9月 4日


9月 4日 恥じ入るようなことで

急遽田舎に帰ってきました。 世の中にはままあることでもありましょうが、我が一族にとって何とも恥じ入るようなこ
とで、次回のボランティアガイドが迫っているにも関わらず憂いを払しょくするため田舎まで往復せざるを得ませんでし
た。 詳しくはお話しできませんが、まことに持って情けないことでした。                   ・

その憂いがもたらす睡眠不足のため、今日の往復は本当に堪えました。 冷静になって考えれば、「よくぞ無事にかえれ
たなぁ。」という実感です。 SSで仮眠を取ったり、甘いものを口に入れたりしながら凌ぎましたが、フッ!と記憶が
消えたことが1度ならずありました。 こうして無事に我が家にたどり着いてみると、やはり『菩薩様』が「まだ早い!
」と守ってくれたのではないかと思います。                                 ・

昨日に続き、今朝も『酔芙蓉』が咲いていました。 「この蕾はまだまだだなぁ。」と思っていた一輪が秋めいた陽光に
揺れていました。 これは『酔芙蓉』が大好きだった『菩薩様』の、「無事に帰ってきてね」という私に対する『励まし
』だったのかも知れません。                                        ・


墓参

「寂しがっておられるよ。 不義理をしちゃあいけんよ。」 あの夢以来、「今度田舎に帰ったら『あの人』のお墓参り
をしなければ」と考え続けてきました。 今回の帰郷は『憂慮』の解消でしたので、とても心のゆとりはありませんでし
たが、それでも少し時間を作って念願の墓参を済ませてきました。 これで随分気持ちが楽になりました。     ・


9月 3日 初一輪

思わせぶりな一輪でしたが、今朝ベランダの片隅で咲いていました。 今年の『初一輪』でした。 『菩薩様』はご覧に
なってお帰りになったのか、それとも待ちきれずにお諦めになったのか、どうなんでしょうね。 また何かサインがある
かも知れません。 本当にお好きでしたからねぇ。 たった1日ではかなく消えていくこの花の色の変化を女の恋心に見
立てて愛でていました。                                          ・

長く一緒に暮らして、「色恋には縁の薄い人だ」と思っていましたが、意外な側面を見ました。 燃えるような情熱で私
を愛してくれていたのだったら真に冥利につきます。 今日は朝から写真立てをベランダに出して、『酔芙蓉』の色の変
化を丸1日楽しんで貰いました。 さて皆様にも『菩薩様』とご一緒にこの色の変化を楽しんで頂ければと思います。・

     

左から8時前、12時過ぎ、 午後5時ごろです。 『菩薩様』は、『無垢な乙女』が『恥じらい』を覚え、やがて『赤
く染まって』落ちていくと捉えていました。 皆さんにはどのように見えますでしょうか?            ・









































9月 1日〜2日


イタリアンガイ

イタリアからお越しになったお友達グループをご案内しました。 羨ましいくらい仲の良いお二人でした。 またお二人
ともとても気さくですぐに打ち解けましたが、ちょっと言葉が通じにくいところもありました。 また、今回のご案内を
通じて、今までにないいいアイディアをいくつかゲットしました。 次回からはご案内の幅が広がり、スケジューリング
がフレキシブルになると思います。 そんなことを『ボランティア・ガイド』の項に掲載しました。        ・





















































8月30日



『菩薩様』は帰っていきました

『菩薩様』は確かに我が家に帰っていました。 そして今日の夕方になってさりげなく「それじゃぁ帰るからね。」と言
って出ていきました。 私はそれでも戻ってくるものだと信じて深夜まで待ち続けました。 気持ちとしては、ウ〜ン!
かなり錯乱していましたかね。                                       ・

やがて場面が変わって、私は義母の家にいました。 温泉宿だったような気がします。 義母と『菩薩様』が奥の部屋で
何やら話していました。 すると和服姿の吉永小百合さんがお出でになって、お風呂の支度をなさっていました。 何し
ろ大スターですから、私はうろたえておろおろとご挨拶をしました。 そのお声は確かに吉永小百合さんでしたが、お顔
はどうも『菩薩様』だったような気がします。                                ・

それから部屋の蛍光灯の紐が切れて、修理をしているような取り留めのない場面があって目が醒めました。 「今日午後
に月命日をするって言ったでしょう。 孫達もくるから顔を見てやって欲しいとも。 それに『酔芙蓉』を見て帰るんじ
ゃなかったの? もう明日には咲こうかというのに。」 朝のお勤めの時にこんな不足をいってやりました。    ・

「なぜ義母が現れたのかなぁ。」などと思っています。 夜になって、義弟から「近々母の一回忌をします。」と連絡が
入りました。 『菩薩様』は帰り道に義母のお墓参りに寄ったのかも知れません。                ・
















































8月26日


『酔芙蓉』と『菩薩様』

台風15号、如何でしたか? 我が家の辺りも随分吹きました。 潮の飛沫が飛んできて、愛車のウインドーも白くなっ
ていました。 (ベランダ3面の)グリーンカーテンのネットは大丈夫でしたが(ちょっと心配でした)、バジルとミニ
トマトが随分痛みました。 それに『酔芙蓉』の鉢も倒されてしまいました。                  ・

その『酔芙蓉』ですが、今年は虫にやられることもなくとても順調に育っています。 あと数日もすると最初の一輪が開
くのではないかと見ています。 小さな蕾が枝の先端に群れています。 「咲いたら『菩薩様』に見せてやろう。」と思
いながらふと気が付きました。                                       ・

「今年のお盆には『菩薩様』は帰ってこなかったんだなぁ。」と思っていました。 帰ってきたら何かサインがあるはず
なのに今年は全く気配を感じないのです。 それで「今年はお見限りかい!」と不足を言ったりしていました。 ところ
が25日になってようやく夢を見ました。 どこか明るい小さな部屋の中で言葉を交わしたのですが、situatio
nも会話の内容も全く覚えていません。                                   ・

でも、どうやら帰ってきてはいたようです。 「あぁ、そうか。 『酔芙蓉』を見て帰るんだな。」 ふと、そのことに
気が付いたのでした。 あの人は『酔芙蓉』が好きだったからなぁ。 あと何日くらいでしょう。 少し緩んできている
ように見えますので、きっと今月中には咲くのではないかと思います。 週末に月命日を計画していますので、『酔芙蓉
』とともに孫たちの顔も見て帰ってやって欲しいと思っています。                       ・













































8月19日


久々お疲れさまの1km


「ふらりとやって来て、1km余りを泳いではさっさと消えていく。」と噂になっていたようです。 「そういう人がい
たらしいですよ。」と最近ジムに通い始めたご近所のご婦人から聞きました。 「いたらしいですよ。」という過去形が
その時間的な経過を物語っています。 確かにそういうことはありましたが、それはもう半年以上も前のことですね。・

ギターとボランティアガイドに追いまくられて、このところずっとご無沙汰していました。 半年も休むと身体はもう泳
ぎを忘れかけます。 以前にもお話ししたかと思いますが、タイミングはずれ、バランスは崩れ、息は上がり、腕力も衰
えて、もうとても水泳と言えるようなものではなくなっていました。                      ・

最近になってステーショナリーバイクの後でちょくちょくプールに入っていましたが、なかなか以前の泳ぎを思い出せな
いでいました。 それでも「また以前のように泳ぎたい。」という希望は持っていました。 ところが、今日泳ぎ始めて
みると何だか身体が軽いのです。 200mを泳いだところで、「この調子なら500mはいけそうだ。」と思い、50
0mを泳いだところで、「これはもう行くしかないだろう。」と意を決して最後まで泳ぎ切りました。       ・

といっても、そんなにハイスピードではありません。 むしろノロノロというところです。 隣のコースを泳ぐ人がどん
どん追い越していきます。 それに傍目には不細工を絵に描いたような泳ぎだったでしょう。 でも構わず(恥を恐れず
)泳ぎ切りました。 同じコースに入っている同年代の男性が呆れて眺めて(ターンをするとき見えるのです。)いまし
た。 泳ぎ終わって水を飲んでいると、「いくら泳いだ?」と聞きます。 指を1本立てて「1km、でもゆっくりだか
ら・・・」と答えると、「それにしても!」と頭を振っておられました。                    ・

100m、200mを泳ぐ人は沢山おられますが、1kmともなると「息が続かなくて・・・」とおっしゃいます。 「
どうやれば続きますか?」と聞かれて、「苦しさに耐える以外にないですね。」と正直にお答えしました。 あぁ、目標
を持つことも大切かも知れません。                                     ・

ともかく久しぶりに1kmを泳ぎ切りました。 暫く休んで、最後にトップスピードで100mをやってみましたが、意
外に身体が浮く感じでした。 work outはwork out、水泳は水泳と切り離しながら再度long di
stanceにトライしてみますかね。                                   ・


国勢調査

高市早苗さんから『国勢調査』の調査員に任命されています。 前回(5年前)『菩薩様』に勧められて調査員をやった
経験から今回も委嘱を要請されたという訳です。 そして昨日、市の説明会に出席してきました。 前回調査と圧倒的に
違うところは『インターネット回答』です。 調査票(マークシート方式)を配布する前に『インターネット回答』をお
願いし、それができなかった人に改めてペーパーの『調査票』を配布するようにシステムが変わっています。    ・

そんなに難しいことではありませんから、是非システムで回答して欲しいと思います。 『調査員』の作業は遥かに軽減
されるはずです。 ただ、この近辺も高齢化社会になっていますので、「無理だ!」とおっしゃる人も少なくないでしょ
う。 それは覚悟しています。 9月10日〜12日の間に(全国的に)『インターネット回答の利用案内』が配布され
ますので、是非トライして頂きたいと思います。 あぁ、スマホでもできるようですよ。             ・


ボランティアガイド

ということで、9月、10月はまたまた忙しくなります。 しかも、深慮することなく次のボランティアガイドを引き受
けています。 来月1日〜2日がイタリアからのお客様、 6日〜7日にシュワルツネッガーとナブラチュロアのような
とても60歳とは思えないアメリカンご夫妻がやってきます。                         ・

ご案内は基本的に大きく違うところはありませんが、お出でになる方のご様子(例えば年齢とか体力とか)と、時々の環
境(例えば潮の大きさとか、季節とか、関心の深さとか、希望とか、嗜好とか)によってご案内の内容を検討します。・
例えばイタリアンは『お茶席』を強く希望されています。 なので、茶道教室にお願いして、教室に参加させていただく
ことにしました。 また、アメリカンは随分体力に自信をお持ちなので、『弥山』登山を提案し、是非『弥山原生林』の
佇まいを味わってほしいと思っています。                                  ・

今回のご案内が7回目になります。 今までは事前準備に時間が取れるご案内に限ってきましたが、そろそろ新しい一歩
を踏み出す時期に来ているのではないかと思っています。 実はそうしたご案内の他に、ほんの数日先のご案内を依頼さ
れるケースも沢山あります。 要はどういう依頼であれ対応可能なガイドに変身する、そういう時期に来ている(トライ
すべき時期に来ている)のではないかと思い始めています。 少しは成長している姿をお見せしたいですしね。   ・





























































8月16日


Physical

私は毎年誕生月に『日帰りドック』を受けています。 今年も、ちょうど丸1年目に受検しました。 現役の頃にはもち
ろん毎年、退職後も自費で概ね10年間『ドック』を受け続けていますが、毎回「経過観察中のものを除き所見はありま
せん。」という診断が続いてきました。 特に体調が変わったということもないし、「今年もおそらくそんなものだろう
」と思っていたのですが・・・・                                      ・


ところが、「潜血が陽性だ。」というのです。 「そんなバカな!」と思いました。 『菩薩様』がそのような病気で逝
ったものですから、ことさら気を配ってきたことなのに。 実は昨年暮れに『大腸内視鏡検査』を受けていました。 結
果は直腸にポリープが認められますが、癌化するようなものではありません。 3年後に再検査をすればよろしいでしょ
う。」という見立てでした。                                        ・

「なのに潜血だなんて、一体ここの検査はどうなっているんだ!」と憤りがこみ上げてきました。 そこで担当医に確か
めてみることにしました。 しかし、「半年間で急激に悪化した事例があります。 2本の内1本でも潜血が陽性であれ
ば内視鏡検査をお勧めします。 これが当院の基本的な考え方です。」と押されて納得できないながら再検査を受け入れ
ざるをえませんでした。                                          ・

内視鏡検査は人によっては「耐えられない痛み」といいますが、私の場合は結構平気でディスプレーに映し出された内臓
をゆとりで眺めていられます。 何か異変らしきものを見付けると、「オッ! これは何ですか?」とDrに尋ねたりし
ます。 ところが耐えがたいのは・・・前日の食事制限。 starve to death寸前で、これはなかなか耐
え難い。 そして当日の浣腸薬1.8リットルです。                             ・

それで腸内がすっきりすればまだ救われるのですが、それでも残便があると更に200cc、更に200ccと追加され
ます。 それでもダメなら今度は浣腸がきます。 腹は思いっきり膨れ、浣腸薬は逆流しそう。 この2日間はまるで拷
問のようなものです。                                           ・

しかして結果は。 「同じところにポリープが認められますが、特に切除の必要はありません。 また潜血が陽性だった
ら再度内視鏡検査を受けてください。」ということでした。 「ところで・・・」とDrがいいます。 「潜血は強いス
トレス、過度の飲酒、それに痔などによってもプラスになります。 心当たりはありませんか?」といいます。 「もっ
とも思い当たることがあったとしても、それが100%信じられない以上、検査を回避する理由にはなりませんけど。」
とも。                                                  ・

実はあったのです。 採便の前日がギターの発表会で、その後の『打ち上げ』でまっすぐ歩けないほど酔っぱらっていた
のでした。 「そういうことは早く言ってよ。」 とはいえ、私のお腹はいつでも採便できるほど器用にはできていない
のではありますけれど。                                          ・

































     



8月 4日


8月1日は『管弦祭』でした

Mr.Texanは日本に来て4年目、これはあくまで私の憶測ですが、来年あたりには帰国するのではないかと思って
います。 そういう予感を踏まえて、彼にはできるだけ日本の文化に触れておいて貰いたいと、管弦祭の『お供舟』を提
案していました。                                             ・


最初に『管弦祭』の行程を簡単に記しておきます。 『管弦祭』は平安貴族よろしくボーティングで3女神様をお慰めす
る厳島神社の神事です。 『管弦船』には3女神さまがお乗りになった御鳳輦をお乗せし、神官が奏でる管弦の音ととも
に広島江波地区、呉阿賀地区の引き船によって約5キロの行程を往復します。                  ・
16:00 発輦祭(はつれんさい)・・・出発前に厳島神社で儀式があります。                ・
17:00 出御・・・御鳳輦(女神さまがお乗りになる神輿のことです)が本殿を出立します。         ・
17:40 大鳥居前の儀・・・御鳳輦を『管弦船』にお乗せし大鳥居前で左に3回廻って地御前神社に向かいます。・
      
ここからチャーターフェリーでお供するのが『お供船』Aコースです。               ・
19:00 火立岩着・・・火立岩(現在は岩はありません)前で暫く潮待ちをします。             ・
      
『お供船』Aコースはは火立岩で引き返します。                         ・
19:50 地御前神社到着。 神社前で神事が執り行われます。                       ・
20:20 地御前神社前で3回廻って帰路につきます。                           ・
      
『お供船』Bコースは長浜神社までの帰路をお供します。 船は代わって屋形船になります。     ・
21:00 長浜神社に到着。 長浜神社前では900個に及ぶ提灯行列が『管弦船』を迎えます。        ・
      
『お供船』Bコースはここで『管弦船』から離れ帰港します。                   ・
21:20 長浜神社を出発、大元神社に向かいます。 大元神社は登山道『大元コース』の起点です。      ・
      私たちはすぐに厳島神社に向かい、升形にベストポイントを占めます。               ・
21:40 大元神社に到着。 神事が執り行われます。                           ・
21:50 大元神社出発。                                        ・
22:00 厳島神社火焼前(ひたさき)に戻って神事を執り行います。                    ・
22:10 江波漕天馬船が升形に入り見事な櫂捌きで3回転します。 采振りが勇壮です。           ・
22:40 客人神社前で神事が執り行われます。                              ・
21:00 『管弦船』が升形に入り、巧みな棹捌きで3回転します。                     ・
21:10 『管弦船』が再び火焼前に戻り、御鳳輦が舞台に上がってきます。 さらに高舞台を経由して祓殿まで導か
      れここで鳳凰が御鳳輦から抜き取られます。 御鳳輦は引き続き本殿に導かれます。 御本社還御の儀式が
      行われている間、祓殿では鳳凰が観衆の前を廻り、観衆は競ってこれに触ります。          ・
 0:30 御本社還御の神事が終わり、御鳳輦が祓殿に安置されて『管弦祭』は終わります。          ・


『管弦祭』は升形での江波漕天馬船の3回廻し、続いて『管弦船』の3回廻しで最高潮に達し、御鳳輦還御でフィナーレ
を迎えます。 フィナーレに先立って、御鳳輦から抜き取った鳳凰を祓い殿に集まった観衆に触らせます。 鳳凰に触れ
ると、これからの1年間幸運に恵まれるという言い伝えがあって、観衆は競ってこれに触ります。 この間本殿では御鳳
輦還御の儀式が執り行われ、三女神様が退去された御鳳輦が祓殿に安置されてこの祭典は終わります。       ・

   
写真左:升形での江波漕天馬船の3回廻し 写真右:管弦船の3回廻し

儀式を最後まで見ると日にちは変わって2日の0時30分を廻ります。 従って0時発のフェリーの最終便には間に合い
ません。 彼にはそのことを話して事前に宿を予約しておきました。 ともかくこの平安文化(平の清盛が都で行われて
いた『管弦の遊び』を宮島に招来しし厳島神社の神事としました。)を隅の隅まで味わい尽くしてもらおうという計画で
した。                                                  ・

彼とは16時半に宮島港で落ち合いました。 『お供船』Aコースの受付開始までビールを飲みながら待ちます。 それ
にしても『宮島ビール』350mlが500円とはいい値です。 温泉が1300円、宿も高いし、いかに観光地とはい
え、つい「世の中には相場というものがあろうが!」と思ってしまいます。 観光客が宮島を素通りしていく一因がここ
にもあるように思います。                                         ・

それはともかく、『お供船』Aコースは17時30分に宮島港を出発し、大鳥居沖から火立岩まで約40分のお供をしま
す。 チャーター船の甲板から右に左に勇壮かつ荘厳なボーティングを楽しんで貰いました。 続いて『お供舟Bコース
』は20時に出船し、一旦地御前神社前に『管弦船』をお迎えしてお供をします。 おりしも満月の光に包まれてかがり
火を海面に揺らしながら管弦の音とともに『長浜神社』を目指します。 『采ぶり』や太鼓の音、『木遣』とともに海面
に落ちる月明りを切って進む様子は勇壮さを超えて『幽玄』でもあります。                   ・

   
写真中:満月に照らされながら進む管弦船  写真右:中央の鳥居が長浜神社、その周辺が提灯行列

『管弦船』は900個にも及ぶ長大な提灯行列に迎えられて長浜神社に至り、ここでBコースの予定は終了しました。・
そしてすぐに厳島神社の升形に陣取りフィナーレを待ちます。 今日は大潮ですから升形を囲む回廊は潮を被ります。・
靴を脱ぎ、ソックスも脱いで『管弦船』の帰りを待ちました。                         ・

彼には思い出に残るいい経験をして貰ったと思っています。 冷静な男ですが、宿に戻ってからもかなり興奮気味に感想
を述べていました。 ただ、何故大鳥居や神社の前で船を3回廻すのか、その理由を知りたがり、これがまたまた宿題に
なってしまいました。                                           ・


8月2日 弥山に登ってきました

前夜かなり遅くなりましたので遅い目覚めでしたが、Mr.Texanと連れだって弥山に登りました。 でものっけか
らトラブルが。 宿を素泊まりにしたことが裏目にでました。 意外なこともありました。 これは超自然現象と言って
いいでしょう。 ちょっと怪しい弥山の7不思議よりよほど説得力があります。 その様子は後日『登山・サイクリング
』の項に掲載します。 ご覧になってください。                               ・


8月3日 『ボランティアガイド』に掲載しました。

『ボランティアガイド』の項にイングランドからのお客様のご案内の様子を掲載しています。 『ブログ』にかなり詳し
く書きましたのであまり変わり映えしない内容になっています。                        ・




































7月31日


明日は管弦祭です

暑いですねぇ。 僅かに入る風はもはや熱波の様相を呈しています。 やがて夕凪に入ると、もう『やけくそ』で耐える
しかありません。 昨日は久しぶりにジムに出掛けましたが、今日は明日、明後日に備えて少し身体を休めています。・
明日は厳島神社の『管弦祭』で、Mr.Texanと一緒にお供舟に乗ることにしています。 合わせて『英語版ホーム
ページ』に使う写真を撮ってこようと思っていますので、炎天下の厳島神社周辺を1日ブラブラすることになります。・

そして宮島に1泊し、2日には弥山に登ります。 この暑さの中、どのルートを選ぶか思案しているところです。 たち
まち思い付くのは『駒ヶ林直攀ルート』ですが、ハードなうえに木陰が少ないときていますから「どうかな?」と思って
いるところです。 木陰に恵まれたコースを辿るとすれば、やはり『大元コース』になります。 そこは宿に入って彼と
ビールを飲みながら相談することになりますが、何しろ彼は若いし砂漠地帯で育っていますので何と言い出すやら。 ・


『菩薩流そばつゆ』

どうでしょう、『菩薩流そばつゆ』は試して頂けましたか? もっとも『そばつゆ』や『○○出汁』は幾らも市販されて
いますのでわざわざ作る必要はないかも知れませんね。 ただ私は頑なにこれを使い続けています。 妙に甘かったり、
薬品臭かったりするのが嫌ですので既製品は使いません。 それに舌に馴染んだ味でもあります。         ・

こんなに暑いとお昼にはどうしても麺類が恋しくなります。 『うどん』『そうめん』『そば』、しっかり冷やした麺類
はいいですね。 従ってこの時期には『菩薩流そばつゆ』は私にとって必需品になります。 煮物にも使いますから、ア
ッ!という間になくなってしまいますので油断はできません。 冷蔵庫に乏しくなっていましたので、今日もお昼の『う
どん』の後で作っておきました。 500mlのペットボトルに3本くらいが冷蔵庫に入っているのを見るととても安心
できます。                                                ・

余談になりますが、麺類の定番のお供は『キューリのスライス』『竹輪のスライス』それに『かえりちりめん』です。・
これを息子たちが届けてくれる島根県特産の『ひしお味噌』で頂きます。 この辛さが超あっさりの麺類にとてもよく会
います。 おりしも露地物のキューリはまさに旬です。                            ・











































7月29日


ガイドが終わりました

ガイドが終わり、今夜は余分に一杯頂きながら解放感に浸っています。 今回のお客様はイングランドはヨークからお越
しの、ご自身がおっしゃるにはyoung(ish)なご夫妻とそのnieceでした。 nieceは15歳、タレン
トのベッキーさんに似たなかなかの美人でした。 ふと他にも「誰か似ている人に会ったことがあるなぁ」と考えていて
気付いたのですが、顔かたちといい背丈といい、先日弥山に登ったとき駒ヶ林で出会ったフランスの少女にもとてもよく
似ていました。                                              ・

ご夫妻はちょっと変わったライフスタイルの持ち主です。 お二方ともIT関連企業のマネージャーを務めておられたよ
うですが、「リタイアして楽しむ人生より、若いうちに」と考えて揃って退職され、自宅も手放して旅を楽しんでおられ
ます。 ”gap year”の経験を持たなかったことへの後悔もあったと聞きます。 このことはご自身のホームペ
ージでも公開しておられます。                                       ・


まぁお子様がいらっしゃらないからこそできることでもあるでしょうが、社会の仕組みに敏感な年頃になると、羨ましい
反面「ちょっと怖くてできないなぁ」と思います。 東京・京都を楽しんで、今日は広島、そして明日は宮島を午前中に
発ち神戸に向かわれます。 その間、今日の午前中に平和公園、広島城のガイドを依頼されました。        ・

平和公園ではいつものように主要なモニュメントを辿っていきます。 今回は特に日本の文化や歴史に興味をお持ちのn
ieceを意識し、クイズ形式を取り入れながら理解を深めて頂きました。 例えば『平和の鐘』の建立者は、「『核兵
器のない世界、国境のない平和な世界』を訴えていますが、その訴えはこの鐘のどこに秘められているでしょうか?」と
いうように問いかけながら興味をもって頂きました。                             ・

そして鐘に刻まれた世界地図を示しながら「イングランドとスコットランドにも国境はありませんね。」なんて冗談を飛
ばしながら和やかに説明を聞いて頂きました。 『慰霊碑』前では8月6日の『平和記念式典』に向けて準備が進んでお
り、それが臨場感をたかめてくれました。                                  ・

広島城までは僅かな距離ですから暑い中でしたが歩いていただきました。 「日本は美しいし、素晴らしい文化に触れる
ことができてとてもハッピーだけれど、暑さと湿気にはまいりました。 ヨークの気温は真夏でも精々20度くらいです
から、この高温は堪えます。 特に京都の暑さは格別でした。」とおっしゃいます。 「a basinってわかります
かね? 山に囲まれた地域でお盆のような地形になっています。 京都は『the Kyoto basin』と呼ばれ
ているのですが、こういう地形は夏暑く冬寒い独特の気候になります。 まぁそれも京都だとお考えください。」なんて
無責任な対応をしました。                                         ・


広島城内では『箱膳』『竈』に興味を示されました。 『箱膳』はMr.Texanの質問に答えるため調べておいたこ
とが早速役に立ちました。 また、ご主人は若いころに『居合道』をやっていた経験があるそうで、刀剣にも興味を示さ
れました。 『脇差』の意味を問われてトンチンカンな答えになってしまったので後日メールをしておこうと思います。



次回のガイドは

宿までお送りしてお別れしましたが、別れ際に「あなたの英語は素晴らしい」とお褒めの言葉を頂きました。 今までは
ともすると「いつから英語を習っているの?」とか『メールではきっちりした英語だったのに」と少し蔑まれて(?)き
ましたが、今回初めてお褒めを頂きました。 5分の4はお世辞としても、仮に5分の1が心からの褒め言葉だったらと
ても嬉しいです。 lip serviceと分かっていながら少し励みになっていたりします。         ・

さて次回は9月1日、2日とイタリアからのお客様をご案内します。 高校生時代の同窓で、内お1方の退職に合わせて
日本を旅されます。 お二方とも奥様のご理解はちゃんといただけたそうです。 1日は『縮景園』『広島城』『平和公
園』をご案内しますが、どうしても『お茶席』を経験したいという強い要望があって、かなり無理をお願いして『茶道教
室』でお茶を召し上がって頂くことにしました。 裏ではいろいろと苦労があります。              ・

2日は『宮島』をご案内しますが、潮もいいので『ろかい舟』で平安貴族目線の『厳島神社』を眺めていただくのはどう
かなと思っています。 それに大聖院の『ミステリアスゾーン』、時間にゆとりがあれば『弥山登山』も提案してみよう
と思っています。                                             ・

『お茶席』にご案内するとなると、作法とか茶道用語とか、またまた新たな仕込みが必要になります。 こうして成長し
ていくものでもありましょうが、またまたプレッシャーのかかる日々を過ごすことになります。          ・
















































































7月23日


食事日記

『菩薩様』が逝った後で、初めて冷静になって考えたことは『三度三度の食事から手を抜いてはいけない』ということだ
ったと記憶しています。 何はともあれ、命をつないでいくための『基本の基』はまともに食べることだと考えたのでし
た。                                                   ・

料理を作ることはさほど苦ではありませんでした。 『菩薩様』が臥せってからの3か月間はずっと台所に立ってきまし
たし、何より『食べさせて貰った』ことが大きな財産になっていました。 『菩薩様』の味は私の舌に染みついていまし
たし、頂きながら聞いた手順もかなり頭に残っていました。 「これをこうすれば、このようになるはずだ」という勘働
きのようなものも、こうした中から身についたものだと思います。                       ・

問題は気力でした。 当時は来る日も来る日も寒い部屋に閉じこもって、じっと寂しさに耐えていました。 「これでは
いけない、ともすれば沈んでしまう自分を鼓舞してくれるものを見付けなくては。」 そして行き着いたのが『菩薩様』
への『影膳』でした。 「あの人にまともな食事を食べて貰おう。 そしてそのお流れを頂戴しよう。」と考えたのでし
た。                                                   ・

私には忘れられない『菩薩様』の表情があります。 「今日は鶏を焼いたよ。 でも皮には脂が多くて肝臓によくないそ
うだから取っておくよ。」といったときの残念そうな顔がどうしても忘れられないのです。 『菩薩様』は旨いものをよ
く知っていました。 例えばカリカリに焼いた鶏の皮、ウナギの肝、すき焼きの脂身。 これらは『美味しい』というよ
りは『旨い』ものです。                                          ・

「もう幾ばくもない命だったのに、どうして好きなように食べさせてあげなかったんだろう。」 当時としてはそれでも
希望を捨てたくありませんでした。 でも「結果的にこうなるんだったら、どうしてあの時に」と思い出しては後悔して
います。 『影膳』はその償いでもあります。                                ・

お寺さんには「仏壇には仏飯だけでいいんです。 その他には何もいりません。 肉類、魚類はもちろん、ネギやニンニ
クなど匂いが強く、精のつくものはもっての外です。」とたしなめられました。 でも「この世で修業中の衆生がなに構
わず飽食しながら、どうして成仏された方々が同じものを食してはいけないのか」という疑問はぬぐえませんでした。・
そこで仏壇ではなく、食卓のいつも彼女が座っていた場所に『影膳』をすることにしました。           ・

朝、昼、晩、三度三度、私が食べるものと同じものをお供えします。 そして様々話しながら一緒に食事をします。 「
ごめんねぇ、今日の味噌汁はちょっと辛かったかもしれない。」とか、「今日は由美さんの好きだったお餅だよ。 お正
月に食べたスルメ出汁のお雑煮は美味しかったねぇ」とか、そんな他愛もないことを話しながら食べます。     ・

『影膳』はもちろん後で私が頂きます。 従って控えめに控えめにと注意しながら作るのですが、どうしてもカロリーオ
ーバーになってしまいます。 「お父さん、1人分を作って2人分に分ければいいじゃぁないですか。」と息子が笑いま
す。 「まだまだ逝った人に思う残された者の機微の部分は彼らには理解できないだろうなぁ。」と思います。   ・

そして『影膳』に合わせて、毎日の食事を『食事日記』に残したら、これも『食べること』への励みになるのではないか
また食事の傾向も見えてきて栄養管理に一役買うのではないかと考え、『菩薩様』が逝ったあとで作り始めた『影膳』に
合わせて日記として記録し始めました。                                   ・

 

記録し始めてから2年半になります。 少しは抜けた日もありますが、まぁ毎日といっていいレベルです。 薄いノート
ですが、書き溜めて7冊になりました。 読み返してみると、最初の頃は『食べている』といった程度のものでした。・
でもできるだけ野菜を摂ろうとする努力は窺がえます。 終始一貫続いているものは朝の『果物・野菜ジュース』です。
リンゴ、オレンジ、バナナ、人参、青梗菜、ミルク、『菩薩様』に免疫力をつけさせたいと取り組んできた名残です。・

そして最近では『菩薩様』の味に一歩でも近づきたいという、料理作りの楽しみが加わりました。 私の『食事日記』は
まだまだ続きます。                                            ・



















































7月18日


弥山登山

once a weekのペースで登れたらと思っているのですが、諸事情これあり、結局once a month・
or lessになってしまっています。 前回が誕生日の前日でしたからもう2か月が近くなってしまいました。 台
風一過という訳でもないですが、今回は昨夜から少々気合が入っていました。 早朝から洗濯物をベランダに干し、身支
度を調えて出かけました。                                         ・

先ずは我が家から宮島口まで歩きます。 どれくらいあるでしょうか、3キロ半? 男子駅伝の3区、終盤に坂を上り始
めた辺りから歩きますからそれくらいはあるでしょう。 今度車で走ってみようと思います。 さて心積もりとしては、
久しぶりですから安直に『大聖院コース』を登り同コースを下るように考えていました。             ・

ところが心変わり。 今日は山なみがとても綺麗にみえました。 とくに駒ヶ林の山頂辺りは緑深く、いつになく近くに
見えました。 そこで「やってみるか!」と駒ヶ林への直攀ルートを試みることにしました。 おそらく弥山登山では最
もハードなコースだと思います。 これでもか、これでもかという感じですね。 特に最後の登り、女神さまの鼻孔の辺
りは木の根を手掛かりに岩をよじ登る厳しさになります。                           ・

我ながらこの顎を出した姿は情けないと思い、山頂に分け入る辺りで呼吸を整え、背筋を伸ばして登り切りました。 で
も山頂に人影はありませんでした。 まあ、私のプライドですかね、と考えていたところにofficial cour
se側から若い男女が登ってみえました。 フランスからやってきて「東京の電子機器メーカーで働き始めて10か月に
なる」という若い女性、その弟、そして彼のガールフレンドでした。 彼女は日本語はまだまだ片言でしたが、流暢な英
語を話されました。                                            ・

暫く話してお別れし、仁王門まで下って弥山を目指しました。 御山神社別れで外国人ご夫妻にルートをアドバイスし、
水掛け地蔵前を横切って霊火堂に至りました。 そして例により霊火の脇に座って暫く『菩薩様』と話しました。 ここ
に座っていると沢山の人がお参りにきます。 そして、「茶釜のお湯を飲んでもいいのか?」とか「蓋は勝手に動かして
いいのか?」などと尋ねられます。 もう寺守のようなものです。 服装こそ違いますが、ここにこうしてじっと座って
いればそのように思われても不思議はないでしょう。                             ・

下りも予定変更で『もみじ谷コース」を下りました。 膝も相当に固くなっています。 石段に耐えて『もみじ谷』まで
下ったとき、ヘナヘナとベンチに腰掛けてしまいました。 でも少し休むと再びスタスタと歩けるのは、まだまだ捨てた
ものではないという証拠でしょうか。 しかし、今回は後遺症の予感がします。                 ・

こんな1日を過ごしました。 登山の様子はまた『登山・サイクリング』の項にアップします。 少し時間がかかるかも
知れませんが、どうぞご覧になってください。                                ・






















































7月11日


黄昏亭』に追加しました

『黄昏亭』に『腰の助け人』と『若い友達』をご招待しました。 その様子を紹介していますのでご覧になって下さい。


次々回のボランティアガイド

次々回のボランティアガイドが決まりました。 9月1日、2日にイタリアからのお客様をご案内します。 何人でお見
えになるのか、また性別や年齢はまだ確認できていませんが、広島では『平和公園』『広島城』『縮景園』、宮島では『
厳島神社』『大聖院』の見学を希望されています。 次回7月28日のご案内が終わったら相手方と話し合いながらスケ
ジューリングをしていくことになります。 またまたプレッシャーがかかりそうです。              ・

















































































7月 9日


『若い友達』をご招待しました


「随分空きましたねぇ。 ロスに旅行に出かける前でしょう?」 「そうだねぇ。 確か連休の前だったよ」 このよう
に昔を懐かしむほど間が空いてしまいました。 調べてみると、『若い友達』にお出でいただくのは4月23日以来のこ
とでした。                                                ・

今日は『鯛そうめん』『ゆでなす』『コノシロの酢〆』でおもてなしをしました。 全般にかなりいい出来だったとは思
いますが、ナスの鮮度が低く、その分味を損ないました。 やはり直前に鮮度の高いものを買い求めるべきだったと反省
しています。 鮮度と言えば、今日の『コノシロ』は形といい鮮度といい申し分ありませんでした。 長い間食べたいと
思っていましたので飛びつくように買って帰りました。                            ・

おもてなしの様子は後日『黄昏亭』の項に掲載します。 といいながら、先日の『腰の助け人』との会食の様子もまだア
ップできていません。 何だか日々バタバタと暮らしています。 何でこんなにせわしない?           ・


Mr.Texanの疑問

先日Mr.Texanと会食したとき、真面目な顔で彼が訊ねます。 「日本人はどうして自分の箸と茶碗を持っている
んだ?」 当たり前すぎて思ってもみなかった質問に一瞬たじろぎました。 直感的にアレではないかとは思いましたが
確信が持てなかったので後日に譲り、調べてメールで返しておきました。                    ・

私の時代にはもう見かけることはなくなっていましたが、日本の台所では『箱膳』というものが広く使われていました・
縦横40cm、深さ20cmくらいの塗りの木箱で蓋があります。 それぞれがこのような個人用の『箱膳』を持ってい
ました。 その中には自分の茶碗や箸を収納し、ご飯時には蓋を裏返して簡素な食卓にします。          ・

そして銘々が食卓の上に箸と茶碗を取り出して食事をします。 食べ終わると茶碗にお茶を注ぎます。 そして漬物で茶
碗の底や縁を綺麗に洗い、箸も洗ってそのお茶を飲み干します。 最後に自分の茶碗と箸を『箱膳』に納めて食事を終え
ます。 後で『流し』で洗うということはしません。 こういう文化が江戸時代初期から流行し始め、明治時代末期まで
続きました。                                               ・

つまりその時代から直接口を付ける茶碗や箸は共用ではなく、自分の持ち物として管理をしてきました。 後になって衛
生的な観点から『箱膳』を使う習慣はなくなりましたが、このような風習の名残として今も個人用の茶碗や箸を所有する
文化が残っています。                                           ・

それは精神文化としても受け継がれています。 たとえば『箸をつける』という言葉があります。 これは例えば『誰か
が食べ始めたもの』という意味で使われます。 そして、他人が『箸を付けたもの』は多くの場合余り歓迎されません。
みんなで囲む大皿に盛られた料理には必ず『取り箸』が添えられます。 つまり、共用の料理に直接自分の『箸を付ける
』ことは現在もなお敬遠されているのです。
                                 ・

とこのように答えたのですが、正しかったかどうか、かなり私見が入っています。 もしより具体的な正答をお持ちであ
ればアドバイスを下さい。                                         ・









































7月 8日


『黄昏亭』にお客様がありましました

7月6日、『黄昏亭』にお客様がありました。 今日のお客様とはもう40年来のお付き合いになります。 30歳を少
し超えたころ腰痛で苦しんだことがありました。 車椅子を覚悟するほどの重症でしたが、「わしも一生懸命じゃが、わ
しを信じてついて来てくれにゃぁ治療にはならんで。」と二人三脚で頑張り通した、いわば恩人です。 その彼を初めて
『黄昏亭』にご招待しました。 このページでは彼のことを『腰の助け人』と呼ぶことにしましょう。       ・

おもてなしの様子は改めて『黄昏亭』の項に掲載します。 ただ、「余りぎょうさん(沢山)は食べられんで」という彼
のために、「こんな蒸し暑い時期にも喉越しのいいものを」と考えて、よく『菩薩様』が作ってくれた『チヌそうめん』
ならぬ『鯛そうめん』を作ってみましたので、取り敢えず以下に写真を掲載します。 ご覧になってください。   ・

 


そりゃ誤解だよ

先日娘のお姑さんと電話で話しました。 話がお上手ですし話題も多い方ですから、この人と話し始めると結構長くなり
ます。 話の中心はお互いの共通項で、ほぼ孫達の話で盛り上がります。 また、私のブログもチェックしてくださって
いて、それも話題の1つになります。                                    ・

先日『黄昏亭』にMr.Texanがお見えになったときのことも読んでくださっていて、「まぁ、随分難しい話をされ
るんですね。」とおっしゃいます。 「そりゃぁ、誤解だよ。 『難しそうな話』と書いてあるでしょ。 確かにそうい
う話題ではあったけれど、私の英語力の範囲内での日常会話程度だよ。」といって笑いました。          ・

「そりゃぁあれを読んだら誤解する人もいるかもね。 お姑さんが凄い誤解をしていたとブログに書いておこう。」と言
ってまた笑いました。 事実、ギリシャの年金のことを話し始めて、『年金』という単語が出てこず、「Mr.Texa
n、忘れてしまった。 『年金』って何と言ったっけ」と問いかけるくらいのレベルですから。          ・