワインというのは常道を逸脱しているとは思いましたが、今夜は『肉の日』、「まぁ
いいか。」と自身納得して赤ワインを頂きました。 子供達本当に、本当にありがとうね。       ・




































8月27日



豊田梨

娘のお姑さんから梨が届きました。 『豊田梨』。 彼女の郷里が『豊田梨』の産地なのだそうです。 それ
で、この時期になると毎年沢山の梨が届きます。 有難いことに、桃や葡萄ばかりでなく、このように毎年様
々な果物を楽しませて頂いています。 有難いことです。                      ・


 

如何ですか? 私はこの色・形の梨を見ると思い出すのですが、確かにこれは私が幼い頃に食べた梨によく似
ています。 私はその梨が好きではありませんでした。 酸っぱくて、水分が少なく、口の中がざらざらした
記憶があります。 それでいつまでも台所の隅に転がっていました。                 ・

それがいつの頃だったか、お隣の鳥取県から『二十世紀梨』が入るようになり、この種の梨はあっと言う間に
駆逐されました。 色白で、形がよく、ジューシーで甘い『二十世紀梨』、程なく果物王国岡山県でも梨とい
えば『二十世紀梨』をさすようになりました。                           ・

実をいえば、娘のお姑さんから初めてこの『豊田梨』を頂いたとき、一瞬幼い頃の悪しき記憶が蘇りました。
それがです。 食べてみて驚きました。 見た目とは大違い、これば実に甘い。 しかも口の端からジュワー
ッとこぼれるほどにジューシーなのです。 とても失礼なことを想像してしまいました。        ・

私はこの梨を1つ2つ冷蔵庫の奥に長く保存しています。 そして正月に取り出して食べます。 熟成したと
いう感じで、トロリとした舌触りになり、甘さにも年季が入ったような感じでてとても美味しいです。 この
ことを娘に話すと、「こういうものは美味しい内に食べにゃぁ。」と窘められます。 しかもお姑さんにも告
げ口をしたみたいで、お礼の電話をしたときチクリと揶揄されましたね。 いいんです。 私は私の流儀で楽
しませて頂くんですから。                                    ・












































8月24日



ピオーネ・マスカット

田舎の従姉妹から『ピオーネとマスカット』が届きました。 先日は桃、今日は葡萄と、故郷の名産の味を堪
能させてくれます。 すぐに仏壇に供えて『菩薩様』にも味わってもらいました。 『菩薩様』も同郷です。
『菩薩様』は食べることが大好きでしたので、きっと喜んでもらえたでしょう。            ・
 
 

夕食後にピオーネを数粒頂きました。 ジューシーで甘く、香りも上品でした。 あぁ、幸せ幸せ。 ピオー
ネは1953年に静岡県で産出されたそうですが、現在は岡山県が生産量第1位となっています。 更に交配
が進み、種無しの更に甘い品種が産出されています。                        ・

マスカットの品種は世界で広く栽培されているようですが、我が国で言うマスカットは『マスカット・オブ・
アレキサンドリア』で、この品種は主に岡山県で栽培されています。 甘さはそれほどではありませんが、と
ても上品な味で、艶やかな容姿、上品な薫り、傑出したサイズはまさに葡萄の女王というにふさわしい品種で
す。                                              ・

私はこの『果物王国』岡山県で生まれ育ちました。 桃、葡萄、柿、まさに美味しい果物をふんだんに食べて
成長しました。 先日も話しましたが、故郷を離れて半世紀、お蔭様で今もなお折々の田舎の果物の味を楽し
ませてもらっています。 従姉妹たちにはとても感謝しています。                  ・

































8月22日



報道しない自由

皆さんはこのYouTube動画をご覧になったでしょうか? この情報は産経新聞が小さく扱っただけで、
他のテレビや新聞などの大手メディアは全く報道していません。 なので私たちの目に止まる機会は極めて少
なかったのではないかと思います。 先ずは次の動画をご覧になってください。            ・

https://matomedane.jp/ponzu/page/82384


この動画はかの国の人民解放軍が作ったとも民間会社が作ったともいわれていますが、かの国の場合そういう
分け方は無意味です。 軍であれ民間であれ、CCPの許可なくこのようなものが作れるわけはありません。
従ってこれはCCPの本音と受け止めるべきでしょう。                       ・

それにしても、これは凄まじい恫喝ですね。 「もし日本が台湾に指一本でも触れると、とめどもなく核攻撃
をしかけ、2度目の無条件降伏をするまでこの攻撃をやめない。」と言っています。 そして「尖閣をとり、
沖縄を占領し、日本を4つに分割して中国とロシアで統治する。」とまで言っています。        ・

私は前述したとおり、かなりの部分これはCCPの本音だと受け止めています。 CCPにとって第一列島線
を確保するためには台湾侵攻は必須ですし、太平洋への出口として沖縄を占領することも戦略としては極めて
妥当です。 
その戦術の一環として、沖縄へのサイレント・インベージョンは既に着々と進められているやに
聞いています。 沖縄発のそういう動画もあります。                        ・

この動画を見て言う訳ではありませんが、わが国の防衛環境はたった四半世紀の間に大きく変わりました。・
獰猛な国々は隣りで夜な夜なナイフを研いでいます。 その軋む音は日に日に大きくなっています。 こうし
た現実を踏まえ、私は今こそ祖国防衛のために立ち上がるべきと考えます。              ・

憲法を改正し、祖国防衛のための交戦権を認めるだけで事態は大きく変化します。 わが国に憲法9条の縛り
がある限りかの国のやりたい放題・言いたい放題は止まりません。 手出しができないことを知って、かの国
は着実に歩を進めています。 もしわが国が憲法を改正し交戦権を保持すれば、かの国も迂闊には手出しでき
なくなるでしょう。 こういう恫喝の裏側にはおおにして一種の恐れが隠されているものです。     ・


かなり過激なことをいいますが、ことここに至ってはNATO諸国のように核をシェアし核抑止力を確かなも
のにすべきという意見を私は支持します。 私は理想論としての核廃絶の主張は否定しませんが、事ここに至
ってはそれもやむを得ない選択かと思います。 反戦平和の理想だけではわが国の存立は維持できません。・

「憲法9条様、憲法9条様」と崇め奉っていれば平和は向こうからやって来るでしょうか? 時代認識のなさ
にあきれはてますね。 私は中国人にわが物顔でわが領土を踏みにじられ、日本語を奪われ、文化を奪われ、
奴隷労働を強いられ、四六時中監視され、言論を封殺され、生きたまま臓器を抜き取られるような世界を想像
したくもありません。 またそういう日本を子孫に残したくもありません。              ・

政治家の皆さんも、もっとしっかりして下さい。 私たち主権者は、あなた方の名誉や栄達のためだけに、あ
なたに政治を託しているのではありませんよ。 覚悟をもってちゃんと働け!             ・

以上が祖国防衛に関する私のつたない意見です。 それとともに・・・これほど衝撃的な動画が世界を席巻し
ているというのに、我が国の左派メディアはこのことに全く触れようとしません。 おそらくその報道がかの
国にとって都合が悪いことなのでしょう。 彼らに言わせれば、これを『報道しない自由』と言うんでしょう
ね。 しかし、主義主張を越えて真実を報道しないのであればそれは全うなメディアとはいえないでしょう。

そんなメディアは『百害あって一利なし』、即刻退場して頂きたいものです。 それとともに、そうであるこ
とを熟知して私達自身が左派メディアに振り回されない、現実を踏まえた、確固たる信念を持つ国民一人一人
でなければならないと思います。 まずはSNSを大いに活用するところから始めましょう。。     ・

































8月20日



イベルメクチン

ご存知のように、『イベルメクチン』はノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学教授の大村博士が開発し
た『疥癬症』の特効薬ですが、武漢ウイルスにも効果があると報告されています。 エジプト・イラク・イン
ドなどでは『イベルメクチン』が武漢肺肺炎による致死率を劇的に下げたとインターネットでも紹介されてい
ます。 参考:(他にヒドロキシクロロキン=抗マラリア剤)                    ・

その効果をインターネットの情報を参考に列挙すると @患者の回復を早め軽症から中等症への悪化を防ぐ。
A入院患者の回復を早め、ICUへの入室を短縮させる。 B重傷者の死亡率を下げる。 C具体的な効果と
して、『イベルメクチン』が広く使用されている地域での武漢肺炎による死亡率が低い。 などです。 また
治療薬としてだけでなく、予防効果にも期待できると言われています。                ・

『イベルメクチン』は、今まで『疥癬症』の特効薬として使われてきており、その安全性は十分に証明されて
います。 従って基礎疾患をお持ちでmRNAワクチンを避けたい人にとっては『イベルメクチン』の処方は
朗報だろうと思います。 かく言う私も高血圧や心疾患を持っていますので、mRNAワクチンは出来るだけ
忌避したいと思っています。 (一方ではそういう人こそ早くmRNAワクチンを打つべきという意見もあり
ます)                                             ・

以上はインターネットなどから得た情報です。 私には医学的な知識がありませんから、不確かさはご容赦く
ださい。 また、そのお積りでご参照願えればと思います。 なお、以下は私が実際に医師、薬剤師から得た
情報です。                                           ・

先日、排尿障害軽減のための薬を処方して貰いに街中の薬局に行きました。 この薬局の店員とは顔なじみに
なっていますので遠慮なく尋ねてみました。 「どう? イベルメクチンを貰うことができる?」 彼は少し
迷ったように見えましたが、「処方箋があればお出しできます。」という返事でした。 つまり市販薬ではあ
りませんということです。 まぁ、あっさりと断られてしまいました。                ・

そこで定期健診で病院に行った際、Dr.にも訊ねてみました。 「イベルメクチンを予防薬、または家庭で
の早期治療薬として処方して頂くことは出来るでしょうか?」 Dr.は一瞬戸惑ったようでしたが、「そり
ゃぁ入院して治療するおりには使うだろうが、発症もしてないのに処方することは出来んと思うで。 電話を
しとくけん後で薬剤師に尋ねてごらん。」                             ・

診察が終わって薬局でそのことを訊ねてみました。 すでにDr.から電話で聞いていたみたいで、この薬剤
師さん顔を近づけてひそひそと話します。 「あなた、その情報をどこで知ったん?」 「インターネットな
どからですけど・・・」 「実は私もmRNAには疑問を持っていて、予防薬として『イベルメクチン』が処
方できるかどうか調べていたんですが、結論から言うとこの病院で予防薬として処方することはできません。
そもそも『イベルメクチン』はいま非常に入りにくい状態が続いています。 東京辺りで相当多量に使われて
いるみたいで、全国的に品薄なようなのです。」ということで、まぁ予想の範囲のお答えでした。    ・

そしてこの薬剤師さん、私が考えていることと同じことをおっしゃいました。 「やがて国産の不活化ワクチ
ンが開発されるでしょう。 それまでは絶対に感染しないように頑張ろうと思っています。」      ・

もし、この薬をいざという時のために処方して貰えたら随分安心なのですが(私は切望しています)、 残念
ながらそのようにはいかないようですね。 『イベルメクチン』の入手に関して、芳しい情報を提供すること
はできませんでした。 もしどなたかいい方法をご存知でしたら教えていただけませんか。       ・

なお、『不活化ワクチン』(ウイルスを無毒化して作るワクチン)の開発状況ですが、KMバイオロジックと
いう会社が開発していて、今年の3月から1・2相試験に入っているようです。 秋にはその結果が出るよう
ですが、3相試験がどのようになるのかは不明です。 緊急使用許可による治験が早期に実施できれば来年に
は実用化できるものと期待されています。                             ・
(1相臨床試験=少数の健康な人に、2相臨床試験=少数の患者に、3相臨床試験=多数の患者に)   ・





























8月18日



ギター・レッスンが終わりました

と言っても実質的なレッスンは5〜6分でした。 私が教室に到着した時にはまだ入り口には鍵がかかってい
ました。 少し遅れるのだろうと思って待っていましたが教授はなかなか現れません。 暫く待っていました
が、待ちくたびれてギターを取り出して車止めに座ってギターを弾きながら待つことにしました。    。

もちろん大きな音で弾いた訳ではありませんよ。 ここにギター教室があることはご近所はよくご存じのはず
ですが、中には不思議そうな顔で横目に眺めていく人もいましたね。 変わりもんだと思われたでしょうか。
35分ほど経過して、いくら何でもおかしいだろうと思って電話をしてみました。           ・

開口一番「すみません。 時間を間違えていました。」ということでした。 それで孫娘のレッスンが始まる
までの間にほんの短時間レッスンを受けることになりました。 もちろん後日補講をして頂けることにはなり
ましたけれども。                                        ・

取敢えず練習を始めたばかりの『PavanaW』を見て頂きました。 一応通ったといっても、まだまだシ
ドロモドロです。 教授曰く「テンポも譜読みもよくできています。」という評価でしたが、2〜3ケ所和音
を間違っているところがありました。 相当に注意深く譜読みをした積りだったのですが、うっかり見落とし
てしまいました。                                        ・

で、教授が言うには「これはもう十分に弾けますね。 なので『PavanaX』の楽譜を渡しますから合わ
せて練習してください。」 これでまた難行苦行が始まります。 でもこのところこの難行を楽しく思い始め
ている自分を発見しています。 それなりに進歩している面もあるのでしょう。            ・

すぐに孫娘のレッスンが始まりました。 今日の演奏は『ソル・エチュード Op.35−4とOp.31−
23でした。 何というか、我が孫ながら圧巻でしたね。 見ていると、厳しく指導しながら教授の目はだら
りと下がりっぱなしでした。                                   ・

それから、音大生とのデュエットが始まりました。 この音大生も人並みではないと感じましたね。 ともか
く息遣いがとてもうまい。 孫娘も相当に刺激を受けているものと思います。 曲目は『カリル・六つのノク
ターンOp.128−3』でした。 2人が掛け合いながら音楽を作っていく、まさに異次元の世界をみる面
もちでしたね。 孫娘のことになると私も大いに目じりが下がるのです。 これを世にいう『ジジバカ』とい
うのでしょうね。                                        ・


















































8月15日



ギター・猛練習中

このところ我が街に大雨による『警戒レベル5』(避難が困難な状況に立ち至り、自ら命を守る行動を起こす
べき事態)が発令されていました。 本当によく降りました。 この大雨を見ながら、ことによると我が街に
も甚大な被害が出るのではないかと心配していましたが、今日になって曇り空に変わり今のところ事なきを得
ているようです。                                        ・

しかしこの大雨続きで地盤は相当に緩んでいるでしょうし、これでもう一雨くると3年前のような大きな災害
(広島市及び周辺で300名を超える方がお亡くなりになった)に発展することも危惧されます。 従ってこ
こ数日は自らの命を守るためにも家に籠り、不要不急の外出は控えようと思っています。        ・

家に籠っていた数日間、私がやったことと言えば、何とか『PavanaW』を次のレッスンまでに通したい
という思いでの猛練習でした。 指使いの難しいところを集中的に練習しましたので、実は昨日今日と背中が
バリバリに張っていてかなり辛い思いをしています。                        ・

今夕になって、やっと、やっと一応通すことができました。 後は18日のレッスン日に向けて少しでもスム
ーズに演奏できるように押して頑張る所存です。 次回のレッスンは対面レッスンになりました。 教授のご
配慮で孫娘の練習に合わせていただけました。 これは楽しみです。 どんなに成長しているか(ギターばか
りでなく身長も)、それと音大ギター科の生徒とのアンサンブルも聴かせて頂くことになっています。  ・

大雨を心配してメールをくださった方もおられましたが、そんなことで私は大丈夫ですよ。 何れにしてもご
心配頂いた皆さん有難うございました。                              ・





















8月13日



『酔芙蓉』開花宣言

今年最初の一輪が咲きました。 青空がバックであれば美しさは一段と映えたのでしょうが、残念ながら『大
雨警報』のさ中でした。 去年より3日遅れの開花でしたね。 今年はしっかりと肥しをやって育てて来たの
で木も大きく育ちました。 笑い事ではなく『梯子をかけて花を見る』という状態になっています。   ・

朝、昼、夕と3枚の写真を撮りました。 もう皆さんよくご存じでしょうが、時とともに『白』から『ピンク
』に染まり、夕刻には『赤』く萎んで落ちていきます。 『菩薩様』はこの花の生涯を『女の一生』になぞら
えて慈しんでいました。 その花の色の変化を楽しんでください。                  ・

 
朝7時過ぎに撮りました。

 
12時頃にはもっと淡かったので2時頃に撮り直しました。

 
夕刻5時過ぎだったと思います。

気温が上がるほどに色の変化が早くなります。 そうですね、昨年は130輪くらい咲いたと思いますが、肥
しのおかげで今年は脇芽(枝)の成長が素晴らしいのでもう少し多く咲くのではないかと思っています。 ・

 






























8月12日


『黄昏亭を開店しました

このところ『武漢肺炎』のこともあって友達との行き来がままならなくなっています。 『去る者日々に疎し
』、たとえば釣りの友達だった『若い友人』とはかれこれ3年近くも行き来がありませんし、『茅渟夢想氏』
とも交流が途絶えています。 『武漢肺炎』は私たちの人間関係にも大きな影を及ぼしました。     ・

お訪ねするのはもちろん、お誘いするにもなかなか気兼ねな面があります。 こうして次第に人間関係が希薄
になりそして修復が困難になる、こんな経験をされている方も決して少なくないと思います。 『武漢肺炎』
は私たちの生活の隅々にまで取り返しのつかない影響をもたらしています。              ・

そうではあっても、ささやかながら今も数人の友達とは交流を保っています。 『39堂主人』もそのお一人
です。 「そうめんと天婦羅でお昼はどうだろうか。」とお誘いしたところ、すぐに「お誘いありがとう。」
と返信があって、今日久しぶりに『黄昏亭』を開店しました。                    ・

料理は前述した通り『そうめん』と『天婦羅』でした。 別に変った料理ではありませんが、今回は海老や野
菜とともに『小鰯』を揚げてみました。 広島湾産『小鰯』は今が旬です。 『39堂主人』からは「なかな
か腕を上げたな。」とお褒めがありました。 ではありますが一般的な料理ですから写真は載せません。 ・

今日も話題は多岐に渡りました。 彼からは例によって仏教の話がありました。 その話題のために彼は現代
語訳の『正法眼蔵』を持参されていました。 それも相当な年季物で、彼が30台の半ばに買って勉強したも
のなのだそうです。 ページの随所にラインが引いてあって、ブックオフにも引き取って貰えそうにないほど
に読み込んでおられました。
                                   ・

 

私が先日『黄檗山萬福寺』を訊ねたことをお話ししたところ、彼からは『臨済宗』の歴史、そしてそれから派
生した『黄檗宗』の歴史について興味深い話を頂きました。 『達磨大師』から6代後の『慧能』が開いた『
中国南宗』から『臨済宗』はスタートしたのだと例の『正法眼蔵』のページを示しながら話してくれました。
ことほど左様に彼の含蓄は深いのです。 それこそが、私と彼の価値ある交流の礎になってます。    ・

そして私からは先日自由民主党に入党したことをお話しし、勢い『男系男子』の皇統の話に至りました。 初
めに東大憲法学重鎮の奥平理論を引用しました。 『女系天皇容認は天皇制そのものの正当性の根拠であると
ころの”万世一系”イデオロギーを内において浸食する因子を含んでいる。 男系男子により皇胤が乱れなく
続いてきたそのことに覆うべからざる亀裂が入ることになる。』 これが共産党を中心とする現今の『女系天
皇容認論』の礎になっています。 そしてその狙いは天皇を中心とした我国社会のバックボーンの破壊に他な
りません。 少し脇にそれますが、夫婦別姓議論もその流れの中にあると思います。          ・

そして論客有本香氏の天皇論からも引用しました。 これは『ウイグル』からアメリカに亡命している女性の
『あなたにとって天皇とはどういう存在か?』という問いに答えたものだそうです。 有本女史応えて曰く『
例えば日本が仮に中国から侵略されたとしましょう。 東京も含めて多くの都市が制圧されて、小さな島一つ
しか残らなかったとします。 そして生き残った日本人が逃げることを余儀なくされたとします。 でもその
小さな島一つ、そこに天皇がいらしたなら、日本人はそこから立ち上がって反撃し、中国を撃退して、何十年
かかっても再び世界一の国を作ることができると思います。 天皇とはそういうご存在です。』     ・

私はこれを読んで、天皇というご存在を認めながら、どうしてももやもやしていた疑問、つまり『何故私達に
とって天皇の存在が必須なのか?』という極めて根本的な(初歩的でもあり)疑問が氷解し、それとともに新
鮮な感動を覚えたことをお話ししました。 そのご存在は日本という国の支柱なんだということです。  ・

『草莽崛起』と彼はいいます。 彼の部屋にはこれを大書してあるのだそうです。 彼のその真意を測り知る
ことは出来ませんが、私としては今が『草莽崛起』のとき、1本のか弱々しい雑草であったとしても、今こそ
立ち上がり何かを成す時ではないのかと、そんなことを話しながら今回も時間切れとなってしまいました。・
このような小難しい話を受け止めて頂ける人は極めて稀です。 彼との交流にはとても感謝しています。 ・

 

この写真は彼が『39堂農園』で収穫した『プリンスメロン』『タイガーメロン』『マウワウリ』です。 1
口大にカットし、しかもしっかりと冷やしてありました。 これを食べながらおしゃべりをしようということ
だったらしいのですが、余りに話題にのめり込み、ついぞ頂く機会を失ってしまいました。 後で頂きます。
有難うございました。                                      ・










































8月11日


戻り梅雨


梅雨明けから暑い日々が続いていましたが、急展開、このところ一見凌ぎやすい(でも私にとっては厳しい)
涼しい日が続いています。 それとともに激しい雨もありました。 わが市でも一度ならず『避難所』が開設
されました。 窓外の景色は一変し、島々は重く霞んでいます。                   ・

合わせて私の体調も沈み切っています。 朝起きるのが辛い。 脚は痺れ、だるくて歩くのが辛い。 頭は全
く回らず、英会話中にも単語が出てこない。 ギターの練習にも集中できない。 しかし食欲だけは全く落ち
ない。                                             ・

こんな症状をどこかで聞きませんでしたか。 そうです、『梅雨の病』。 私の身体は『戻り梅雨』だと訴え
ています。 天気図を見ても『梅雨前線』さながらに前線が九州から関東南部にかけて長く停滞しています。
こんな天気図を見るとうんざりします。 私の願いは一つ、暑くても構わない。 只々早く普通の夏に戻って
欲しい。 それだけです。                                    ・





























8月 7日



京都行(5)


さて、私の『京都行』もこの回が最後になります。 『一乗寺下がり松』といえば、少なくとも私の年代の方
ならよくご存知でしょう。 吉川英治の大衆文学『宮本武蔵』をお読みになった方も多いかと思います。 小
説『宮本武蔵』はもちろん吉川英治の創作ですが、『一乗寺下がり松』を始めとした武蔵と吉岡一門の決闘は
ある程度の史実に基づいていると思われます。                           ・

武蔵は京都所司代の屋敷で吉岡清十郎(京都吉岡道場当主)と立ち合い、この時は武蔵の大出血により両者引
き分けとなりました。 その数年後、両者は洛北の『蓮台寺野』で再び相見え、ついに武蔵が勝利をおさめま
す。 その遺恨により清十郎の弟伝七郎が三十三間堂で武蔵と闘いますが、力量の差は否めず、返り討ちに合
ってしまいます。                                        ・

吉岡一門は吉岡道場の名誉と威信ををかけて、清十郎の甥源次郎(12歳)を名目人に立てて、ここ『一乗寺
下がり松』で武蔵と最後の決闘に及びます。 この時、吉岡一門の人数は数十名に及んだと言われています・

その早朝、武蔵は通りがかった『八大神社』に立ち寄り、『一勝させたまえ。 今日こそは武蔵が一生の大事
。」と祈ろうとしました。 しかし掴みかけた鰐口の綱から手を離し、『我れ神仏を尊んで、神仏を頼まず。
』、つまり『頼むは我が身一つ』(これは私の勝手な解釈です。)と悟りをひらいて一気に決闘の場所に駈け
降りていきました。 (八大神社の社伝によります)                        ・


 

『八大神社』から『決闘の場所』まではほんの僅か、駆け下った武蔵は敵陣の背後から源次郎に迫り、これを
屠ります。 幼子と言えども、敵の総大将を倒してのみ勝利はわが物となります。 哀れですが、古今を問わ
ずこれが勝負の掟でしょう。 そして生き延びてこその勝利です。 武蔵は敵陣を突破して南に逃れ、東寺の
塔頭『観智院』に暫く身を隠します。 また、他の資料によれば比叡山に逃れたともいわれています。  ・

『八大神社』は祇園の『八坂神社』ともども京の守護神です。 急な坂を登り、石段を進むと奥に『八大神社
』の社殿があります。 社殿に向かって左には今も『一乗寺下がり松』の古木の一部が保存されています。・

 

『一乗寺下がり松』決闘の場所は『八大神社』から4〜500m下った辺りの三差路の角にありました。 今
は民家に囲まれていますが、往時は田畑の土手に一本松があったのでしょう。 小さな角地に石碑があり、『
吉岡 宮本 決闘の地』と刻んでありました。 入り口に京都市の立札がありましたが、風雨に晒されていて
読み下すことはできませんでした。 ただ、石碑の銘は呉市在住の剣道師範『堀正平』によるとありました。


 

こうして歴史を紐解きながらゆかりの地を訪ねて歩くというのもなかなか楽しいものです。 次回の診察日は
10月の下旬です。 出来ることなら今回と同じように京都に1泊して歴史を探訪してみようと『バスのルー
ト図』を繰り返し眺めています。 バスの『1日乗車券』は600円です。 これは便利。       ・



































8月 4日



京都行(4)

今日はギターのレッスン日でした。 まず最初に『PavanaT〜V』を連続して演奏し、そこそこの評価
を頂いた後で教授が申すには、「武漢肺炎が広がりを見せているため、演奏会場が封鎖されてしまいました。
残念ながら今回のコンサートは延期せざるを得ません。 今のところ予約可能な日取りは12月28日です。
年末のしかもウィークデーですが、この日に決めさせて頂きます。」                 ・

コンサートに向けて徐々に緊張をたかめ練習にも熱が籠ってきていたのに、何だか急に気が抜けた感じがしま
した。 『武漢肺炎』の野郎、どこまで私たちの人生を狂わすのか。 ところがです。 その埋め合わせの積
りなのでしょうか、練習終了後に新しい楽譜を渡されました。 『PavanaW』 そして新たなオーダー
がありました。 「次回コンサートでは『PavanaT〜Y』を全て演奏すること。」 そうきたか! ・

さて、今回のご紹介は洛北の『詩仙堂』です。 「どこか落ち着いた京都らしい雰囲気の場所はありませんか
?」と大谷本廟で案内係をしていた若い僧に訊ねてみました。 「それなら、『詩仙堂』に行ってみなさい。
私も時々行きますが、静かで、庭が綺麗で落ち着いた雰囲気のいいところですよ。」          ・

五条坂から『詩仙堂』のある『一乘寺下がり松』に直接向かうバスの便はありません。 東山三条で乗り換え
て、銀閣寺前を経由しました。 京都駅からだと5番のバス、国際会議場行が便利だと思います。 京都駅か
らは40〜50分はかかると思いますので時間と相談しながら訪れてみてください。          ・

『一乗寺下がり松町』のバス停で降りて、広い通りを東山山麓に向けて登ってくと突き当りが京の守り神の1
つ『八大神社』、その入り口に『詩仙堂』があります。 正式な名称は『詩仙堂丈山寺』です。 寺とは言う
ものの、寺の雰囲気は全くありません。 枝折度を潜るとそこにあるのは侘びた『庵』でした。     ・

まことに小さな『庵』です。 石川丈山は徳川家の譜代であり、16歳で徳川家康に仕え、大阪夏の陣で勲功
を成した後徳川家を去り、京都で文人として朱子学を学びました。 その後老母に孝養を尽くすため広島浅野
家に十数年仕え、母の死に伴って浅野家を去り暫く京都相国寺に起居しました。 そして丈山54歳のときこ
の『詩仙堂』を造営し没するまでの三十余年を清貧のなか聖賢の教えを説き、隷書、漢詩に親しみながら余生
を楽しんだと言われています。 (詩仙堂解説書)                         ・


 

『詩仙堂』の一間は『詩仙の間』です。 間の四方の壁には中国の詩仙36人の肖像が描かれ(狩野探幽)、
それに丈山の詩が添えられています。 圧巻は『十方明峰閣からの庭の景色でした。 鬱蒼とした森を借景に
した小さな庭ですが、この間に座って庭を眺めていると、なるほど、あの若い僧のいう通りなかなか去りがた
い雰囲気に襲われます。 滝と筧の音が静けさを一層引き立てていました。              ・


 

かつては『ダイアナ妃と当時の夫君』、それに『秋篠宮皇嗣殿下』も訪れられたそうで、その折の写真が掲げ
られていました。 寺の雰囲気は全くありませんが、れっきとした曹洞宗大本山永平寺の末寺でもあるそうで
す。                                              ・

















































8月 3日



京都行(3)

明日4日はギターのレッスン日です。 進捗は思惑より少し遅れ気味ですが、それでも結構頑張っています。
その練習時間の合間をぬって少しづつ書いていきますので少し時間がかかります。 ご容赦ください。 今回
のご紹介は『六道珍皇寺』(ろくどうちんのうじ)です。                      ・

29日は京都駅前に1泊しました。 そして30日早朝に『大谷本廟』に向かいました。 私に言わせれば、
京都は以前の落ち着いた古都の風情に戻っています。 車内で押し合うこともなく、静かにゆったりと移動で
きました。 もう2度とあの気違いじみた喧騒に戻って欲しくないものです。             ・

『大谷本廟』は清水寺参拝道のまさに登り口にあります。 親鸞聖人をお祭りしている寺であり、また浄土真
宗門徒が葬られるお寺ですから観光客はまずいません。 静かな佇まいです。 この敷地の第一無量寿堂に『
菩薩様』は分骨されています。 地下6階建ての納骨堂には膨大な数の仏壇が整然と並べられています。 個
人の仏壇もあれば末寺単位の仏壇もあります。 私は菩提寺の仏壇の前に立って『菩薩様』に無沙汰を詫び、
『讃仏偈』を読誦しました。                                   ・

さて、『六道珍皇寺』ですが、『大谷本廟』からは指呼の距離にあります。 五条坂交差点から左にそれて祇
園方面に小道を5分ほどで『珍皇寺』に至ります。 平安時代には今でいう『墓』はなく、一般の民衆は死後
東山、清水寺の南側一帯に風葬されていました。 そして『珍皇寺』の辺りがこの世と『冥界』の境(野辺送
りの場所)となっていました。                                  ・


 

つまり、ここは『六道』(天道、人道、餓鬼道、畜生道、修羅道、地獄道)の入り口に当たります。 『六道
珍皇寺』の寺名はこの言い伝えに由来しています。 お盆には京都の人々にとっては切っても切れない大切な
行事『六道まいり』があります。 人々はお盆に『六道珍皇寺』にお参りし、ご先祖の霊をお迎えします。・

この寺には不思議な言い伝えがあります。 平安初期の高級官僚に『小野篁』(おののたかむら)(802〜
852)という方がおられました。 文武両道に優れ、とくに詩人・歌人として有名な人物ですが、このお方
はまたこの世と冥界を自由に行き来できる超能力を持ったお方でもありました。 彼は昼間は平安京の役所で
働き、夜になるとこの寺にある『冥土通い』の井戸を通って『冥界』に赴き、『閻魔大王』の補佐をしていた
といい伝えられています。 下の写真が『冥土通い』の井戸です。                  ・

 

近年旧寺領から新たな井戸が発見されました。 伝説により調査を続けていたところ、隣家の敷地(旧寺領)
から発見されました。 小野篁はこの井戸を通って冥界からこの世に戻ったと言い伝えられています。 それ
でこの井戸は『黄泉返りの井戸』と呼ばれています。 『冥土通い』の井戸の右側、木立の中の枝折戸の奥に
あります。
                                           ・

『六道珍皇寺』は、かつては広大な寺領をもつ真言宗のお寺でしたが、戦国時代に荒廃し、後に建仁寺がこの
寺を再興しました。 今では『臨済宗』の末寺になっています。 著名な寺院のような伽藍がある訳ではあり
ませんが、『六道まいり』や『小野篁』の伝説などなかなか興味を引くお寺ではありました。      ・





































8月 1日



京都行(2)

私が通院している病院は京都府宇治市五ケ庄にあります. 『五ケ庄』というとどこ? という声も聞こえます
が、『黄檗』というと『あゝ』と思い当たる方もおられると思います。 病院の最寄り駅は『黄檗』です。 
『黄檗駅』は京都駅から奈良線に乗り換えて7番目、所要時間にすると20分余りの所にあります。 余談に
なりますが、京都から2番目の駅は『稲荷』で伏見稲荷は駅の真ん前にあります。           ・

『黄檗』の名は私の当て推量ですが、黄檗宗『萬福寺』の山号『黄檗山』に由来していると思われます。『万
福寺』は『黄檗駅』から徒歩数分の山麓にありますので、機会があれば是非お訊ねになって禅寺の雰囲気を味
わってみてください。 一見の価値があります。                          ・

『黄檗宗』は曹洞宗、臨済宗と並んで我が国の三大禅宗の一つです。 もと中国臨済宗の一分派『黄檗山萬福
寺』の僧『隠元禅師』が我国からの度重なる招聘を受けて1654年に来日し、宇治の地に創建したと伝えら
れており、山門の屋根の形に見るように中国様式を色濃く残しています。 仏像も色黒で顔だちからインド・
チベット僧を想起させます。                                   ・


 

 

『黄檗宗総本山』『萬福寺』はもちろん修行道場ですから、一般に私たちが訪れる『お寺』とは随分雰囲気が
違います。 寺内を拝観しているとたまに修行僧に出会いますが、一挙手一投足が修行ですから顔つきさえ一
般人とは異なって見えます。 目が済んでいて、近寄りがたい雰囲気があります。           ・

修行僧はこの堂内を生活の基盤としていて、起居、食事、座禅、全てをこの畳一畳の上で過ごします。 そっ
と覗いてみました。                                       ・

 

見どころの一つはこの巨大な『開梛』(かいばん)です。 叢林での日常の行事や儀式の刻限を知らせる法器
ですが、これが途轍もなく大きい。 他では類を見ないと思います。 数tくらいはありそうです。 その他
には1分間写経というのもありました。 それに事前予約しておけば『普茶料理』(中国風精進料理)を召し
上がることもできます。                                     ・
 
 

隠元禅師はその他に、隠元豆、西瓜、蓮根、孟宗竹、木魚などを招来したと伝えられていますが、今回は事前
の学習もなく思い付きで訪れましたので、この程度の情報で十分な解説はできません。 機会がおありだった
ら是非ご自分の目で確かめてください。                              ・




























































7月29日


京都行(1)

京都に行ってきました。 以前触れたことがありますが、私の前立腺癌の主治医は滋賀医科大学を追われて、
いま、宇治の病院に移っています。 やっと準備が整って来月から『小線源治療』を始める段取りになったよ
うで、今まで待機していた患者さん達にとっては誠に朗報、安堵の胸を撫で下ろしていることでしょう。 ・

私の場合は術後の経過観察で、血液検査でPSAを調べ、CTで前立腺の状態を調べるだけです。 今回はP
SAの値が少し上がりました。 といっても誠に『微』で、前回0.136が0.146(限界値は4)にな
っただけで、まぁ誤差の範囲、すぐに下がるので『心配ご無用』ということでした。          ・

今回は1泊し家内のお墓(大谷本廟に分骨しています)にお参りしました。 お盆も近いことですしね。 申
し訳ないことですが、今まで何度も京都に行っていたのにお墓参りをしていませんでした。 日帰り旅行では
診察とお墓参りは時間的に厳しいし、わざわざ武漢肺炎のさ中に人中に身を置きたくもありませんでした。・

1泊すると時間的にゆとりができます。 そこで今回は前々から気になっていた病院の隣りにある『黄檗山萬
福寺』を訪れました。 『黄檗宗総本山』ですね。 それから京都駅前に1泊して翌日早朝に『大谷本廟』に
お参りし、それから『六道珍皇寺』、一乗寺下がり松の『詩仙堂』と『宮本武蔵、吉岡一門の決闘の地』を訪
れました。                                           ・

まぁ、マイナーな観光地ばかりですが、それぞれに興味深いものがありました。 次回以降それらについて順
次触れていこうと思います。 従って今回はイントロのみということにさせて頂きます。        ・


































7月26日


               
岡山と言えば『白桃』です

故郷の従姉妹から今年も『白桃』が届きました。 故郷を離れてもう半世紀になりますが、広島にいて毎年
故郷の味覚を楽しませて頂けるのは稀有なことであり、本当に嬉しいことです。 ありがとうね。 合わせ
て毎年『筍』や『プラム』、『柿』や特産の『そうめん』を送ってくれる妹や別の従姉妹にも感謝します。

 

皆さんよくご存知かと思いますが、私の故郷、岡山県は知られた桃の産地です。 特に『白桃』は秀逸で味
はもちろん、その名の通り色白な肌合いと品のよい香りでとても人気があります。 この時期には、県から
委嘱された『桃娘』が笑顔とともに岡山名産『白桃』の宣伝・販促活動に活躍しています。      ・

桃に関しては幼い時代の様々な思い出があるのですが、その話は止しにして、桃に関する受け売りを披露し
たいと思います。                                       ・

先ずは保存方法・・・常温保存が原則です。 冷蔵庫で保存する人も多いと思いますが、乾燥によってみず
みずしさが失われるだけでなく、香りも失われますし、他の食材の匂いが移ったリします。 できるだけ涼
しく直射日光が当たらないところで保存しましょう。                       ・

扱い方・・・特に『白桃』は痛みやすい品種です。 指でちょっと強く触ったリすると、その部分が茶色に
変色し、しかも苦みが出ます。 私は『白桃』を見ると赤ん坊のお尻を連想してしまうのですが、扱いは赤
ん坊と同じく優しく、優しくが大切です。                            ・

食べごろ・・・爪先で皮を剥くことができるほどに熟した頃がベストです。 この感覚は桃の方が教えてく
れます。 香りが強くなり、肌合いに透明感が加わったころが食べごろです。 歯を当てなくても口の中で
とろける感覚を楽しんで下さい。                                ・

冷やすタイミング・・・食べる前に30分〜1時間冷やしてください。 冷やし過ぎると風味を失います。
これは田舎の叔母に教わりました。 食べる前に15分くらい氷水に浸すという手もあります。 そういえ
ば冷蔵庫もなかった子供の頃、深い井戸にスイカやトマトと一緒に桃が浮かんでたのを思い出しました。・

皮の剥き方・・・私は基本的に爪先で剥けるようになるまで待つ流儀です。 包丁で剥くと一番おいしい部
分を捨ててしまうことになります。 トマトの皮むきと同じように湯通しする方法もあるようですが、そこ
までしますかねぇ。 野趣あふれる農家さんの食べ方は皮ごとだそうです。 少し硬めのものですかね。 

まぁ、こんなところです。 よろしかったら参考にしてください。                 ・
















































7月24日



話題も夏枯れですね

オリンピックが始まりました。 you−tubeのライブで開会式の様子をちょっこと見ましたが、それで
も感動的な場面が沢山ありました。 しかし、残念だったのはやはり観客席に観衆が全くいなかったことでし
た。 もし観客席が多くの観衆で埋め尽くされていたら、そしてこの感動を多くの人ゝが共有できたら、この
祭典はもっと素晴らしいものになったでしょう。                          ・

国民こぞって楽しみ感動するスポーツの祭典が、一部の左派思想集団、政治家、メディアによってぶち壊しに
されてしまいました。 日本を貶めたい集団の行動は陰湿かつ執拗でした。 しかし考えてみればこれは我々
一般国民の罪でもあるのです。 テレビがこういうから、新聞にこう書いてあるからと安易にそういうプロパ
ガンダに流されてしまった私たちの責任でもあるのです。                      ・

そろそろ日本を貶めたい左派集団のプロパガンダに気付きまましょう。 そして何より大切なことは私たちが
気付き、私たちの手で政治を変えていくことです。 民意のサポートがなければ政治は変われません。 私達
が変われば政治も変わります。 難しいことではありません。 例えば新聞の論調にちょっとだけ疑問の目を
向ければ・・・それが大きな力として広がります。                         ・

この度私は『自由民主党』に入党しました。 はっきり言って『自由民主党』もそんなに褒められたものでは
ありません。 伝え聞くところでは、金と女でからめ取られ、日本の国益をないがしろにする親中派・親韓派
議員が沢山いるようです。 国会で『ウイグル人権問題・非難決議』ができなかったのもそういう議員の理不
尽な圧力によるもののようでした。                                ・

しかし私は『自由民主党』内部にできた、従来の派閥に囚われない新しい議員集団『日本の尊厳と国益を護る
会』に期待し、この人達を応援するために『自由民主党』に入党しました。 もとより私一人の力なんぞたか
が知れたものです。 しかし何としてもこの人達に誇れる日本を取り戻してほしいという思いから微力ながら
応援することにしたのでした。                                  ・

孫のおねだり

ジイジ、バーバにとって、一面ぎょっとするところもありますが、孫のおねだりはまぁ嬉しいものです。 そ
して完璧に読まれていることを知りながらついついその戦略に乗せられてしまうのです。 この孫(ギター弾
きの)の手口は実に巧妙です。                                  ・

この子の欲しいものは『学習タイマー』でした。 まず「ジイジ元気? 夏休みに入ったけれど、私はこのと
ころずっと熟の自習室に籠って勉強をしているよ。」と切り出します。 もちろん孫の成績が上がればジイジ
もバーバも大喜びですよね。 そして、それならばと大いに応援してやりたい気にさせられてしいます。 ・

ここまで布石を打っておいて、やおら本論に入ります。 「学習タイマーを使って時間内に回答できるよう訓
練しておきたいと思っている。 テストでは時間配分がとても大切なんだ。 ついては『学習タイマー』を買
って貰えるだろうか?」ときます。 もちろん買って貰えるという確信に溢れているのですが、それでも「も
し買って貰えるならタイマーの画像を送ります。」と出口を押さえにかかります。           ・

ジイジはいつもこの手でころりとやられてしまいます。 他にも様々な手口があります。 「ちょっとなぁ。
」などと抵抗を示すと、キッ!と睨んでみせて可愛さを演出したりします。 大甘なジイジはこうしていつも
簡単に乗せられてしまうのです。 しかして今朝、早速アマゾンに注文したという、まぁどこにでもあるよう
なお話しでした。                                        ・







































7月20日


ギター猛練習中

次回レッスンまでに、『間違いなく・淀みなく』を達成するのが当面の目標です。 従って特に指使いの難し
いところ=しばしばトチるところ(沢山あります)を集中的に繰り返しています。 かなり疲れました。 腕
から肩にきます。 更に腰、それでも頑張らなっくっちゃ。 次回レッスンの後は音楽を作っていく段階に入
りたいと考えています。 先ずは前段、それから後段ですね。                    ・


その音楽の作り方ですが、ちょっとした『タメ』などで音楽はかなり変わってきます。 また弦のはじき方に
よっても音色は大きく変わります。 先ずは今を頑張り、次回レッスン以降には何としてもその段階に入りた
いと思っています。 下手は下手なりにですが。                          ・

『報われない努力は、努力とは言わない。』(王貞治さん)                     ・

暑くなりました。

梅雨が明けた途端に真夏日に突入しました。 今日は特に暑かったですね。 今日が歯科の診療日でしたので
自宅からJRの駅まで歩きました。 片道が2.5kmくらいですかね。 暑さでつい前かがみになりそうな
身体を起こしながら出来るだけ『かくしゃく』にと鞭打ちながら歩きましたね。            ・

私の身体の言うところによれば、16日(気象庁は13日だとおっしゃるのですが)が梅雨明けでした。 こ
の日を境に一気に体調が変わりましたもんね。 一体あの痺れやだるさ、いうところの『梅雨の病』はどこに
行ったんだろうという感じでした。 こうなると歩く気力も沸いてきます。 この程度の暑さなんて、『梅雨
の病』の厳しさに比べれば(高橋洋一さんの言葉を借りると)屁みたいなものです。          ・

たちまちは『喰っちゃ寝る』しかなかった梅雨の間にしっかりと溜めこんだ脂肪を何とか放出しなければいけ
ません。 少し暖かくなり始めたころから精力的に歩いて、ようやく締まってきていたお腹周りが相当に緩ん
でいますからね。 こんなことでは若い娘さんに見向きもされないでしょう。 (されるはずはないのですが
歳をとってもお色気の気分だけは失いたくないものですよね。)                   ・

歯科の話ですが、『ブリッジ』を取り外した後の奥歯を引き続きメンテナンスしています。 この調子だと、
ひょっとするともう一度被せることになるかも知れません。 そうなれば嬉しいのですが、残念ながらもう息
子の手によるブリッジということにはならないのです。 次回診療は『原爆記念日』。         ・

Dr.のこと

明日はバングラディッシュのDr.が離日されます。 熊本から成田、ニューヨーク、そしてノースカロライ
ナに向かう長旅ですね。 待っているのは湖畔の風光明媚な1軒屋だそうで、湖まで徒歩2分、職場の『LA
B』までは車で20分ということでした。 なかなかのロケーションですね。 ノースカロライナはニューヨ
ークとフロリダの丁度真ん中に当たりますから気候もマイルドなのだそうです。 これからリッチな生活を楽
しまれるのでしょう。                                      ・

ただ、心配なのは研究者にありがちな、どこかポイントがずれた点です。 アメリカに送る国際小荷物の申告
書も熊本の郵便局との内容物に関するやり取りも、荷物の回収依頼も全部私任せでしたから。 「この人、大
丈夫なのかなぁ。」と思わずにはいられませんが、またそこが可愛い所でもあります。 何はともあれ、早く
アメリカ社会に順応し、いい研究成果をあげて欲しいものだと思います。               ・






































7月16日


明け始めた

時に不満もぶちまけてみるもんですね。 昨日『早く明けんかなぁ。」なんて梅雨空に不満をぶつけて見たの
ですが、どうやら明け始めたようです。 さっき『酔芙蓉』に水をやっている最中にふと脚の痺れ、だるさが
軽くなったのを感じました。 まだ空は梅雨空のままですが、おそらくこのまま梅雨明けに向かうものと思わ
れます。 私の身体がそう言っています。                             ・
































7月15日


まだかなぁ

昨日、今日と雷鳴が轟き、近くに落雷があったりしています。 こういう状況で一般的には梅雨が明けるので
すが、私の身体はまだ反応しません。 たまに青空が広がって白い積乱雲が見えたりしているのですが、空模
様は総じてまだどんよりしています。                               ・

昨日、ギターのレッスン中にやはり雷鳴があって、何だか一瞬活力が湧いたように思ったのですが、脚のだる
さは続いていて、梅雨明けはまだまだ遠いようです。 5月の中頃に梅雨入りしてもう2か月になります。 
この間ずっと重い身体を曳づっていて、これがまだ続くとなると全くうんざりします。 早く明けんかなぁ。

 

『酔芙蓉』が私の背丈くらいまで成長しました。 花芽はまだ付いていないようです。 去年の咲き始めは8
月10日でしたので、あと1か月足らずの内には清楚な花を楽しませてくれるでしょう。        ・













































     


7月14日


レッスンが終わりました


今日は事前の会話もなく、いきなり『PavanaT〜V』の演奏を求められました。 すでに演奏会モード
に入っています。 私もその積りでこのところこの3曲を連続して演奏するように練習を重ねてきました。・
『pavanaV』は”一応通る”という段階ですが他の2曲はかなり曲になって(感情移入など)きたと思
って(やゝ自画自賛?)います。                                 ・

そうはいっても数々の指摘はありました。 テンポを揃えること、1つのフレーズは淀まず滑らかに演奏する
こと、スラーの部分は音を切らないこと(左手は続けている積りで、右手(指)で音を切っていたりします)
これは当たり前ですが、和音を間違えないこと(しかしこれがなかなか難しい)などなどです。     ・

これらの指摘を修正しながら、次回レッスンまでに『PavanaV』を完成させるというのが当面の目標に
なります。 発表会は8月21日です。 従って2週間後の次回レッスンまでにメドが立たないようであれば
演奏会は相当に厳しいことになるでしょう。 こうなると時が経つのはとても速いですね。       ・

8月4日が次々回レッスン、18日が最後のレッスン(対面)ですが、まぁ次々回レッスンの段階でまだ不安
を抱えているようでは発表会は間違いなく失敗に終わるでしょう。 最後の対面レッスンはおそらく人前での
慣れ、また微調整になるでしょう。 またそうでなければいけません。                ・

と、こんな具合で下手は下手なりに思いっきり悩みながらやっています。 しかし私にとってはこの緊張を高
める期間はとても大切なのです。 歳と共に物事に感動したり緊張したりという機会は少なくなってきます。
従って、年に2回の発表会に向けて緊張を高めていくというこうした精神作業は私の『終楽章』の大きく大切
なイベントなのです。                                      ・