5月 6日



『黄昏亭』に来客がありました

久しぶりに『黄昏亭』に来客がありました。 『食通の従兄』です。 「体調はどう?」と尋ねると「絶好調!」だそう
で、例によって『刺身包丁』と食材を持って現れました。 「今日は活きのいい鯵はいなかった」といいます。 それは
そうでしょう、この連休にはさすがに漁はなかったでしょう。                         ・

私は『筍ご飯』を作って待っていました。 もう何度も作りましたので、水の分量、味付けの具合も大体呑み込めていま
す。 今日は筍、人参、竹輪、鶏肉、乾燥ほたるイカ、仕上げにさやえんどうをトッピングしました。 『食通の従兄』
は鯛とはまちの『お刺身』、『筍の煮物』に腕をふるいました。                        ・

そして食事をしながら恒例の雑談に花を咲かせます。 そうそう、お土産もありました。 朗読を趣味としている彼は毎
回いい作品をCDにコピーして持参してくれます。 今回は松本清張の『点と線』、それに『般若心経』もありました。

彼のこだわりの料理、私の『筍ご飯』などは後刻『黄昏亭』の項に掲載します。                 ・


わらびの煮びたし

昨日のこと、仏壇の花が萎れてきましたので『JA直販店』に出掛けてきました。 蘭は華やかですし、比較的長持ちが
しますのでこのところずっと『シンビジューム』を買っています。 今日は色違いの1対がありましたので早速買い求め
て活けてやりました。 さて、いよいよこれから花の管理が厄介な季節になります。               ・

ついでに野菜を見ていたら、『わらび』が目にとまりました。 色鮮やかで軸もしっかりしている立派な『わらび』でし
たので思わず手に取ってみました。 ところが、食べようにも灰汁抜きの方法を知らないのです。 そこで近くにおられ
たご婦人に尋ねてみました。                                        ・

「藁灰はないでしょうね」と言われます。 線香の灰ならありますが、藁灰はありませんね。 「だったら重曹をお使い
なさい。 鍋に重曹を入れて湯を沸かします。 重曹はほんの僅かでいいですよ。 小匙1杯も入れたら多すぎます。・
多いと柔らかくなり過ぎます。 沸騰したら火を止めて、すぐに『わらび』を浸してください。 ほんの短時間でいいで
す。 長く浸すと柔らかくなりますし、色も悪くなります。 引き上げてすぐに冷水に晒してください。      ・

要点を押さえてわかりやすく説明して下さいましたので、これなら何とかなりそう。 早速やってみました。 先ず軸の
部分を暫く浸しておいて、それから全体を浸します。 その間、約30秒くらいだったかな。 すぐに引き上げて冷水に
晒しました。 随分色が鮮やかになりました。                                ・

筍を『だし醤油』と『菩薩流蕎麦つゆ』で煮て、火を止めて味をなじませます。 火を止めてすぐに『わらび』を煮汁に
浸しました。 これで『煮びたし』の完成だと思っていたら、何と『わらび』はすっかり変色し、萎れたような何とも情
けない姿に。 食べてみると食感だってなんだかまずい。                           ・

ハハァ! 熱い中にいれてはダメなんだ。 そこで煮汁が冷えるのを待ってもう一度やり直しました。 これだと長く浸
しておいても大丈夫のようです。 でも『わらび』は風味を味わうもの、そんなに長く浸しておく必要もないのかも知れ
ません。 『わらび』を引き上げ、筍を一煮立ちさせてこのように盛り付けてみました。 GOOD!       ・

 


































5月 4日



今日は『菩薩様』の誕生日

今日は『菩薩様』の誕生日でした。 元気でいてくれたら68歳になります。 トンでる女性でしたから、どのように老
けていったか見たかったなぁ。 真っ赤な口紅、真っ赤なイヤリング、魔女の宅急便を思わせる黒のロングドレス、シッ
クな帽子、さりげないシャネルのノンフレーム眼鏡、背筋を伸ばして本通りを闊歩する姿は光っていたなぁ。    ・

朝早く『ゴミ出し』に出たら外はまだ細かい雨が降っていました。 窓から眺める広島湾は重く雨雲に包まれていました
が、「そのうち必ず晴れる、晴れたら弥山に登ろう」と時を待っていました。 お昼も近くなって、やっと宮島の島影が
はっきりしてきましたので準備を始め、レインウェア―とスパッツを忍ばせて出かけました。           ・

宮島は凄い人出でした。 フェリーで隣り合わせたご婦人は「熊本から来ました」と言っていましたから、連休を利用し
て遠くからお出でになった方も多かったのでしょう。 外国から来られた方も多かったですよ。 厳島神社の裏通りはこ
んな具合でした。 私は人ごみを避け、『町屋通り』を歩きましたが、ここまで来て人の多さに驚いてしまいました。・
もっとも私はすぐに裏通りに入りましたけれど。                               ・

 

雨で下が悪いことが想定されましたので、初めは整備のゆき届いた『大聖院ルート』を計画していましたが、この人の多
さをみて急遽『大元コース』に変更しました。 やはり私には静かなコースが向いています。 登り始めてすぐに男女3
人の熟年グループに出会い、半分を登ったころ青年が1人下ってみえましたが、それ以降は誰とも出会うことはありませ
んでした。 もっとも、『大聖院コース』との合流点、『仁王門』からはかなり賑やかな登山となりました。    ・

今日は『菩薩様』とお話をするだけでしたので『霊火堂』止まりで山頂には登りませんでした。 例によって霊火の脇の
ベンチに座ってくすんだ天井を見上げながら『菩薩様』に話しかけました。 ブツブツ話しますので「変な奴がいるなぁ
』と訝られたかも知れません。 『霊火堂』の中もひっきりなしに人の出入りがあって、「あなたもえらいときに生まれ
たものだなぁ」と話したりしました。                                    ・

30分ほど座っていました。 こんなに人が多い日には蝋燭の管理も大変なようです。 『蝋燭立て』がすぐに一杯にな
ってしまいますので当番の僧侶がひっきりなしに短くなった蝋燭を引き抜いては霊火の中に放り込んでいました。 でも
「それはどうかなぁ」と思いながら見ていました。 「霊火の中で燃え尽きるのだから、願い事は叶えられる」という考
え方もあるでしょうが、一方で「燃え尽きる前にゴミのように火中に放り込まれる」とも受け取れます。      ・

 

私には何が正しいのかよくは分かりません。 でも一本一本丁寧に火を消して、人知れず処分されれば、願いを込めた人
により寄り添えるのではないかと思いました。 さて、下りは・・・石段に積もった濡れた落ち葉を踏むのは怖いですか
ら、石段が多く人擦れはしていますがよく整備された『大聖院コース』を下ることにしました。 今日の歩数は2万歩で
した。                                                  ・


夢が契機でした

今朝も『菩薩様』の夢をみました。 それで「どうしても『霊火堂』に行ってやらなければ」と思ったのでした。 私た
ちは、やはりこちらに越してくる前に住んでいた会社のアパートにいました。 『菩薩様』が古びた衣装箱を持ち出して
きて、中から風呂敷包を3こ取り出しました。 そして、「これが『あの人』の遺骨だ。」というのです。     ・

『あの人』とは、私たちが尊敬し、親とも慕い、また愛されもした方でした。 しかし今になって思えば(私はかなりの
部分をお聞きしていました)『あの人』はお寂しいうちにお亡くなりになったのだろうと思います。 お亡くなりになっ
て、暫くは田舎に帰るたびに『菩薩様』と一緒にお墓参りをしてきましたが、いつの頃からかそれも途絶えました。 私
たちが故郷を捨てた頃だったろうと思います。                                ・

「もうお墓におさめてあげないといけん。」と『菩薩様』がいいます。 「そうだねぇ、それなら私たちのお墓に一緒に
入れるか、お寺さんに尋ねてみよう。」と言っているところでこの夢は終わりました。 『菩薩様』が「不義理をしちゃ
ぁいけんよ。」「寂しがっておられるよ。」と言っているのだと思いました。 「次に田舎に帰ったらお参りをしてこよ
う。」、そう思うとともに、「『菩薩様』が待っているのだ。」と感じて今日の『霊火堂』行きを思い立ったのでした。




















































5月 2日



つれづれなるがままに

世の中は連休ムードですね。 毎日が連休の私には、あまり関わりのないことではありますが・・・ でも、これがムー
ドというものでしょうか、世の中が華やいでいると妙に人恋しくなったりするものです。 今日は『食通の従兄』がやっ
てくることになっていました。 月に一度の割合でやってきて、我が家の台所で得意の腕をふるい、それを肴に長々と話
し込みます。 これが楽しみなのです。 平生、話し相手を持たない者同士のいわばガス抜きですかね。      ・

私は『筍ご飯』、彼は『筍の煮しめ』と『鯵のたたき』を作ることにしていました。 今朝は早めに起きて彼がやってく
るまでに家事を済ませておこうと身支度を調えているところへ電話がありました。 急に体調がおかしくなったようで「
今日はちょっとムリで!」といいます。 生もの以外の材料を準備し、包丁を研いでいたところ急に気分が悪くなったの
だそうで、聞いてみるとどうも一過性のものとは思えません。 早めの病院をお勧めし、今日は中止としました。  ・

昨日30日には『腰痛の恩人』がお見えになることになっていましたが、こちらも疲れと急な発熱でキャンセル、『Mr
.Kenya』はネパールの友達が心配で落ち着けない、『Mr.Texan』は出張中、『茅渟夢想氏』は山の仲間と
山行中、『若い友達』は海外旅行と友達に悉く見はなされています。 それで為すこともなくご覧のように『つれづれな
るがままにパソコンに向かいて』連休を過ごしています。                           ・

今日は昨日のジム疲れが少し残っています。 1時間余りステーショナリーバイクを漕ぎ、数百メートル泳ぎましたので
・・・ そんなことで空いた一日を休養に当てました。 明日は次のボランティアガイドに備えて下調べをするついでに
弥山に登ってこようと思っています。 『プールの友人』が弥山登山を希望しています。 連休明けにご案内する積りな
ので予定コースを辿ってみたいと思います。 或は・・・気が変わったら『極楽寺山』に向かうかも知れません。 雨模
様だと無理はしません。                                          ・


『蕎麦つゆ』を作っておきました

今日はお昼に『お雑煮』を作りました。 お昼には、『温うどん』『スパゲッティ―』とともに『お雑煮』もよく作りま
す。 あまり手間をかけないで、鶏肉、人参、竹輪、白菜と『菩薩流蕎麦つゆ』でだしを作り、オーブンで焼いた『切り
餅』とともにお椀に装って食べます。 『温うどん』も同じようなものです。 『切り餅』の代わりに茹でた乾麺が入る
だけです。 煮物だけでなく、このように様々の料理に便利に使いますので『菩薩流蕎麦つゆ』は切らすことなく作り置
きをしています。                                             ・

その『菩薩流蕎麦つゆ』をお昼の『お雑煮』で使い切りましたので、早速作っておきました。 だし3カップ、醤油1カ
ップ、みりん+酒で1カップ、これが分量です。 最初に昆布だしを取ったり、最後に追い鰹で味をしめたりしますが、
作り方は至ってシンプルです。 私は食材を全て買って煮炊きし、出来合いのものは殆ど食べません。 自分の舌に馴染
んだ味、つまり『菩薩様』の味が一番と思っているからです。 その味の原動力になっているのが『菩薩流蕎麦つゆ』と
いう訳です。                                               ・

さて今夜は『常備菜』として『根菜の煮物』を作っておこうと思います。 もちろん『菩薩流蕎麦つゆ』の出番になりま
す。 蓮根、牛蒡、人参、椎茸、もちろん筍、こんなところが材料です。 それと手羽元を一緒に煮ます。 これが一品
あれば夕食のメニューもイージーに、しかもとても豊かになります。 一汁三菜ですか? 一汁は『姫皮の味噌汁』、三
菜は『根菜の煮物』『筍と鶏皮の木の芽和え』『小松菜のゴマよごし』というところですかね。          ・

 


ギター、行き詰まり

最初にちょっと聞いただけで、憮然とした表情でいわれました。 「弾きやすいところは速くなり、弾きにくいと遅くな
る。 リズムが全くとれていません。 メトロノームでリズムを確認してください。 それに弾き間違いも多すぎます。
暗譜ができていない証拠です。 視唱にトライしてください。 最後に頼りになるのは暗譜です。」 などといつになく
厳しく指摘されてしまいました。                                      ・

「発表会も近くなっているのに、この体たらくはなんだ!」という厳しい叱責でしょう。 その通りです。 このままで
は前回と同じ轍を踏んでしまいますし、パートナーにもつらい思いをさせてしまいそう。 そう思いながら練習をするの
ですが、気持ちが入っていないのかなぁ、次回レッスンでも同じ指摘を受けてしまいそう。 なかなか苦しい毎日です。
行き詰っています。                                            ・








































4月26日



『鈴が峰』登山

随分古い話になりますが、私は元の会社を退職した後、関連会社に再就職し、そこで10年を過ごしました。 その10
年間、私は窓辺のカウンターでコーヒーを啜りながら毎日この山を眺めてきました。 『エニシダ』が黄色く咲き誇るこ
ろ、若葉がすっぽりと山ごと飲み込みます。 やがて緑深く逞しい山容に変わり、そして朱や黄色に染まるころ、山道は
次第に鮮明になっていきました。                                      ・

このサイクルを10年間、ずっと同じ窓から見てきました。 枯山になると右に左にうごめく人の姿が認められるように
なりました。 頂上辺りでは蟻とも思えぬ小さなものがきらりと光りながら移動していきます。 そのような光景を眺め
「いつかは登ってみたいものだ」と思いながら10年を過ごしました。                     ・

たかだか300メートル余りの小山ですから、思い立てばいつでも登れたはずなのに、何故かそうはしませんでした。 
『菩薩様』が逝ったあと、弥山に登るようになるまで登山の楽しみにそれほど関心がなかったのかも知れません。 とも
かく、その念願を果たしてきました。 昨日25日のことでした。 登山の様子は、後刻『登山・サイクリング』の項に
記載します。                                               ・


筍が届きました

「いくらなんでも3週連続ということはないだろう」と思っていたところ、今週も『みかん箱』いっぱいの筍が届きまし
た。 従妹は『菩薩様』に似て、『他人のために尽くすことを厭わぬ』人なのです。 義父もそうでしたし、お婆さん、
それに2人の叔母さんもそうでしたから、或はあの家系が持っていた美質だったのかも知れません。        ・

会社が休みになるとすぐに掘り、こうして送ってくれるのでしょう、いつも日曜日の午前中に届きます。 形も整ってい
ますから、きっと選りすぐってくれているのだと思います。 箱を開いてみると、湿らせた新聞紙でくるみ、ナイロン袋
に入れて密封してあります。 従って朝掘りとまではいかなくても、いつも新鮮なものが頂けます。 こうして送って頂
けることもさることながら、その労力にも感謝しないといけないなと思います。                 ・


さっそく『寸胴鍋』を取り出して湯掻くことにします。 一度には無理ですから、今から湯掻き、明日の朝にもう一度湯
掻きます。 「そんなに沢山の筍をどうするんだ」ということですが、もちろんお裾分けもします。 でも筍好きですか
ら結構食べます。 昨夜は『筍ご飯』と『筍と手羽元の煮付け』を作りました。 もちろん味噌汁にも使います。  ・

レシピを調べてみました。 目に留まったものが数点あります。 『おかか炒め』『筍とベーコンの粒マスタード炒め』
『筍の天ぷら』『きんぴら』『蕗と筍の煮物』、いいですね。 レシピを増やし美味しく食べてさしあげることが感謝の
気持ちの表し方でもあるでしょう。                                     ・
















































4月23日



『若い友達』にお出でいただきました

21日に『黄昏亭』を開店し、『若い友達』をお招きしました。 私の『ボランティア・ガイド』があったり、彼も年度
替りで忙しかったりしましたので定例の行事も随分遅れていました。 従って久しぶりの会食ということになりました。

今日の『黄昏亭』は旬の食材を準備しました。 『筍』、『メバル』、『木の芽』、『コノシロ』、『紋甲烏賊』『わか
め』、『さやえんどう』、みんな旬の食材です。 今日はこんな『旬の食材三昧』の料理にトライしてみました。 筍が
たっぷり入った『ちらし寿司』、『メバルと筍の炊き合わせ』、『筍と紋甲烏賊の木の芽和え』、『姫皮とわかめの味噌
汁』が今日のメニューでした。 料理の様子は『黄昏亭』をご覧ください。                   ・

反省しなければいけないこともありました。 『メバル』の味付けに失敗したこともさることながら、『黄昏亭』は感謝
の気持ちで大切な友達をおもてなしするところなのに、議論が嵩じてお客様に不愉快な思いをさせてしまったように思い
ます。 こんな歳になって議論に熱くなるなんて、「まだまだだなぁ。」と思いますね。             ・


休学届

22日にNOVAに休学届を出してきました。 還暦から始めて10年、『退職後をどう生きるか』、『知的で価値ある
老後をどう生きるか』、『子供たちに親の背中をどう見せていくか』、そんなことを考えながら学んできた日々でした。

そしていま、10年たったら『ボランティア・ガイド』をやりたいという夢は実現しました。 初心者コースから始めて
曲がりなりにも目標としていたレベルまで到達することもできました。 一方でNOVAで学ぶことにモチベーションが
上がらなくなっている自分を見ていました。                                 ・

「このままダラダラ続けていても」という思いが強くなり、とりあえず年末までの休学を決意したのでした。 その後に
ついてはその間にいろいろと考えてみたいと思います。 もちろん学習は続けます。 インターネットを介したシャドー
イングをメインに日々学習を続けていきます。 また、改めて基礎に立ち戻ってじっくりと学びなおしてみたいとも考え
ています。                                                ・


明日はギターのレッスン

少し弱音を吐けば、最近少し疲れています。 体力的にというよりは気持ち的な要因が大きいと思います。 確かに忙し
い毎日を送ってきましたが、原因は定かではありません。 気持ちが望んでいるものは、「誰かに頼って2〜3日をゆっ
くりと過ごしたい」、そんなことだろうと思います。 でも、頼るべき誰の顔も思い浮かびません。 とすれば、後は旅
でしょうかね。 「それもいいかな」と思います。                              ・

例の『若い友達』は、「旅はいつも温泉地です。 ゆっくりとお湯に浸かります。」といいます。 想像しただけでも安
らぐような気がします。 でも仮に温泉地の宿に泊まって天井を見つめながら寝転がっている風景を想像すると、性格的
にそれを許さない自分を思い起こすのです。 多分、あれもしなければ、これもしなければと、後ろ髪を引かれる落ち着
かない旅になるでしょう。 一人旅ならなおのこと。 さて、明日はギターのレッスンです。           ・


















































4月19日


お久しぶり


今朝のことだろうと思います。 久しぶりに『菩薩様』の夢を見ました。 昨日の朝、お勤めのおりに「由美さん、最近
はなかなか会いにきてくれないねぇ」と不服を言ったのです。 そんな話をしながら『弥山登山』を思い立ちました。・

彼女が旅立つときお棺に手紙を入れておきました。 「寂しくなったら弥山の『霊火堂』に行くからね。 そこで会おう
ね。」 そして弥山に登ったら必ず『霊火堂』に座って彼女と話します。 話しながら煤けた天井の隅などをあちこち見
回すのですが彼女は一向に現れてくれません。 でもそれはそれでいいのです。                 ・

そのご利益だったでしょうか、今朝『菩薩様』の夢を見ました。 かなり長い夢だったような気がします。 でも、夢と
いうものはバブルのようなもので、目覚めたときには比較的鮮明だった記憶もアッというまに薄らいでしまいます。 ・

場面はこちらに越してくる前に住んでいた社宅だったろうと思います。 「久しぶりに釣りに行こうか」という話になっ
て道具の準備を始めました。 ところが小型のリールが見つかりません。 「あそこにあるんじゃない?」と彼女がいい
ます。 それで箱の中を探してみたのですが、サイズの違う大きなものだったり、糸がダメになっていたりしました。・

その内場面が変わって、彼女は助手席に座っていました。 もうお昼を回っています。 確か12時半。 「こんな時間
になっても彼は一緒に行くだろうか」というなり、いきなり『若い友達』がどっかと後部座席に座り込みました。 広島
市内の田中町の交差点辺り、道に迷いかけたところでこの夢は終わりました。 『菩薩様』はあの頃のほっそりとした姿
でした。 そして・・・                                          ・

たぶんコンサート会場だったんだろうと思います。 着飾った淑女達がそぞろに出口に向かって歩いていました。 その
列の中に私と『菩薩様』がいました。 私の右手と彼女の左手、指を絡めるようにつないで歩いていました。 その内、
私の右手に腕をまわすように彼女に催促しました。 彼女は素直に腕をまわしてきました。 私たちが並んで歩くとき、
彼女はいつも私の右側にいて私の腕に腕をまわしていました。 夢の中の光景はその頃の姿と何も変わらない懐かしい情
景でした。                                                ・

歩いていくうちにガラス越しに葬儀場が見えました。 参列者の数が並べられた香奠返しの量で国別に分かるようになっ
ていました。 多分ニュースで知った愛川欣也さんのことだったのでしょう。 国別分類は昨日調べた牡蠣の生産量のこ
とだったのではないかと思います。 この夢の中では彼女は一言もしゃべりませんでした。 夢の中では彼女はいつも無
口なのです。                                               ・

そして今朝のお勤め。 「久しぶりに現れてくれたねぇ。 嬉しかったよ。 有難うね。」と話しかけたことでした。・
そうですねぇ、かなり非論理的なことを言いますが、この夢は私が『霊火堂』にお参りに行ったことと関わりがある、私
はそう信じています。 そして寂しくなったらまた『弥山登山』に出掛けようと思っています。          ・


弥山登山

昨日18日に弥山に登ってきました。 『菩薩様』に会いに行こう、それに「明日の為に今日を精一杯生きなきゃ。 健
康維持に手は抜けないもんな。」、こんなことを考えながら準備を始めました。 お昼を食べて、我が家から宮島口まで
歩きましたので、『もみじ谷』を登り始めたのはもう2時前でした。                      ・

ゆっくりと1時間10分ほどかけて『霊火堂』に至り、暫く『菩薩様』と話した後、『三鬼堂』側から頂上に登り、脚を
止めないで『大日堂』側に回って、そのまま『大聖院ルート』を下りました。 両コースとも外国の方が沢山登っておら
れました。 登山の様子は近いうちに『登山・サイクリング』の項に載せます。                 ・


筍が届きました

またまた従妹から筍が届きました。 みかん箱に一杯。 とても嬉しいです。 寸胴鍋を取り出して先ほどから湯掻き始
めました。 さて今夜も筍三昧です。 先週送って貰ったものを『筍と手羽元の煮付け』に、柔らかそうなところを『木
の芽あえ』にしました。 『木の芽あえ』は『菩薩様』の友達に教えてもらいました。              ・

 

『木の芽』はベランダで柔らかそうに育っています。 筍にはあらかじめ下味を付けておきました。 すり鉢で『木の芽
』をすりおろし、市販の『酢味噌』を混ぜて少量の砂糖を加えます。 筍の水気をしっかり切り、適当な大きさに刻んで
酢味噌と和えれば出来上がりです。 『木の芽』の柔らかいところをあしらって食しました。 これぞ旬の味、なかなか
の料理でした。 今週初めに『黄昏亭』に来客があります。 こんな料理の評価はどうでしょうか。        ・




























































4月15日


桃花祭

今日は厳島神社の『桃花祭』に行ってきました。 『桃の花』を神前にお供えし、『舞楽』を奉納して神々をお慰めする
年中行事です。 神事は午後5時から始まります。 客人神社・本殿での神事に約1時間、それから準備を経て神官によ
る『舞楽』の奉納が6時半頃から始まります。 もちろん『舞楽』の見学が目的でした。 4時半には『高舞台』に到着
したのですが、すでに高舞台の正面には超高級カメラを構えた人だかりができていました。 『舞楽』が始まるころには
更に人が増え、『祓殿』脇の通路まで人が溢れていました。                          ・

 

寒かったですね。 折からの寒気の通過で明け方には雷雨があり、午後になっても寒風が吹きすさびました。 そこでヒ
ートテックの上下を引っ張り出し、フリースの部屋着も持参して事なきをえました。 もしそういう準備をしてなかった
ら、日が落ちてからのあの冷え込みにはとても耐えられなかったと思います。                  ・

「『舞楽』とは何か?」ということについて少しお話しします。 『舞楽』はインドを起源とする舞踊で、中国と韓国を
経由して日本に伝わりました。 平安初期もしくはそれを少し遡る頃だと聞いています。 そして日本で平安文化として
発展し定着したものです。 中国や韓国では、この芸能はすでに消滅してしまっているそうですから、これはもう日本固
有の伝統芸能と言ってもいいでしょう。                                   ・

そのような歴史的背景がありますから、舞踊の内容は中国と韓国の歴史的なストーリーをベースにしたものが殆どです。
ただ、平安時代には日本固有の舞踊も作られています。 『延喜楽』という演目は、醍醐天皇の時代に作られ、今も厳島
神社に伝わる数少ない国産舞楽の1つです。                                 ・

舞曲の演奏は『雅楽』で行います。 『舞楽』と『雅楽』は1つのもの、つまり『舞楽』ごとに楽曲も異なっているとい
うことです。 従って『舞楽』の数え方は『曲』です。 例えば、「推古天皇遥拝式には『5曲』が奉奏される」という
言い方をします。 『雅楽』は宮中行事や神事、仏事でよく演奏されますのでご存じだろうと思います。 その『雅楽』
は『右楽坊』『左楽坊』で演奏されます。 『楽坊』はいわばオーケストラピットで、平舞台の海側、両サイドにありま
す。 いつもは吹き抜けの建物ですが、神事の日には下の写真のように『楽坊』らしくしつらえられます。     ・

 

さて、インドで興った『舞楽』はやがて中国、韓国を経て日本に伝わります。 中国を経由したものは『左の舞(さのま
い)』、韓国を経由したものは『右の舞(うのまい)』といいます。 それぞれに経由国の歴史的な物語が盛り込まれて
いて、コスチュームも渡来時の伝統がいまに引き継がれているようです。 『左の舞』『右の舞』にはそれぞれに特徴が
あります。 『左の舞』のコスチュームは赤、『右の舞』のものは緑を基調としています。 更に『左の舞』の演奏は『
左楽坊』で、『右の舞』の演奏は『右楽坊』で行います。                           ・

厳島神社には約20曲の『舞楽』が伝わっています。 『舞楽』を神事として奉奏するのは年11回です。 それぞれの
神事ごとに奉奏する『舞楽』も決まっていて、『桃花祭』では11曲(『振鉾』『萬歳楽』『延喜楽』『桃李花』『一曲
』『蘇利古』『散手』『貴徳』『蘭陵王』『納曽利』『長慶子』)が奉納されます。 以上はボランティアガイドのネタ
として予め調べておいたものです。 (写真は撮ってもいいですが、フラッシュの使用は禁じられています。)   ・

 

高舞台の四角に燈明を立て、薄明りの中で次々と繰り広げられる物語はなかなか優雅で伝統の重みを感じさせます。 今
回は全曲を見る事ができませんでした。 フェリーの便も迫っていましたし、寒さで集中力を欠いてしまいました。 噂
では『蘭陵王』が素晴らしいそうですが、『貴徳』が終わったところで席を立ちました。 次回ボランティアガイド予定
の『推古天皇遥拝式』のための下見でしたので、「まぁここまで見ておけば」と会場を後にしたのでした。     ・

この『舞楽』は平の清盛が大阪の四天王寺から厳島神社に移した平安文化の1つです。 社殿の建築様式(寝殿造り)し
かり、管弦祭(管弦の遊び)しかり、清盛がこの地に招来した平安文化なくして今の宮島はありません。 関心を持って
調べるたびにそのことに驚かされています。                                 ・









































































4月13日


弥山登山

ボランティアガイドから解放されましたので、前々から考えていた弥山登山に出掛けました。 結構歩きましたよ。 我
が家から宮島口フェリー乗り場まで歩きましたので、トータル26000歩ほど歩いていました。 今回は『大元コース
』を登りました。 初めてこのコースを下ったとき、「石段が多く、なんと難儀なコースだ!」と感じて毛嫌いをしてい
ましたが、静かですし、もっとも原生林らしい登山道だと気づいて、今ではとてもお気に入りのコースになっています。
『大元公園』から弥山山頂まで1時間20分、まぁ標準的な歩きでした。 『登山・サイクリング』の項に登山道の様子
を紹介しています。 ご覧になってください。                                ・


久々の水泳

ジムに出掛け、久しぶりに泳いできました。 おそらく半年以上は泳いでなかったんじゃないかと思います。 それなら
「何で急に心変わり?」ということですが、実はまだステーショナリーバイクを漕ぐ自信がないのです。 先ごろの縦走
登山以降ガラスの腰の様子が思わしくなく、ジム行そのものを控えていました。 でもこれって随分もったいない話しで
すよね。 そこで、腰に負担の少ない水泳を思いついた訳です。 たったそれだけの理由です。          ・

最初に200mばかり水中を行き、それからコースに入りました。 壁を蹴るところまではよかったのですが、何と全く
前に進みません。 姿勢、キック、ストローク、すべてを身体が忘れてしまっているようでした。 250mを泳いだと
ころで早々とギブアップしました。 はた目にみると、溺れかけた人がバシャバシャやっているようにしか見えなかった
んじゃないかなと思います。 何より感じたのは腕力の衰えでした。 水を掴んで引き寄せるまではいいとして、それか
らプッシュに移るところでヘナヘナになってしまいます。 力が入りません。 衰えはまことに早いものです。 さてこ
れからどうしますかねえ。                                         ・


筍が届きました

従妹から『みかん箱』に一杯の筍が届きました。 私が筍に目がないことを知ってくれていて、こうして毎年送ってくれ
ます。 有難いことです。 すぐに寸胴鍋を取り出して湯掻きました。 でもこれだけの量ですから寸胴鍋とはいえ、と
ても一息には湯掻き切れません。                                      ・

お礼の電話をし、「今から湯掻くんじゃぁ、今日は食べられんなぁ」といったら、「そんなことはないよ。 そのまま煮
たって新しいものなら十分に美味しいよ。」と教えてくれました。 それならばと早速やってみました。      ・

小さ目で柔らかそうなものを選び皮を剥いてスライスします。 鍋に水と『菩薩流そばつゆ』を入れ、ダシ醤油で味を調
えてからまず筍を煮ます。 沸騰すると灰汁らしきものが浮いてきますので、これは掬い取っておきます。 十分に煮え
たころを見計らってブリの切り身を一緒に煮ます。 ブリが煮えたら一旦火を止めて暫く冷まし、食べる直前にさっと煮
立たせて、山椒の葉をあしらって頂きました。                                ・

それでお味の方はどうだったかというと、これが真に美味しい。 筍好きとしては、「えぐみのない筍なんて筍じゃぁな
い」と思っているのですが、さすがにこういう食べ方には気付かず、ベテラン主婦の知識の広さに全く脱帽させられまし
た。 もちろん焼酎も1杯余分に進みました。 さて、明日は『筍ご飯』にしてみようと思っています。 いろいろ算段
をしているのですが、彩に『にんじん』、味付けに『アゲ』と『ちりめん』を使ってはどうかと思っているところです。












































4月11日


『Volunteer guide』の新設

トップページに『Volunteer guide』を新設しました。 今回はフランスからのお客様をご案内していま
す。 『恥を恐れず積極的に生きる』という私の覚悟を地で行く『珍道中』になっています。 笑ってやってください。

次回は5月18日、19日、厳島神社の『推古遥拝式』に合わせてオーストラリアからお見えになります。 6月はギタ
ーの発表会がありますからお休みにして、7月末に一組をご案内をします。 こちらは今相手方からの連絡を待っている
ところです。 ご夫妻と14歳になる姪御さんがお出でになることは分かっているのですが、国籍はまだ不明です。 姪
御さんが日本の文化に大変に興味を持っていて、そのために日本語の勉強も始められたそうですから、そちらの方の勉強
もしておかなければ。 がっかりさせないように前もって具体的なお話し(お望み)も聞いておこうと思っています。・
















































































4月 9日


ボランティアガイドが終わりました

ボランティアガイドが終わりました。 ただ宮島にお泊りになるお客さまが明日松山に向かわれます。 宮島から広島港
へ、乗り換えて広島港から松山港への船便を提案したものとして、やはり最後まで見届けて差し上げたいと思います。・
明日の朝もう一度宮島に出掛けてきます。                                  ・

次回は5月半ばにオーストラリアからお越しの父子をご案内します。 続いて7月の終わりに(まだ国籍もはっきりして
いませんが)、ご夫婦とその若い姪御さんをご案内することになっています。 私は怠け者ですからもっと負荷をかけて
やらなくては。 ガイドの記録は近いうちに『volunteer guide』に載せます。          ・


『黄昏亭』開店準備中

ここ2週間ばかりガイドの仕込みに集中しましたので家の中がひどいことになっています。 フローリングの隅っこに埃
がたまっていますし、机の上には資料が散乱しています。 明日からはちょっと片づけに回りたいと思います。 もっと
も台所は食通の従兄から「調理が終わったら片づけもすべて終わっているのが主計兵だった父親の流儀だった。」と聞い
てそれを実践していますのでさほどのことはありません。                           ・

一段落したら久しぶりに『黄昏亭』を開店しようと思っています。 『若い友達』にも『食通の従兄』にも「暫く待って
ください」とお願いしています。 他にもご招待したい友達がいますので『黄昏亭』も少し忙しくなるかも知れません。
今日はさっそく『根菜の煮物』の予行演習をしておきました。                         ・


ギター発表会曲目

ギターの発表会の曲目が決まりました。 デュエット曲はゴンチチの『放課後の音楽室』です。 孫と初共演ということ
になりました。 これには結構プレッシャーがかかっています。 自分が1人でみじめな思いをしている分にはどうとい
うこともないのですが、パートナーをあのみじめさに引き込んではいけないと思うと、ますますプレッシャーが強くなり
ます。                                                  ・

独奏曲はJ・フェレールの『タンゴ』に決まりました。 3連符と装飾符が聴かせどころになりますが、これがなかなか
厄介です。 3連符のリズムは『トマト・キューリ』という具合に取るのですが、キューリの長さがトマトより長くなっ
ていますよ。 装飾符がアクセントにならないように気をつけてください。 などなど多くの指摘を受けています。 ま
だまだ感情表現にはとてもいきません。                                   ・


















































4月 1日


『山行・サイクリング』

トップページに『山行・サイクリング』の項を追加しました。 これ以降、山行やサイクリングに出掛ける都度その様子
を紹介していきます。 合わせて友達との交流の様子が紹介できればと思います。                ・


『黄昏亭』に一品追加

『黄昏亭』に一品追加しました。 先日、従妹から走りの筍が届きましたので早速『筍の煮物』と『筍ご飯』を作りまし
た。 あり合わせのもので作りましたので、そんなに大したものではありませんが、冷凍してあった『わかめ』とベラン
ダで育てている『山椒』をあしらって作った『筍の煮物』を『黄昏亭』にアップしています。 これから本格的な筍のシ
ーズンになりますから、まぁおもてなしの練習というところです。                       ・


赤飯の課題

今日は息子の誕生日でした。 そこで恒例の『赤飯』を蒸して届けてやりました。 何回やってもうまくいかない『赤飯
』ですが、ふと単純なことに気付きました。 味付けは塩味くらいのものですから、残る課題は蒸す時の『火加減』と『
蒸し時間』しかないはずです。 と、こう考えて今日は『蒸し時間』の方を工夫してみました。 どうやら今までは蒸し
過ぎていたのではないかと思います。 なかなか『菩薩様』の域には届きませんが、まぁ1歩1歩ですね。 次は月末の
娘の誕生日です。                                             ・


『桜アーチ』

 

プリンターのインクを買うついでに『住吉堤』まで脚を伸ばして『桜アーチ』を見てきました。 木材港の近くにある古
い堤防後に1kmにも及ぶ桜並木があって、両側から伸ばした枝がさながら桜のアーチを形作っています。 ちょうど満
開というところでしょうか。 これはなかなか見ごたえがあります。 広電『廿日市区役所前』で下車して川沿いに海側
に歩いていけば、その河口のつながりです。 『桜まつり』は確かこの日曜日だったと思います。 楽しんでこられたら
如何ですか。                                               ・























































3月28日


『終楽章を生きる』に一節を追加しました

古い記事から『菩薩様とは何か』を『終楽章を生きる』の項に追加しました。 この記事は確か2000年の頃に書いた
ものだと思います。 今の私があるのは『菩薩様』のお導きでしかない、そういう感謝の気持ちで再掲しています。 ・


















































































3月27日


今日は広響コンサート


今日は今年度最後の広響ディスカバリーシリーズのコンサートでした。 演目は『摂氏4000度からの未来・管弦楽の
ための』と、ベートーベン交響曲第5番『運命』でした。 摂氏4000度は広響の委託作品で糀場富美子さんが作曲し
たものです。 どこからこの音が聞こえてくるのか、何とも不思議な世界初演の交響曲でした。          ・

『運命』は素晴らしかったですね。 この曲をもっと音響効果のいいホールで聴きたいと思いました。 素晴らしいとは
思うのですが響いてくる音が物足りないのです。 広島にはこんな思いを満たしてくれるホールがありません。 余り贅
沢はいえませんが、「旧市民球場跡地にオーケストラ専用ホールができると嬉しいなぁ」と思います。       ・

今夜もやはりホロッ!ときました。 『運命』第1楽章268小節のオーボエ・ソロの部分です。 板谷由紀子さんが演
奏する1節に感動して私はいつも涙するのです。 どういうか、私は板谷さんと波長が合っているのかも知れません。・
コンビニで出会った板谷さんに、「今日も泣かせて頂きますよ」と話しかけたら笑っておられました。       ・


少し安心

コンサートの前にNOVAで2レッスンを受講しました。 「昨日弥山に登ったんだけど、行きのフェリーの中で老婦人
に話しかけたら、私の英語が全く通じなくてショックだった」と話したところ・・・ 「最初にどう話しかけたんだ?」
と聞かれました。 「You are better to move opsit side.だったかな」と答える
とニヤリと笑って言うには。                                        ・

「それじゃあ通じないね。 英語圏の者同士だっていきなり話しかけられたらとても理解できない。 まずは下地を作ら
なくっちゃ。 たとえば、I’m sorry to bother you, but・・・なんていい表現は教えた
でしょう。 この言葉で相手に準備させることが大切なんだよ」と言われてしまいました。 ということは、私のカタカ
ナ英語だって通じる可能性があるってこと?                                 ・








































3月26日


弥山に登りました

少し遅い出発でした。 11時に家を出てフェリーに乗った頃にはもうお昼を回っていたのではないかと思います。 「
早めにエネルギーの補給を」と思ってスイーツを食っていたら前の席に外国人女性が2人座られました。 何歳くらいか
なぁ、75歳は超えていると見ました。 暫くするとお2人とも反対側の窓際に移動されました。 たぶん右側に大鳥居
が見えると思ったのでしょう。 ところがこのフェリーは『ななうら丸』で、出航するとすぐに向きを変えます。
 つま
り彼女たちの席は大鳥居を望む位置とは反対側になってしまうのです。                     ・

そこでつい親切心を出して話しかけたのですが。 「あちら側に座った方がいいですよ。 素晴らしい景色が見えます」
と話しかけたら、「Sorry I’m only English.」と帰ってきました。 ショック! 私のカタカ
ナ英語は彼女たちには通じていなかったのだ。                                ・

今日は『大聖院コース』を登りました。 膝に不安を抱えていましたのでともかく急がず、イーブンペースで1歩1歩登
っていきます。 このコースではこの景色が一番の楽しみです。 ちょうど半分くらいの道のりになるでしょうか、広場
に休憩所があって、ここから厳島神社、大鳥居、千畳閣、五重の塔、つまり宮島の観光名所の全てが望めます。   ・

 

「宮島ではこの景色が一番だ」という人が多いですね。 かくいう私もこれはなかなかのものだと思っています。 それ
とここまで登れば距離はともかく後は比較的楽に登れます。                          ・

『仁王門』まであと1歩というところでまたまた外国の方と出会いました。 ご夫婦で、ご主人はやはり75歳くらいか
なぁ、奥様もそんなに若くないようで、労わるように手を取って下ってこられました。 ご挨拶し、「Are you・
OK?」と尋ねると「この道を行くのが一番いいですか?」と返ってきました。                 ・

直感的に「このまま下ったら奥様は膝を痛める」と思ったものですから、「もう一度引き帰しケーブルカーで下りた方が
いいでしょう。」とお答えしました。 たとえもう一度登って、獅子岩まで下ってもまだその方が楽だと思ったのですが
「有難う。 でもこの道をいくことにします。」といって下って行かれました。 きっと今まで来た道の登りの苦しさを
想像されたのでしょう。                                          ・

大丈夫だったかなぁ、厳しいことになっていなければいいのですが。 特に休憩所からの半分の下りが心配です。 疲れ
がたまった後で更に厳しい石段が続きますからね。 弥山登山も有名になって外国の方も多く登るようになりました。・
でもたかだか500m余りの山だと甘く見る傾向があるように思います。 「海抜0mから僅か1.5kmを進む間に5
00mを登るのだ」という厳しさにも目を向けて頂かなければいけないと思います。 それと登山は登りよりも下りが厳
しいということにも。                                           ・

大日堂から頂上に至り、霊火堂まで下って暫く『菩薩様』と話し、『もみじ谷』コースを下りました。 石段では横にス
テップし、膝に全体重が乗らないように、この辺りは下りの基本通りに歩きます。 それから町屋通りや商店街をぶらつ
きました。 4月にフランスから、5月にオーストラリアからのお客様を受けています。 今回の宮島行は足慣らしと案
内手順の確認ということでした。                                      ・