3月 2日


ちょっと困ったことに

ちょっと困ったことが起きています。 29日にエジンバラからお越しになった若者を広島市内にご案内しました。 その終
盤に左足に例の痛みが出てしまいました。 実は27日に広島城の下調べに出掛けてかなり歩いたのですが、その時にも違和
感があって、でもそれほど気には留めていなかったのですが、ここにきて一気に噴き出したようです。         ・

それで昨日、今日と完全休養にしました。 靴も全く履いていません。 左足の中指から甲にかけてまだ鈍い痛みが残ってい
ます。 登山靴で足先が詰んだことが発端でしょうが、このところ激しく動き回ったことの反動でもあるようです。 腰から
太腿、ふくらはぎにかけてもかなり張りがあります。                               ・


『黄昏亭』開店予定

今月は中盤に『Mr.Texan』と近くの山に登り、下ってから我が家でパーティーをする予定でしたが、そういう事情で
暫く身体を休めることにしました。 少なくとも登山は控えようと思っています。 彼にはメールでそのように事情を説明し
ましたが合わせて『黄昏亭』へのご案内もしておきました。 筆不精なお方ですが、その内何とか言ってくるでしょう。 ・

また15日には『若い友人』をご案内しています。 もし奥様とご一緒だったら、私たちの友情の仲立ちになった『チヌ』を
食材に様々な料理にトライしてみようと思っていましたが、どうやらお一人でお見えになるようです。 その場合の一応の心
積もりもしてあります。 まぁそこは言わぬが花ということで。                          ・





































2月29日



ボランティア・ガイド

2月29日、今年最初のボランティアガイドが終わりました。 この時期に日本を訪れる方は、まださほど多くはありません
が、3月中盤を過ぎたころから一気にガイドの依頼が舞い込むようになります。 その頃のお目当ては何といっても『桜』で
しょう。 今回のお客様も淡い期待を寄せていたようですが、まだまだ蕾は硬いままです。 次回のお客様は3月19日にオ
ーストラリアからお見えになりますが、それでも咲き始めをお見せできるかどうか。                 ・

今回のお客様はスコットランドの首都『エジンバラ』からおいでになった2人連れの若者でした。 私からみれば確かに若者
ですが、そうですね、30歳代後半か40歳代前半というところでしょうか。 それにしてもこの年代の方がガイドを依頼し
てくるのはとても珍しいことだと思います。 大抵はガイドブックを片手に気ままに歩き回っておられますから。    ・

詳しく聞いた訳ではありませんが、お一人はpsychologyとコンピューターに関わる仕事であちこちを飛び回ってお
られるそうで、日本にもしばしばお見えになるようです。 今回の旅の間にも「友達を喫茶店に行かせておいて、千葉で2日
間仕事をし、それからオーストラリアに立ち寄って帰国する」と言っていました。 髭面で太っちょで、出っ張った腹を撫で
ながら「相撲、相撲」と茶目っ気たっぷりな一方で、ちょっと学者肌を思わせる一面もありました。          ・

パートナーはwebのデザイナーだそうです。 日本の仕事にも関わっていると言っていました。 自転車が趣味で『マウン
テンバイク』や『ロードバイク』などを数台持って楽しんでいるのだと話して下さいました。 気さくでのん気そうなな若者
でした。 その彼がまだ日本に来たことがないので、『学者肌』が誘ったのだそうですが、「東京はまだしも、広島は不案内
なので案内をしてくれ。」とガイドを依頼してこられたのでした。                         ・

28日に関空に入られ、その足で宮島に宿を取り二日間滞在されます。 「宮島の案内はいらないので、広島だけを」という
要望だったので宮島口駅で落ち合い、定番の『縮景園』『広島城』『平和公園』『平和記念資料館』をご案内しました。 ・

 

とても質問の多い人達でした。 『縮景園』入り口の『名勝縮景園』の石柱をまじまじとご覧になって、「こういうキャラク
ター(漢字)は幾つくらいあるのかね?」 「う〜ん! 日常的に使うものは約2000かな。 今では余り使わないものを
含めるとまだまだ沢山あります。」 「tea ceremonyはどういう意味を持つのか、何故それが重要なのか?」・
これには少し困りました。 「tea ceremonyは15世紀に興り、その作法は日本の独特の文化として継承されて
います。 また建物や庭にも影響を与えました。」なんて苦し紛れに答えたけど、それでは十分な説明になっていない。 そ
こは本当に勉強不足でした。 更に『一期一会』のところまで行くと今の私の英語力では無理かも知れません。     ・

「『ございます。』とはどういう意味なのか?」という質問もありました。 「『私は○○です。』と言うでしょう。 これ
を丁寧に言うと、『私は○○でございます。』になります。 be動詞の丁寧表現と考えればいいと思います。」と答えたけ
れど、これも少々怪しい。 単に名所旧跡の説明だけでなく、こうした様々な鋭い質問に適切に答えられるよう日頃から訓練
しておかなければと思ったことでした。 日々勉強ですね。                            ・

こんなことを話しながら広島城から平和公園を歩きましたが、『昼から雨』が雪に変わり、冷え込んでくると疲れと相俟って
まともに英語が出なくなってしまいました。 結局は自分の知識が十分にこなれていないということに尽きると思います。・
十分な説明ができなかったことを詫びて、宮島口桟橋にお見送りしました。                     ・

今回は時間もあったので『おこのみ村』にご案内し、ベーシックなお好み焼き(肉玉そば入り)を鉄板から『ヘラ』を使って
食べて頂きました。 「広島の最も有名なローカル・フードです。」とご案内しましたが、これがとてもお気に入りだったよ
うで、「美味しい。 素晴らしい。」と連発しながら瞬く間に平らげてしまわれました。               ・

こんなご案内でした。 さて次回は19日。 オーストラリアの東海岸、ブリスベンの近くのサンシャイン・コーストからご
夫婦がお見えになります。 3月1日に出港し、バリを経由し大阪に立ち寄って広島に来られます。 寄港時間が限られてい
ますし、腰痛があって行動が制限されるようです。 でも限られた条件の中でできるだけいい思い出を作って差し上げたいと
思っています。                                                ・


『めぐみ』コンサート

2月後半はコンサートが目白押しでした。 19日・広響定期、26日・広響ディスカバリー、そして28日が『めぐみ』コ
ンサートでした。 『めぐみ』とは広響フルート奏者中村めぐみさん、私はこの人の大ファンです。 その『めぐみ』さんの
CD初リリース記念コンサートが横川の『カフェチアス』でありました。                      ・

『一球入魂』といいますが、一音一音に心血を注ぐ『めぐみ』さんの演奏に私はずっと心酔してきました。 オケでの演奏も
素晴らしいですが、こうして間近でソロで聴かせていただくとやはり感動が違います。 ギター伴奏との息もよく合っていま
した。 さすがはプロだなぁと思います。 ちなみにギター演奏は私の師匠でした。                 ・


もちろんCD買いましたよ。 サインをしていただいて、握手もしていただきました。 平素は恐れ多くてなかなか近づける
人ではありませんからとても嬉しかったです。 といいつつ、顔を合わせると冗談をいいあう間柄ではありますが。 ジャケ
ットは清楚な『めぐみ』さんらしく、人となりがよく出ています。 明日は早速『タイスの瞑想曲』と『バッハのアベマリア
』を楽しみに聴こうと思っています。                                      ・












































2月25日



夢をみました

夢というものは取り留めがなく、また淡いあぶくのようなものです。 今朝がた見た夢、目が醒めてから何度か思い返しなが
ら記憶に留めた積りですが、こうして書き残そうとするとどうもストーリーがはっきりしません。 消えてしまった部分もあ
ります。 しかし、私にとってはとても衝撃的な夢でしたので記憶を手繰って書き残しておこうと思います。      ・

陽だまりの縁に母が座っていて、『菩薩様』と何か話していました。 庭には何か小さな木が植えてあって、そのことを話し
ていたようでした。 次の瞬間、私は庭の中で『菩薩様』と向き合っていました。 ショートカットにブラウンのカラーリン
グをしていました。 でも何故か襟足の部分だけを少し長めに伸ばしていました。 見慣れたショートカットでしたが、カラ
ーリングを見たのは初めてでした。                                       ・

夢でこんなにもはっきりと『菩薩様』の顔を正面から見たのも初めてでした。 くっきりと化粧をし、トレードマークだった
真っ赤な口紅を引いていました。 そしてお気に入りだった赤いレザーのイヤリングを付けていました。 頬はふっくらし、
血色もよく元気な頃の『菩薩様』の姿でした。                                  ・

彼女は長年使っていたグレーのアルパカのコートを羽織っていました。 「私は安物は買わないよ。 その代わり10年は着
る。」とよく言っていたお気に入りの一着でした。 彼女は真っすぐ私を見ていました。 でもその顔は無表情で、いつも笑
っていたあの頃の柔和な表情ではありませんでした。                               ・

それから一言二言言葉を交わしたように思います。 私たちはバス停に向かっていました。 バス停には多くの人がいて、そ
の中に友達の『才ちゃん』を見付けた『菩薩様』は懐かしそうにその輪の中に入っていきました。 やがてバスがやって来る
と、まだ降りてくる人がいるのにうまく掻い潜って『才ちゃん』と一緒にバスの後部に入っていきました。       ・

バスに乗る時の、ちょっと背中を丸めて踏みあがる仕草は今もはっきり覚えている懐かしい姿でした。 「あの二人は一緒に
座ると言っていたよ。」と『脇ちゃん』が教えてくれました。 長束のバス停だったように思います。 私は前方の空席に座
ろうとしましたが、後からやってきた太った男が割り込んできたところで目が醒めました。              ・

私はよく『菩薩様』の夢をみます。 初盆に帰ってきて台所に立っていた『菩薩様』はくっきりしていました。 病んでいた
ころの姿そのものでした。 私は彼女を抱きしめて「もうどこにも行かないで!」と懇願しました。 それ以降の夢の多くは
は『菩薩様』だったと認識しながら、顔かたちがはっきりしないものばかりでした。 「そのままの姿で現れてくれてありが
とうね。」 私はクロージェットを開きアルパカの背中を撫でながらこんなことを言ってやりました。         ・
































2月18日



2月18日弥山登山

18日、新しい靴で弥山に登ってきました。 直前まで極楽寺山にするか、弥山にするか迷っていましたが、新しい靴を石段
で試すついでに『霊火堂』にお参りすることにしました。 ”ついで”というと『菩薩様』に叱られるかもしれない。 『大
聖院ルート』を登り、『霊火堂』からそのまま『もみじ谷ルート』を下りました。                  ・

靴の調子ですが、やはり下りにかかると左足先が詰んで痛みが出ます。 もう少し様子を見て、改善しないようだったら運動
具店で調整をして貰うつもりです。 それ以外の話題と言えば・・・『大聖院ルート』の沢を渡って少し登った辺り、岩肌か
らしみ出して敷石を濡らしている部分が凍っていました。 もうお昼だというのに殆どツルツルでした。 これには登山靴も
歯が立ちません。 気をつけましょう。 ふと見上げると枯れ木に立派なツララがぶら下がっていました。 久しぶりに見ま
した。                                                    ・

 

今日は殆ど誰とも声を交わすことなく、終始静かな旅でした。 出会う人も様々です。 外国の方が皆さんフレンドリーとい
うことはありません。 「コンニチワ」とにこにこご挨拶される方ばかりではなく、視線を外される方もおられますし、うつ
むいたまま通り過ぎる方もおられます。 声をお掛けるのをためらうこともしばしばあります。 どこの方でしょう、アメリ
カ人かな? 逞しい女性がスタスタと登ってみえたのですれ違いながら「nice strenght」と呟いたら、「クッ
クック!」と笑っていました。 今日唯一の会話ともない会話でした。                       ・


凝っています

最近少し『凝って』います。 『菩薩様』が残してくれた20cmのルクルーゼ、それにアタッチメントのスチーマーです。
私はこれを使って子供達や孫達の誕生日に『赤飯』を蒸してやります。 友達にもお祝い事があると蒸して差し上げます。・

最近『凝って』いるのは『蒸し料理』です。 折角スチーマーがあるのに使わないのは勿体ない。 またうまく使えば料理の
幅も広がるでしょう。 まだ『茶碗蒸し』のところまでは行きませんが、主に魚と野菜を蒸して『ポン酢』と『柚子こしょう
』で頂いています。 これだけでも夕食が随分豊かになります。                          ・

魚はサンマだったり赤魚だったり、殆どあり合わせのもの(co−opの冷凍食品)を使っています。 いづれは鯛だとかス
ズキだとか、少し高級な魚を蒸してみたいと思っていますが、魚屋さんで手に取るたびに、「co−opでとっている範囲内
で生活しなくちゃダメよ。」と『菩薩様』の声が聞こえます。                           ・

野菜は『カボチャ』『ニンジン』『サツマイモ』『ジャガイモ』『里芋』『椎茸』『エリンギ』『カリフラワー』などです。
難しいのは、これらが蒸し上がった時に『全てがベストの状態で食卓にのぼるか』ということです。 例えば、『カボチャ』
と『カリフラワー』を同じ時間蒸したとすると結果は想像できるでしょう。                     ・

今、その『蒸し時間』を測っています。 1cmくらいにスライスした『カボチャ』は12分、同じ厚みの『ニンジン』なら
9分、『カリフラワー』は1分、という具合にです。 それで時差攻撃をしています。 それとタレも研究中ですが、今のと
ころ『ポン酢』+『柚子こしょう』はかなりいい取り合わせだと思っています。 合わせてcoloringも研究して『黄
昏亭』でも使ってみようと思っているところです。 そういえば、娘のお姑さんが「最近は『黄昏亭』は開店しないんですか
?」と言っていたなぁ。                                            ・


































2月11日



『極楽寺山』に登りました。

天気もいいし暖かいし、今日は先日買った『登山靴』の試し履きに出掛けてきました。 我が家から『廿日市市役所前電停』
まで歩いて、それまでに痛みが出るようだったら電車で引き返す。 もし具合がいいようだったら『極楽寺参拝道下平良ルー
ト』を山陽自動車道まで歩いて引き返えす。 こんな積りで一応の準備を整えて、『paspy』も持って出かけました。・

まずまず調子はいいようです。 これなら山陽道まで問題なく行けそう。 スポーツセンター『サンチェリー』を通り抜け、
『下平良登山口』から登り始めました。 登山口周辺では宅地造成が行われています。 新築のお家が数軒ありますが、更に
法面の下にも更地が広がっています。 登山口の写真を撮っておきました。                     ・

 

周りにお家ができればまたこの辺りの雰囲気も変わるでしょう。 法面からいきなり急な坂が続きます。 それから山中に入
り、先ずは『頂上まで110分』の標識を見ます。 この辺りの登山道は削れに削れていてまさに高い土壁の間を登っていく
ことになります。 遠望するとこの小山は本格的な登りに入る序章のように見えますが、いざ歩き始めてみるとまだ登りに慣
れない体には結構厳しく感じられます。                                     ・

小山のピークに至り、少し下って『極楽寺橋』を渡ります。 下は山陽自動車道です。 参拝道が自動車道で分断されました
から、この橋は参拝道をつなぐ目的で作られたもののようです。 左手(岩国方面)数百メートルに『宮島サービスエリア』
が見えます。 橋を渡ってすぐに側道がありこれを辿ればサービスエリアまで歩けるはずです。 足の痛みもなくここまで順
調にきました。                                                ・

 

さて予定通りにここで引き返すか。 ところが脚の方は勝手に山に向かって歩き出します。 「それならやるしかあるまい!
」 橋の取りつき(写真右手)からコンクリートの急坂を登って尾根筋を目指します。 古い時代からこのルートを幾多の参
拝者が歩いたのでしょう、尾根筋に取りつくまでの登山道は深くえぐれて、その間を積もった枯葉を踏み分ながら進みます。
カサカサと心地のいい音がします。                                       ・

この辺りから下山してくる人に出会うようになりました。 朝早くから登られた人達がそろそろ下ってみえる時刻です。 拝
見すると、同年代かもう少し上のご婦人が多く、次々と隊列を組んで下ってみえます。 「この人たちってどうしてこんなに
元気がいいんだろう」と眩く感じたりします。 賑やかな語らいが原動力になっているのかも知れません。 それと『大仏様
』に会いに行くという気持ちでしょうか。                                    ・

このルートには宮島のような石段は殆どありません。 所々に丸太の土止めがありますが、さほど大きな段差になっているも
のはありません。 自然石を踏み分けて登る箇所が難所と言えば難所ですが、それも長く続くということはありません。 眺
望は所々にありますが、殆どは樹林の中です。 尾根を通ったり山腹に取りついたりしながら登っていきます。     ・

終点は当然のことながら『極楽寺』の山門(写真左)です。 山門前の『極楽寺縁起』によれば、行基が本尊『千手観音菩薩
像』を霊木の大杉から刻み出し731年にこの地に安置しました。 後806年に弘法大師が開眼供養したと伝えられます。
なかなか歴史の重みを感じる風情です。 山門から更に登っていくと正面に本堂(写真右)が現れます。 現本堂は1562
年に毛利元就によって寄進されたとあります。 唐様式の流麗な曲線が特徴です。                  ・

   

本堂裏から下り、奥之院の脇を通って暫く歩くと駐車場に出ます。 そこから鍵の手を引き返すように急坂を登って山頂に至
ります。 693m、全く眺望のない山頂です。 そのまま進めば500m下って『蛇の池』方面とありました。 実は本堂
から下り始めたとき左足中指から甲にかけて痛みが出ました。 頂上から駐車場に下る間は(とても蹴上の高い段差になって
います)余りの痛みに、「これは誰かにお願いして車に乗せて貰わないと下りは無理かなぁ。」と思ったりしました。  ・

 

取り敢えず駐車場のベンチに座って靴を脱ぎ、お昼を食べながら様子をみることにました。 日向を選んだのに急に冷えてき
ました。 登りでかいた汗が冷え始めているのでしょう。 それに駐車場にはまだ雪が残っていました。 気温差は相当なも
のです。 暫く休んで靴を履き、爪先を緩く、足首を強く締めなおしました。 そして境内には戻らず、試しに脇の登山道を
下ってみました。 まだ痛みはありますが、靴の中で指を開いたり上下に動かしているうちに痛みは次第に和らぎ、何とか下
れそうに思えてきました。                                           ・

これなら大丈夫そうです。 後は今来た道を下っていきます。 このところの下り方は結構小走りです。 宮島の石段を下り
ながら、流れの中で下っていく方が膝への負担が軽い(私にとっては)ことに気が付きました。 その場合、勢いあまって転
倒しないよう、腹筋をうまく使うことが大切です。 それに地形を早め早めに読んでいくことも。           ・

『登山口』まで下り、『廿日市市役所前電停』を通り抜けて、マーケットで夕食の食材を買って我が家まで歩きましたが、左
足の痛みは殆ど消えていました。 『ローバー』に比べると靴底の柔らかさが気にはなりますが、どうやらこの靴は使えそう
です。 暫く紐の締め方を工夫しながら歩いてみようと思います。                         ・

因みに、今日の登りでは『ベートーベン交響曲6番』を丁度2回聞きました。 1曲が大体43分ですから、概ね1時間半で
歩いたことになります。 登り口で見た標準より少し早かったかも知れません。                   ・




















































2月10日



登山靴が壊れました

長く使って来た登山靴の『かかと』の部分がかなりすり減ってきました。 でも、頑丈な靴なのでまだまだ大丈夫だろうと思
っていたのですが、よくよく見るととんでもないことになっていました。 右足の内側、靴底を張り付けている部分がパック
リと口を開けていました。 内部のウレタンゴムが劣化したようです。                       ・

「これは修理できるでしょうか?」 同じマンションに住む山岳会の人に尋ねてみました。 この人はその筋ではかなりの重
鎮であるらしく、話しているとアフガンだとかカナダだとかの名前がポンポン飛び出してきます。 「もしその靴に特別の思
い入れがあるなら別ですが、そうでなければ新品を買った方が結果的に安上がりです。」というご返事でした。     ・

 

ドイツ製の『ローバー』、デザインもいいですし、しっかりしていて使いやすいお気に入りの靴でした。 でも壊れたところ
は多分致命的なケ所でしょうから勿体ないとは思いますが、やはり退役して頂くほかはないでしょう。 そんなことで今日ス
ポーツ用品店に出掛けてきました。                                       ・

「近回りの山を楽しむなら『ローバー』はオーバースペックでしょう。 国産のこの靴でも富士山クラスの山なら十分にいけ
ます。 靴の形は日本人の平均的な足形から取っていますからまず間違いはありません。 それに軽くて歩きやすいです。」
と取り出してくれたのが『caravan』のシューズでした。                          ・

値段は多分『ローバー』の半額以下だろうと思います。 でも試してみると当たりが殆どなく、軽くてとても履きやすいと感
じました。 後は実際に歩いて試してみなければ分からない部分です。 仮に問題が起こったとしても調整が可能な範囲でし
ょう。 そう思ってこれを購入することにしました。 近いうちに先ずは近回りを歩いて確かめてみようと思っています。・

登山靴選びには苦い経験があります。 初めて靴を買ったとき、「私は全くの素人です。 どういうものを選んだらいいのか
分かりません。 プロの目で私の足に合うものを選んでください。」とお願いしました。 店員さんは2人がかりで私の足の
サイズを測り、「この靴なら申し分ありません。 社長もお勧めの靴です。」と出してくれたのがイタリア製の『スカルパ』
でした。 足先までスマートでなかなか見栄えのいい靴でした。                          ・

店内を歩いて試してみましたが素人の私にはそれが私に合うものかどうかを確かめる力がありません。 そして実際に山に登
ったとき初めて靴選びの難しさを知りました。 僅かな距離を登るうちに足先が詰んでとても歩けなくなってしまいました。
お店で何度か調整をして貰いましたが一向に改善しません。 他の何軒かの店にも持ち込みましたが、私の足を確かめて「お
気の毒です。 あなたにはこの靴はお勧めできません。 後でトラブルになることは目に見えていますから。 高い授業料を
払ったと思って諦めてください。」と言われました。                               ・

とうとう業を煮やして「私は全くの素人ですと言ったでしょう。」と不足をいいました。 そして他店で勧められた『ローバ
ー』に取り替えたという経緯があります。 サイズだけを頼りに足の形を見ていなかったのだろうと思います。 まぁそんな
経験を踏まえて少しは靴選びにも思いを寄せられるようになりました。 それにしても高い授業料ではありました。   ・
















































2月 8日



2月7日『福山定期』

広響福山定期に行ってきました。 広島に住みながらなぜ福山定期なのかということなのですが、1つには叔母にプロオケの
音を聴かせてやりたい、更には私自身も音響で評判の高いリーデンローズで広響の本来の音を聴いてみたい、こんな思いで出
掛けてきました。                                               ・

直前になってトラブルがありました。 叔母が止むをえない事情でこられなくなってしまいました。 チケットが無駄になる
けど、「福山ではなぁ」・・・お誘いできる適当な人になかなか思い当たりません。 「彼氏は若い頃は八代亜紀だったしな
ぁ。」というのが『故郷の旧友』です。 ところが声をしてみると二つ返事で「行くよ!」といいます。 早速福山駅で待ち
合わせる約束をしました。                                           ・

「クラシックは初体験でしたが、感動しました。 迫力がありますねぇ。」 彼の終演後の感想でした。 実は私が彼を誘っ
たのは、ただチケットが無駄になるということだけではありませんでした。 彼と私の縁から彼と『菩薩様』の縁ができ、更
にその縁が広がって彼と奥様の縁ができました。 おっとりして飾り気のない、心遣いが細やかなとてもいい奥様です。 私
はこの人達がとても好きです。 「この人たちが音楽を通じて感動を共有しながら、これからの人生をより高めていってくれ
たらいいな。」 そんな思いでお誘いしたのでした。                               ・

次に、リーデンローズで広響の『本来の音』が聞けたか?ということですが、絶対的な評価はできませんが、相対的にはやは
り相当に違うと感じました。 広島会場で聴く音はいつも『くぐもって』いると感じてきました。 フルートなどの高音は澄
み切っていないし、金管は突き抜けてこないし、パーカッションは腹の底まで振動を伝えない。 いつも物足りなく思ってき
ました。                                                   ・

これは驚きでした。 同じ曲でありながら、何か他の音楽を聴くように迫力を持って迫ってきます。 広いだけに二階席はか
なり遠くなりますが、それでも身を揺するほどの音響を楽しむことができました。 ステージは広いですし、その構造は音の
広がりを十分に考慮したものだといえます。 また、観客席の配置はヨーロピアンスタイルを想起させます。      ・


翌日になって、その感動を親しくして頂いている広響の奏者に伝えたところ、折り返しメールがありました。 私が満足した
ことを喜んで下さり、「日ごろからあの音色を広島のお客様にも聴いて頂きたいと思っているところです。」と返信がありま
した。 広響という素晴らしい楽団がありながら、広島であの音が聞けないのはとても残念なことです。 クラシック専用ホ
ールが欲しいという声がありますが、私も意を同じくする1人です。 リーデンローズの音を聴いて更にその感を強くしまし
た。                                                     ・

ところで、今回は福山往復をJRにしました。 運転が億劫になったとか、運転技術に衰えを感じるということはありません
が、何故か睡魔に襲われることが多く、長距離運転は自粛した方がよさそうだと思い始めています。 それと娘婿との関係で
ジパングの会員になり、そのメリットを実感しています。                             ・

宮内串戸〜福山間の普通列車だと往復で4540円ですが、ジパング料金だと3160円、これは高速道路の片道料金とほぼ
同じです。 しかものんびりと景色を眺めたり、本でも読んでいると2時間という時間はあっという間に過ぎ去ってしまいま
す。 安くて安全、しかものんびりできる、今回も三拍子そろった普通列車の旅を楽しんできました。         ・























2月 5日



2月3日 節分

今日は節分。 そして明日は立春。 まだまだ寒いけど『春』という言葉を聞くだけで、長くかじかんできた心が和らいでく
る気がします。 「この冬を一人で耐えていけるだろうか?」冷え込む日にはそんなことを考えました。 節分、立春。『菩
薩様』がことさら寿ぐ日々でした。 きっと春の巡りを待ち望んでいたのでしょう。 『恵方巻き』『イワシの焼物』、あの
『菩薩様』が『巻き寿司』が不得手で具が中心にまとまらなかったことなどを可笑しく思い出しながら『イワシ』を焼いて食
べました。                                                  ・

 

北海道の『厚岸産』と書いてありました。 随分太っていて、いつも店頭に並んでいるものが貧弱に見えるほどでした。 お
腹を開いてみると厚味のある脂が湯気を立てていました。 青魚の腹と脂はとても好きです。 「ここさえあれば他はいらな
い」というぐらいのものです。 これならやはり『日本酒』だろうと、さっそく燗をしました。            ・


2月4日 定期診療


天気もいいし暖かいし、今日はどうでも『弥山』に登ってこようと準備を始めました。 一通りのものをリュックに納めて、
「さて登山服に着替えようと思っていたところに電話が入りました。 「高橋さんご本人ですか?」 「ハイ?」 「こちら
は○○病院です。 今日は診察日になっていますが、お見えにならないので電話をしました。 どうなさいました?」といい
ます。                                                    ・

「診察日は3月4日だと思いますが、違いますか?」 「いぇ、今日になっています。」 それですぐに予定表を確認しまし
た。 冷蔵庫に貼り付けてある『月間予定表』、今日は空白になっています。 『システム手帳』、予定は3月4日になって
います。 最後に病院の『再診予定表』を引っ張り出して確認しました。 「どうやら一月間違えてシステム手帳に書き込ん
だようです。 ごめんなさい。」                                        ・

「いまからお出でになれば検査も可能です。」といわれて『弥山登山』は取り止めにしました。 今日は問診だけでなく『心
電図』『心エコー』が予定されています。 『心エコー』の検査技士はなかなかの話好きでした。 足首に500gの錘を巻
いて週末の朝に2時間歩くのだそうです。 「家内がうるさいですから、なかなか予定通りにはいきませんがね。」と笑って
いました。                                                  ・

暫くエコーを見て、「高血圧ですか?」といいます。 「エッ! わかるんですか?」 「心臓の筋肉がかなり厚くなってい
ます。 脈が遅いですね。 かなりな運動をされていますか?」 「えぇ、週3回くらいステーショナリーバイクと水泳、山
にも登ります。」 「いつ頃から運動を始めたんですか?」 「40代の後半です。 運動で高血圧を治そうと思ったのです
が、ダメでした。」 「それにしてもかなり激しい運動ですね。 あなた71歳でしょう。」と信じられないご様子でした。

それから掛り付け医の診察がありました。 「『心電図』も『心エコー』も前回と変わりなし。 いいよ。」ということで3
か月後の再診・経過観察となりました。                                     ・


2月5日 今日は大聖院ルート

パパパッ!と決断すればいいものを、ついグズグズと迷ってしまう。 結局行くんだったらスパッ!と決めればいいもを。・
「ここが人間力なんだろうな!」と思う。 これが一流の人間と三流の人間の差なんだろうなぁ。 そんなことを考えながら
準備を始めました。                                              ・

宮島口まで歩き、フェリー乗り場で待っていると2人のご婦人から「登るんですか?」と声を掛けられました。 「えぇ。・
あなたたちはケーブルカーですか?」とお尋ねすると、手を振って「いえ、私達は登りません。 『町屋通り』を歩いて、砂
(大学生が瓶入りの砂を売っているみたい。 私は知らない。)を買って、オリジナルの『しゃもじ』のキーホルダーを作っ
てもらう積りです。」と言っていました。                                    ・

それっきりフェリーに乗ったのですが、宮島の桟橋を出るとまたこのお2人に出会ったので、「町屋通りならこちらの方が面
白いですよ。」とお誘いし、『山辺の小道』にご案内しました。 ここには正月明けに郷里の旧友を案内しました。 そして
『要害山』からの眺望を楽しんで頂き、『宮島の戦い』の歴史をお話しして町屋通りの入り口でお別れしました。    ・

今日は最初から『大聖院ルート』を登り、山頂には立ち寄らないで『もみじ谷ルート』を下ることにしていました。 『大聖
院』の前でウォークマンを聴き始めました。 チャイコフスキー交響曲『6番』、これが所要時間の目安になるでしょう。・
『大聖院ルート』は僅かの区間を除いて殆どが石段です。 このため、このルートの登りを敬遠する人も少なくありません。

私はいつも登り始めて休憩所までの長い石段に苦しい思いをします。 それ以降も急な石段は続くのですが、ここを登りきる
と何故か安心します。 休憩所の最後のカーブに差し掛かると正面に大きな岩があります。 この岩が見えたらフッ!と息が
抜けます。 そして休憩所でウェアを1枚脱ぎ、暫く絶景を眺めて次のターゲット、『沢渡り』を目指します。     ・

   

『沢渡り』を越えて暫く坂道を登り、最後の石段に掛かったところで交響曲が終わりました。 登り始めて45分です。 『
休憩所』で暫く時間をとりましたので『仁王門』までが大体そんな時間だろうと思います。 まぁ、私の年齢だと平均的な速
度でしょうか。 『茅渟夢想氏』だとどれくらいで登るだろうと思い訊ねてみました。 「軽装で35分、10キロの荷物を
背負って45分くらいです。」と返事がありました。 やはり鍛錬がちがうなぁ。                  ・

『仁王門』で昼食にしました。 アンパンとバナナ1本、簡単な食事です。 すぐに出発し、『クジラ岩』から下って、今日
は『御山神社』に立ち寄ってみました。 堂宇は3つあり、厳島神社の祭神と同じく3姫神が祀られています。 平清盛が厳
島神社を造営した際、奥宮として建立したと伝えられています。                          ・

 

御山神社からは西方面を望むことになりますが、足許の地形はとても急峻で遥か足下が大砂利です。 神社脇の木製の鳥居を
くぐると『霊火堂』の下に至ります。 それから暫く『霊火堂』に座って『もみじ谷ルート』を下りました。      ・
















































1月29日



戻ってきたメガネ

「よもやとは思いますが・・・ひょっとして私のメガネが戻ってはいないでしょうか?」 今日になって「まさか!」とは思
いながらフロントに訊ねてみました。 「メガネですか?」と受付嬢が引き出しからナイロン袋に入ったメガネを無造作に取
り出しました。 たまたまその場に居合わせたジム友が「アッ! これこの人のメガネですよ。」と声を上げます。 半信半
疑でしたが、手に取ってみるまでもなくそれは失ったメガネでした。                        ・

このメガネは先日も書いた通り、『菩薩様』が私にプレゼントしてくれたものです。 お気に入りでしたし、形見として大切
にしていましたのでとても嬉しかったです。 それに、過去の経緯からここで失ったものが戻ってくるなんてことは考えられ
ませんでしたから驚きでもありました。                                     ・

経緯はこんなところです。 12月3日、着替えを済ませた後でメガネがないことに気が付きました。 この時点ではレセプ
ションに届はありませんでした。 「業務が終了した後で施設内を一斉点検しますので、見つかったら保管しておきます。」
と責任者が回答してくれました。 翌日になって点検結果を確認しましたが返事はNoでした。 その後、何度も訪ねてみま
したが返事は毎回同じでした。                                         ・

12月10日、古いメガネ(7〜8年前の物)を引っ張り出して使っていましたが如何せん度が合わず、また13日がギター
の発表会でしたので(ギターから楽譜に目を移したとき焦点が合わない)やむなく新しいものを購入しました。 10日の朝
になってジムに最後の確認をしましたが返事は同じでした。 それ以降はレセプションに尋ねることもなく25日を最後に暫
くジムを休みました。                                             ・

そして今日このような経緯でメガネを受け取りました。 12月27日にロッカーにあるのをスタッフが見つけたそうです。
25日もの間どこをうろついていたのでしょう。 可哀想にツルの部分(プラスチック)に相当深い裂傷をおっていました。
想像をめぐらせればいろいろあるでしょうが、もうこれ以上詮索するのはよしにしましょう。 ということで、思いもかけず
メガネが手元に舞い戻ってきました。 新品に投資した無駄は勿体なかったですが、まぁ思い出深い大切なものが戻ったこと
で全て良しとしましょう。                                           ・
























































1月28日


久しぶりのジム


久しぶりにジムへでかけてきました。 ジムでトレーニングの記録を見たら、12月25日以来でしたので約1か月空いたこ
とになります。 この間登山やウォーキングである程度動いていましたので、1時間のステーショナリー・バイクが厳しいと
いうことはありませんでした。 今日のお友達はチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』でした。 この鼻つまみ者め! ・

で、ジムが楽しかったかというと、まだまだ心は晴れません。 『菩薩様』にプレゼントしてもらった例のメガネ、もう戻っ
てはこないのでしょうが、ここにやって来るとやはりそのことを思い出します。 また「この中の誰かが」と思う自分をもさ
もしくも感じます。 さてさて、この1か月間、まことに高価なステーショナリー・バイクではありました。      ・


ギター

ギターのレッスンが終わりました。 昨日のことです。 課題となっていた残りの3曲ですが、今回はかなり視唱をやりまし
たのでその成果があって3曲とも何とかクリアできました。 やはり視唱と暗譜がとても大切です。 そのことは分かってい
るのですが、私の頭はどうなっているのか、スポンジがどんどん水を吸っていくように暗譜する孫とは違って、まるで油紙が
水をはじくように私の頭にはなかなか止まってくれないのです。                          ・

さて次回までの課題は、滝廉太郎の『花』とD・フォルテアの『ト長調のワルツ』です。 『花』の方はもう概ねクリアでき
ていますが、『ワルツ』は相当厄介そうです。 暫くはギターを置いて歌い込まないといけないでしょう。 まず第一声を、
それから第二声をやって最終的に両者を合わす。 こんなことになりましょうか。                  ・

「先生、正直言って少し休みたいです。」とお願いしてみましたが、「いま休めば後で必ず後悔します。 乗り切ってくださ
い。」と容赦はありません。 「次回までに私が期待するところまで進めていないと、さらに厳しく指導することになります
。」とかえって脅されたりしています。 あぁ、少しのんびり休みたいなぁ。 これ、偽らざる思い。         ・


ボランティア・ガイド

こちらは私の勝手で少しお休みを頂いておりましたが、来月末辺りからそろそろ動き出そうと思っています。 2月末から3
月初めにかけてイギリスからのお客様をお引き受けしました。 いま相手方の希望を確認しているところです。 続いて3月
中旬にオーストラリアからお客様があります。 こちらも少し提案してそのご返事を待っているところです。      ・

昨年末のオーストラリアからのお客様、彼女は新聞の編集者でしたが、「日本のボランティア・ガイドのことを記事にする積
りです。 あなたのことですよ。」とメールを送ってきました。 原稿ができたら私にも送ってくれるそうです。 どういう
記事になるのか、楽しみでもあり、恐ろしくもあります。 「日本にはロクに英語ができないにガイドがいる。」なんて書か
ないでよ。 恐ろしや、恐ろしや。                                       ・


















































1月24日


広響1月定期


今日は広響1月期定期演奏会でした。 演目は先日ご紹介した通り『マーラー:さすらう若人の歌』『ベートーヴェン:交響
曲9番「合唱」』の2曲でした。 『マーラー:さすらう若人の歌』は彼の交響曲第2番、第4番からピックアップした名フ
レーズをバリトンのトーマス・バウアーさんが歌います。 音域の広い心に染み入る優しい歌声でした。 それに笑顔が何と
もかわいい。                                                 ・

『ベートーヴェン:交響曲9番「合唱」』はリハーサルでも感動したように広響の最高の演奏でした。 ただ、合唱はもう一
つだったように感じました。 主催者は「今回の合唱は自由参加ではありませんから・・・。」とおっしゃっていましたが、
やはり寄せ集めの感は否めませんでした。 音大生に託す手もあったのではないかなぁ。               ・

演奏会が終わって、第一ヴァイオリンとビオラの奏者とご一緒しました。 「お疲れさまでした。 第9の演奏は大変だった
でしょう。」と労ったのですが、反応は全く違っていました。 「でも、第2楽章の延々と続くあのフレーズはただ楽譜を追
うだけでも大変でした。 かなり重労働なのではありませんか?」 とお尋ねすると「そうでもありません。 慣れた曲です
からまぁ『お茶の子さいさい』ってところですかね。」とお二人とも口を揃えられます。 想像を絶する余りに隔絶した技量
にただただ驚くばかりでした。                                         ・

オーボエ奏者ともお話ししました。 昨年の11月定期は『ウイーンフィル・コンサートマスター』フォルクハルト・シュト
イデさんの弾き振りで『ベートーヴェン交響曲5番「運命」』でした。 私はこの曲の第1楽章第268小節をこのオーボエ
奏者の演奏で『感涙にむせびたい』と楽しみにしていましたが、残念ながら登壇されませんでした。          ・

その残念だった気持ちをお伝えすると、「申し訳ありませんでした。」と頭を下げられ、かえって恐縮しました。 演奏会直
前になって指に怪我をなさって、やむなく降板されたそうです。 私自身強く感じるのですが、私はこの人と波長が合ってい
るのだと思います。 以前にもお話ししたと思いますが、この人があの小節を演奏すると毎回熱いものがこみ上げてきます。
他の方ではこうはいきません。 かけがえのない方ですからどうぞお大事に。                    ・

今日はとても寒い1日でした。 前夜からの雪で「さて今日の演奏会はどうなるだろう。」と心配していましたが、『都道府
県対抗男子駅伝』も演奏会もつつがなく終わりました。 めでたしめでたし。                    ・




























































1月22日



1月20日 黄昏亭を開店しました

『若い友人』をお招きして『黄昏亭』を開店しました。 「このところ間があきましたね。」と言っていましたが、そうです
ね10月13日以来でしたね。 それ以降ガイドが2件、ギターの発表会、英語版ホームページのアップなどで忙しくしてい
ました。 もっとも忙しいのは私だけじゃぁありませんよね。 なかなかスケジュールが合わない。          ・

今回は『すきやき』にしました。 私が作れば『すきやきもどき』かな? 先日『故郷の旧友』が訪ねてくれて、そのときに
頂いた『すきやき』がとても美味しかったものですから、今回はこれにしようと決めていました。 具材をグツグツと煮込ま
ないで、個々に焼いたものに『割り下』をちょっと掛けていただきます。                      ・

結果は? 失敗でした。 旧友が作ってくれたようにはいきませんでした。 お肉の品質もさることながら(そんなに悪いも
のじゃぁない)、鍋の火加減が失敗の原因のようでした。 そのことに気付いた時には、もうお互いに腹が膨れていました。
「次回には考えよう。」といったけど、さて何時になることやら。 ごめんね。                   ・

今日は冷酒ではなく、燗にしました。 といっても、彼は舐める程度です。 ところが彼のサイトには『県別日本酒リスト』
とうものがあって、旅先で気になる蔵元を訪ねては味を評価しランク付けをしています。 ザッと眺めてみましたが、青森か
ら佐賀まで約20県の酒を評価していました。 私は酒が好きで結構飲める。 でも評価できるほどの舌は持ち合わせていな
い。 彼は超が付くほどの下戸、でも味は分かる。 おかしなものです。 今日はこれがメインテーマだったかな。   ・

 

そして彼が持参してくれたものは・・・これです。 『七冠馬』 かれの評価は『忘れられない』に続く評価、『お気に入り
』にランクされています。 因みに『七冠馬』とは蔵元とシンボリ牧場主の縁から生まれた名酒なのだそうです。 私はいつ
も『シチカンバ』と読んでは彼に笑われています。 これは次回まで冷暗所に保管しておきましょう。         ・


1月22日 広響リハ

1月期広響定期演奏会は24日(日曜日)、演目は『マーラー:さすらう若人の歌』『ベートーヴェン:交響曲9番「合唱」
』の2曲です。 そして今日は定期演奏会前のリハーサルでした。 演奏会の前日3日間は練習が公開されています。 アス
テールプラザ・オーケストラ練習場、料金はいりません。                             ・

このところご無沙汰をすることが多かったのですが、今日は久しぶりにスコアを持って出かけてきました。 いつもはステー
ショナリーバイクを漕ぎながらウォークマンを聴きつつ楽譜を追っているのですが、実際の演奏を見ながら譜面を追うと音楽
の理解度は全く変わってきます。 音がクリアですし、奏者の動きも見えますからそれに合わせて楽譜の一音一音を追ってい
くことも(ある程度は)できるようになります。                                 ・

ここ、第一ヴァイオリン、チェロが後を追って・・・続いて、フルート、オーボエのユニゾン・・・ティンパニーが来るぞ『
パパーン!』 こんな感じで楽譜を見ながら奏者を追っていきます。 そうすると奏者の息遣いがモロに伝わってきます。・
これが私的なオーケストラの楽しみ方です。 かなりオタクlikeではあります。                 ・

さて明日は最終日。 実はウォークマンでは読み切れなかった第2楽章がいとも簡単にクリアできたので嬉しくなって明日も
行こうと思ったのですが、雪みたいですね。 様子を見ながら決めようと思います。 それはそれとして、日曜日はどうなる
んだろう。 明日の夕方から大雪だとすると団員さん、それに合唱団は集まれるんだろうか。             ・





































































1月16日


弥山登山

実はちょっと悩んでいます。 ジムをこのまま続けるかどうかということです。 確かに設備は完備されていて、行きさえす
れば様々なトレーニングができます。 終わればシャワーを浴びさっぱりして家路につくこともできます。 夏は冷房、冬は
暖房、至れりつくせりです。 「でも所詮はそれらしいマシンではないか?」、また「うまくcommercialismに
乗せられているのではないか?」と思ったりもするのです。                            ・

例えば『弥山登山』、我が家から3.5kmを歩いて、535mを登り、そして下り・・・こんな運動に週2回トライすれば
週4回のジム通いに比べて遜色ないのではないか。 最近そんなことを思っています。 「週2回の登山は可能か?」今の私
の思いはそこにつきます。 何れジムを休会するとしても、まずそこを実証して見なければ、という思いから今日も弥山に登
ってきました。 結局はやる気に掛かっているんですけど。                            ・

今日は『もみじ谷コース』を登り、『大聖院コース』を下ろうと思っていました。 ところがもみじ谷に入ったところで頭上
からガヤガヤと尾根筋を下ってきた一団をみて、「そうか、これもありか。」と思い立ち、『尾根筋コース』を登ってみるこ
とにしました。 このコースは公式ルートではありませんから詳述は避けます。 またそれ故に滅多に通るルートでもありま
せん。 昨年『管弦祭』の翌日にMr.Texanの我が儘に押し切られてここを下って以来です。          ・

このコースは山腹から尾根筋に取りつくまでが一苦労になります。 根っこを踏み分け、立ち木を頼りに這うように尾根筋に
たどり着いた途端に眺望が開け、見渡すとかなりの高度を稼いだことがわかります。 そしてその後は水平方向に1.5km
進むうちに535mを登る現実の斜度そのものになります。 公式ルートでは石段が多いといっても右に左に山腹をうねって
登りますから距離は長くなりますが、勾配は緩みます。 しかし尾根筋は直攀ですから容赦はありません。       ・

2か所ほど僅かながらほぼ平坦なケ所があって少し息を抜けますが、後は根っこと砂礫に足をとられながら登っていきます。
今日は沢山の人と出会いました。 取りついたのが12時を回っていましたので登って来る人はいませんでしたが、前述のガ
ヤガヤの5人グループ、ご同輩、同じく同年代のご夫婦(多分そうでしょう)、結構出会いました。 「気は引けますが、と
ても気持ちのいいルートですからね。」、こんなご挨拶もありました。                       ・

困ったことが起きてしまいました。 半分を登ったころから腹具合が切羽詰まってきました。 腹具合にはいつも気を配って
います。 出発前には大丈夫だと思っていたのですが、でも大丈夫でなかった。 これには弱りました。 やむなく人目につ
かない所に木切れで深い穴を掘ることに・・・。 後は微生物か猪か、よろしくお願いします。            ・

展望台で持参したアンパンを食べ、『霊火堂』に立ち寄って『もみじ谷コース』を下りました。 そうそう、『霊火堂』では
帽子を脱いでください。 堂守さんがいると「ここはお堂ですから。 分かります?」とやんわり指摘されます。 「帽子を
脱いでお参り下さい。」と言えば分かりやすいですが、キョトンとしている方もたまにはいます。 まぁ、マナーではあるで
しょうけれど。                                                ・

相変わらずの弥山銀座を抜けて『もみじ谷』に下り始めたころ、ご主人の後を追って割烹着姿のご婦人が登ってみえました。
道を譲りながら「軽装ですね。」と声を掛けたら、「もう疲れました。 二度と登りたくありません。」とおっしゃいます。
「大丈夫ですよ。 山頂から景色を眺めたら、また登りたくなりますよ。」                     ・












































1月14日


今日は『大元コース

静寂が楽しみたくて、今日は『大元コース』を登りました。 一歩一歩踏みしめながら登り、時に足を止めて枝幹を飛び交う
メジロに目をやったり、緑深い自然林を眺めたり、荒々しい巨岩に驚きながら見上げたりしました。 このコースは本当に静
かです。 登り始めた頃に外国人カップルが下ってみえましたが、それ以降はどなたとも出会うことはありませんでした。・

峠まで登って縦走し、途中から『駒ヶ林』に立ち寄って『仁王門』を経由し霊火堂に至りました。 『駒ヶ林』には先着のご
婦人の二人連れが直攀ルート経由で登っておられました。 「エッ!あそこを登ったの、羨ましいくらい元気だなぁ!」なん
て雑談をしました。 『霊火堂』では『菩薩様』と暫くお話しをし、今日は頂上には登らないでそのまま『もみじ谷コース』
を下りました。                                                ・

『獅子岩』から弥山山頂はさながら弥山銀座です。 弥山人気はますます沸騰しているようです。 それにトレッキングブー
ムも。 『もみじ谷』コースを半分ほど下ったところで老婦人の一団を追い越しました。 そうですね、年齢的には負けてい
るように見えましたけれど。 おそろいのピンクのウェア―、ステッキを巧みに?操りながら賑やかに下っていました。 老
いも若きも弥山詣で。 いいことではありますが、まぁ甘く見ないようにお気をつけて。 この登山の様子は後日『登山・サ
イクリング』の項に掲載します。                                        ・


ギターレッスン

今年最初のギターのレッスンが終わりました。 12月13日の発表会以降、「これくらいはいけるでしょう。」と宿題を4
曲頂きましたが、年末のガイド、そしてお正月、気の緩みもあったかも知れません。 1曲は辛うじて仕上げましたが(かな
り危うかった。)いかんせん残り3曲はメロメロで再トライとなってしまいました。                 ・

楽譜を見る限り、「これなら簡単にクリアできる。」と思っていたのですが、やり始めてみるとハイポジションでの演奏であ
ったり、指使いが指定されたりと実にややこしい曲ばかりでとても仕上げることができませんでした。 それともう一つ『ト
レモロ奏法』が加わって私の指は混乱しています。                                ・

「先生、ひたすら基礎練習に取り組んできましたが、気付いてみれば私には演奏を楽しめる曲が全くありません。 どうした
ものでしょうかね?」というような雑談をしました。 「楽器店に行くと『昭和のメロディ』とか、易しい楽譜が沢山ありま
す。 それを買って演奏してみてはどうですか? その技術はもう十分にあります。」とおっしゃいます。 その後で「でも
あなたはそういう易しい曲では満足できないでしょう。」とニヤリ!と笑われました。 読まれとるなぁ。 「今のテキスト
の中盤辺りからいい曲が沢山出てきますよ。」とおっしゃいますが、そこにたどり着くまでに何年かかることやら。   ・


広響福山定期

2月7日(日曜日)、午後3時から福山リーデンローズで『広響福山定期』があります。 A席ですが、2階席のチケットを
を2枚買いました。 私の場合、すべての楽器を目で追いながら音楽を楽しむ流儀なので座席はいつも2階席です。 ちなみ
にリーデンローズの2階席には(今まで知らなかったのですが)A席しかありませんでした。             ・

さて、何故リーデンローズなのかということです。 「広島でいつも定期を楽しんでいるのに、わざわざ福山まで出かけるこ
ともあるまいに。」 確かにその通りなのですが、実は先日広響の奏者と雑談していてこんな話しになりました。 「HGB
ホール(旧厚生年金会館)の音響では私たちの本来の音が届いていないように思います。 もし確かめるんだったらサントリ
ーホールか福山のリーデンローズで聴いてみてください。 きっと感動して頂けると思います。」           ・

こんなことがあって、東京までは無理としてもせめてリーデンローズでその音を確かめてみることにしたのでした。 その気
になったもう一つの理由は、演奏曲目がお気に入りのチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』だからでもあります。 この曲
のスコアは今までに何回読んだでしょうか。 少なくとも三桁には達していると思います。 そして次々と楽器を渡っていく
メロディーを目で追いながら音楽を楽しみます。 こんなことを書きながら、もはやウキウキしています。       ・

今回は叔母を連れていくことにしました。 『菩薩様』が大好きだった叔母に何かお礼をしたいと思っていましたので、ちょ
うどよい機会でした。 「大学の演奏会に行くことはあるけれど、プロオケは聴いたことがない。」と言っていましたので、
きっと満足してもらえると思います。                                      ・
















































































1月 6日


旧友来る

郷里から旧友が訪ねてくれました。 この人は『菩薩様』のお気に入りで、若い頃からとても親しくお付き合いをしてきまし
た。 私たちが結婚した頃には三日に上げずやってきて夕飯を食べていくというとても濃密なお付き合いをしてきました。・
その後、彼は関西へ、私は広島に移りましたので少し縁遠くなっていましたが、お互いにこんな歳になり、彼が郷里にウェー
トを移したのを機にまた元の友情が戻ってきました。                               ・

実は昨年のお正月を我が家で過ごす約束だったのですが、出発直前になってノロウイルスを発症し沙汰止みになった経緯があ
ります。 お正月を一人で過ごす私を気遣って計画してくれていたのですが、ノロでは流石に諦めざるを得ませんでした。・
今朝になって「肉を持っていきます。 今夜は『すき焼き』にしましょう。 大根、ネギ、椎茸は自家製のものを持っていき
ます。 焼き豆腐と酒を準備しておいて下さい。」とメールが入りました。                     ・

 

酒、焼き豆腐、牛蒡、蒟蒻を準備して待っているとこんなお肉を持ってやってきました。 『美星牛』だそうです。 岡山県
の中西部に『美星町』という町があって、その名の通り星が美しく天文台でも有名な町なのですが、最近では『美星牛』もブ
ランドになっているのだそうです。 その直売所が私達の故郷にできていて、「そこで買って来た。」と話してくれました。

『菩薩様』が逝った後には、私は『すき焼き』なんて豪華な料理にありついたことがありません。 「作り方も忘れたし、味
付けにも自信ががない。 食材の下拵えはするけど料理はお任せする。」とすべてを彼にお任せしました。 まずは鍋に脂身
を滑らせ、霜降りの大きな肉を焼きます。 そして肉に『割り下』を振りかけて軽く焼いたところで「さぁ食べて!」といい
ます。 「まずは存分に肉の旨さを楽しんでくれ。 それから野菜だ。」といいます。 柔らかい実に旨いお肉でした。 ・

それからネギや大根に割り下を振りかけながら焼きます。 このやり方って江戸風なのでしょうか、ちょっと気取った食べ方
ですが、個々の食材の持ち味を存分に楽しめて「こういう『すき焼き』もあるのか」と感心しながら頂きました。 「このや
り方はいただきだなぁ。」と話しながら2人分にしては随分多い食材をすっかり平らげました。 美味しい料理、酒、楽しい
語らい、こうして夜は瞬く間に更けていきました。                                ・


1月7日

『すき焼き』を平らげた後で、「明日はあっさりと『蕎麦』が喰いたい。」といいます。 「OK! それなら『宮島達磨』
で高橋名人直伝の蕎麦を食べさせてあげよう。 それから『菩薩様』の墓参りをして、隣のポアブリエールでコーヒーを飲ん
で、『アルカディア・ビレッジ』で温泉に浸ろう。」と計画しました。                       ・

ところが大野の『宮島達磨』まで出かけてみると、何と『本日休業』の札がぶら下がっています。 「おや? 定休日は月曜
日のはずなのに。」と張り紙を見ると、某デパートで臨時出店をするので「本日は臨時休業」なのだそうです。 是非食べさ
せてあげたかったのに何と運の悪い。 他には思い当たらない。 やむなく宮島口の『讃岐うどん』で昼飯を済ませまること
にしました。 麺には違いないのでこれで我慢しておくれ。                            ・

「ところで、もう一晩ゆっくりして帰ったら!」と水を向けると即座に納得してくれましたので、コーヒーの後で今夜の食材
を準備しました。 メニューは『もやし豚』『ブリ大根』『皮酢』『ほうれん草の白和え』にしました。 私の『古稀からの
日記』を見ていた彼が、この『もやし豚』が食べたいと言ったことから夕食のアイディアが広がりました。 今夜は私が腕を
振るいます。                                                 ・

それから酒を酌み交わしながら、若かった頃のこと、当時の仲間たち、『菩薩様』の思い出、仕事のことは抜きにして近況、
はては『仏教の根源は何か?』というような話に及んで夜は更けていきました。 そして明日は『大鳥居遊覧航路』で海上か
ら初詣をし、宮島を散策して『お好み焼き』を食べて、ホテルで温泉に浸るという計画を立てました。         ・


1月8日

大野桟橋から『大鳥居遊覧航路』の第一便に乗り厳島神社正面の大鳥居に向かいました。 事前に潮の具合を調べてこの便に
決めましたので、彼には水に浮かぶ大鳥居周辺の遊弋を存分に味わってもらうことができました。 ちなみに大鳥居の間をこ
の船でくぐるとすれば潮高は約2m必要です。 大鳥居越しに厳島神社を正面に見る位置で『二礼、二拍手、一礼』の作法で
参拝し初詣を済ませました。                                          ・

   

宮島では『要害山』から『塔之岡』を眺めながら『宮島の戦い』の歴史をお話ししました。 それから町屋通りを抜けて『塔
之岡』に登り『龍髭の松』をご覧いただき、『五重塔』の五層の屋根の持つ意味の説明を聞いていただくなどちょっと変わっ
た観光案内をしました。 ちなみに毛利軍と陶軍が『要害山』と『塔之岡』で対峙した『宮島の戦い』は1555年、『千畳
閣』の建築に着手したのが1587年ですから、陶軍が本陣を置いた『塔之岡』には五重の塔はあったけれども『千畳閣』は
なかった。 つまり塔とは1407年に建立された五重塔を意味しています。                    ・

始めはホテルの温泉が開く時間待ちでその辺りをブラブラとやってきたのですが、「取り敢えずお昼を食べて、それから温泉
に入ろう。」ということになり、遊覧船の観光ガイドから聞いた『お好み焼き』のお店を探して大願寺辺りを彷徨いました。
ところがやっと見つけたお店は休業日、「ほんに運の悪い男じゃ!」などとからかいながら美人ウェートレスのいる喫茶店で
サンドウイッチを食べながら暫く過ごしました。                                 ・

そうこうしているうちに気温がどんどん下がり、しかも帰りの遊覧船の時間が迫ってきました。 「こんなに寒いんじゃぁ湯
冷めで風邪を引くぜ。」ということになり、結局昨日の『アルカディア・ビレッジ』も今日の温泉も取りやめることになって
しまいました。 「ほんにあれもこれも運の悪い男じゃのう。」とまたまた冗談を飛ばしながら桟橋に戻りました。   ・


さて

さて、久しぶりの旧友とこんな3日間を過ごしました。 一人暮らしの私を気遣ってわざわざ訪ねていただいた彼には心から
感謝しています。 「ちゃんと食っとるじゃろうか?」と奥様ともどもご心配をして頂いておりましたが、ご覧のように私は
まともに喰っています。                                            ・

この3日間は、話し相手のいない独居老人にとって本当にありがたい心弾む時間でした。 少しはしゃぎ過ぎたかも知れませ
ん。 でも議論ができる相手であればこそです。 彼自身も「こうして議論できる関係はなかなかないものです。 楽しい時
間でした。」と意を同じくして下さいました。                                  ・

食べてくれる人がいて、始めて料理は楽しい。 或はやりがいがあります。 影膳も私の支えにはなっていますが、やはり実
際に平らげてくれる人がいていただければ張り合いが違います。 彼には『あれにもこれにも』感謝しています。 また近い
うちにお出でてください。 次回は弥山登山と『お好み焼き』、それに温泉を約束します。 4月ごろを提案しましたが、登
山に備えて少し身体を絞っておいてください。 できたら議論も楽しみましょう。 『仏教の根源は何か?』 なかなかいい
テーマではありませんか。                                           ・































1月 4日


弥山事始め


「明日は旧友を迎える準備をしなければいけないしなぁ。 だったら今日しかないではないか。」と思い立って準備を始めま
した。 『菩薩様』もきっと霊火堂で待っているでしょう。 例によって宮島口まで歩き、コンビニでアンパンを買ってフェ
リーに乗りました。 宮島桟橋で時計を見たら1時15分でしたので、『もみじ谷』から登り始めるのは1時30分を回るだ
ろうなぁ。 そんなことを思いながら町屋通りを歩きました。                           ・

『塔之岡隧道』に差し掛かったとき、角の店先でロープウェー乗り場を訊ねていた3歳くらいの孫連れのご夫婦に出会いまし
た。 訊ねられたお店のお婆さんはいろいろ説明していましたが、私を見て「その人が行くけえ教えて貰いんさい。」といき
なり振ってきました。 まぁどうせ通る道だからと思い、お子さんに合わせのろのろとバス乗り場までご案内しましたので登
り始めはもっと遅くなりました。                                        ・

今日は大変な人出でした。 高校生もいれば、若いカップル、幼い子供連れ、ちょっと!と危ぶむ方々までがどんどん下って
みえました。 やはり弥山信仰は私たちの心の中に知らず識らず息づいているのでしょう。 半分ほど登ったところで女子高
生の一団に出会いました。 1人が脚をくじいたみたいで、仲間がテーピングをしていました。 揃いのジャージを着ていま
したのでスポーツのクラブなのでしょうか。 なかなか準備がいいことです。                    ・

その脇を通り抜けるときステッキの鍔を踏みつけてバシッ!と大きな音を出してしまいました。 振り向いた女の子が「大丈
夫ですか?」と労わってくれました。 「大丈夫だよ。」と答えたけれど、やはりヨタヨタに見えたのかなあ。 確かにヨタ
ヨタだったかも知れません。 最後の急坂に差し掛かったとき左のつま先を石段のエッジに取られて転んでしまいました。・
私は腰痛持ちで左の爪先が痺れているのでよく小石に脚を取られます。 先日もガイドの途中で転んでしまいゲストに笑われ
ました。                                                   ・

弥山本堂を目の前にして、下ってきたご婦人から「もう少しですよ。」と声がかかりました。 自分ではまだまだと思ってい
ても、傍目には結構な老人に映っているのでしょう。 「有難う。」と言いながら心中には穏やかならざるものもあったさ。

それから『霊火堂』に座りました。 今日は霊火がいつになく勢いよく燃えていました。 これが『菩薩様』のご挨拶だった
でしょうか。 それにしても、次々にローソクをあげてお祈りをしたり、お湯を飲んだりとひっきりなしにお参りの出入りが
ありましたから、なかなか落ち着いて新年のご挨拶とはいきませんでした。                     ・

 

頂上には登りましたが、展望台はパスしてすぐに大聖院コース経由で下山しました。 沢を渡って暫く下ったところに『賽の
河原』があります。 清水が流れていてお大師様や地蔵様が祀ってありますが、その入り口に『マムシに注意』の警告板がぶ
ら下げてありました。 まぁちょっと寄り道をしてお参りをしようかと思わせる雰囲気ではありますが、見たところマムシの
生息地としては最適かと思われます。 時期ともなれば、ここには脚を踏み入れない方が賢明でしょう。        ・

更に下って休憩所から厳島神社を俯瞰しました。 ここでは毎回脚を止めてこの絶景を楽しみます。 以前にも紹介しました
ので少ししつこくもありますが、是非この景色をお楽しみください。                        ・

 

石段に悩まされながら更に下っていくと『白糸の滝」、そして大聖院です。 例によって小走りに下ってきました。 大聖院
を訪れる外国の方も日増しに多くなっているように感じます。 その多くの方が京都を巡ってこちらに来られるようですが、
かしこまって拝観する京都の寺院とは違って、堂内に自由に出入りでき、仏教を身近に感じられる大聖院はこの人たちにとっ
て魅力的な存在なのかも知れません。                                      ・

 

その大聖院を背後から望むとこのような景色になります。 手前が本堂で豊臣秀吉が『千畳閣』に安置し、神仏分離以降こち
らに移された『波切不動明王』が安置されています。 またここは鳥羽天皇の勅願道場でもあります。 ここでは毎日家内安
全、心願成就などの護摩祈願が行われています。 奥の一段高い堂宇が『摩尼殿』で、弥山山頂の『三鬼神社』の礼拝所にな
っています。 また写真では本堂の影になって見ることができませんが、奥に『観音堂』があります。 『観音堂』の地下に
は『戒壇巡り』があって、隠れた観光名所になっています。                            ・

今回は駆け足の説明になりました。 ちょっと申し訳なく思いますがご容赦ください。                ・


















































1月 3日


新年のご挨拶

新年おめでとうございます。 皆様にはきっと輝かしい新年をお迎えになられたことと思います。 どうぞご家族をお大事に
お幸せな日々をお送りください。 私は今までどおり『遮二無二』生きていこうと思います。 そのことだけが私を支えてく
れるでしょうから。 そして今年もつたない文章でそのような私の生き様を綴っていこうと思います。 同じことの繰り返し
であったり、的外れなことも多いと思いますが、ご指摘を頂きながら頑張っていきます。 どうぞよろしくお付き合いくださ
い。                                                     ・


私のお正月

お正月は恒例の『実業団駅伝』『箱根駅伝』を見ながらのんびりと過ごしました。 あえて言えば、元旦に年賀状で使う『初
日の出』の写真を撮りに近くの海岸に出掛けました。 それから郵便局に出掛けて、インクジェットの年賀状を買い求めまし
た。 私は変わり者ですから、年賀状は『三ヶ日』に作って投函することにしています。 若い頃から頑なにこの流儀です。
そして頂いた年賀状からコメントを入れています。                                ・

 

今年の『初日の出』はこんな様子でした。 阿品の護岸から宮島の北端『聖崎』に登る様子を捉えました。 上空はよく晴れ
ているのに東の空には低い雲が流れていて、島影から登って来るお日様にはお目に掛かれませんでしたが、その雲を乗り越え
たご来光は海面を朱に染めてなかなかのものでした。                               ・

それから『お雑煮』を作りました。 『お雑煮』は三日に上げずお昼にいただきます。 『菩薩流そばつゆ』を薄め、鶏肉、
竹輪、人参、白菜を煮てイージーに出汁を作り、オーブンで焼いた餅にぶっかけます。 でも今日はお正月ですから威儀を正
して『菩薩流』のお雑煮にしました。 出汁は『菩薩流そばつゆ』とスルメから取ります。 焼いた足の部分は出汁に、クル
クルと丸まった身の部分は出汁の中で軽く煮てスライスし盛り付けます。 その他には『赤貝のしぐれ煮』、蒲鉾、ボイルし
たほうれん草を一緒に盛り付けました。 ご紹介できるほどの出来栄えではありませんが、『菩薩流』の雰囲気を味わって頂
ければと思います。                                              ・

 

ご近所のご婦人から「おせちは作るんですか?」と聞かれました。 何人も。 「特に作りませんよ。 普段通りです。」と
お答えしましたが、それでもと思い形だけのことをしました。 『クワイ』を煮付け、市販の『味付け数の子』と『たづくり
』『蒲鉾』を盛り合わせて取り敢えず『おとそ』のアテにしました。                        ・

そして一杯頂きながら『実業団駅伝』の鑑賞と相成りました。 それから年賀状のレイアウトを考えたり、ボロボロとギター
を弾いたりしながら過ごしました。 3日になって旧友から連絡がありました。 6日、7日にお出でて頂けるそうで、すべ
ての予定をキャンセルして楽しみにお待ちしているところです。                          ・